第33話 ファミレスで人生をやり直す方法
深夜二時。
ファミレスは「今日が何曜日か分からなくなる時間帯」に突入していた。
客は少ない。だが空気は妙に濃い。
「……ここに住めば…不安にならないのかな……」
ぽつりと落とされたその一言に、空調の音が一瞬だけ大きくなったような気がした。
雨露は伝票を書きながら、顔も上げずに言った。
「住居ではありません」
「ですよね……」
宮間は一度うなずいたあと、なぜか少し間を置いてから、
「でも、考えてみると……」と続けた。
テーブルの上には、冷めかけたドリンクバーのコーヒー。ガムシロップが三つ、きれいに並んでいる。進捗管理用だ。
「僕、最近ずっと思ってるんです。家って、寝るためだけの場所……。でもここは違う……灯りがあって、人がいて、いつ来ても……誰かがいる可能性がある」
「可能性、ですけどね」
雨露は淡々と返す。
「……孤独死しない確率が、家より……高い気がするんです」
「それ統計取ってないですよね?」
カウンターから菅原が笑いながら口を挟んだ。
「でも、海外だと割と普通ですよ!カフェに住む人!」
「それ、住んでるんじゃなくて入り浸ってるだけでは」
「いやいや、バックパッカー界隈では――」
「誤情報を広めないでください」
雨露の声は低く、正確だった。
その横で、文月がストローを指でくるくる回しながら、静かに目を輝かせていた。
「住む、という行為はだね」
文月は突然語り出す。
「物理的な占有ではなく、物語的な定着なんだよ」
「出た!」
菅原が小声で言う。
「人は、繰り返し訪れ、同じ景色を見て、同じ匂いを吸い込むことで、『ここは自分の場所だ』と錯覚する。ファミレスはその条件を満たしている」
「錯覚って言いましたよね」
雨露が確認する。
「重要なのは錯覚だよ、人生の大半は錯覚でできている」
「給料日は錯覚じゃないです」
「悲しい現実ですね」
宮間は二人の会話を聞きながら、ガムシロップを一つ動かした。
「もし……ここに住んだら、僕は毎日、誰かに『いらっしゃいませ』って言ってもらえるんですよね」
その言葉に、場が一瞬だけ静かになる。
菅原は冗談めかして言った。
「いやー、それはちょっと、羨ましいかも」
「僕、会社では誰にも言われないんです。名前も呼ばれない。番号みたいな扱いで……」
「番号振られてるんですか」
「心の中で」
文月は深くうなずいた。
「ならば、ここは再生の地だ。人生をやり直すためのーー」
「住民票は置けません」
雨露の一言が、すべてを切断した。
鋭利で、無駄がなく、反論の余地がない。
「法律的に」
沈黙。
宮間はガムシロップを見つめ、ゆっくりと元の位置に戻した。
「……ですよね」
「シャワーもありません」
「ですよね……」
「洗濯機も」
「はい……」
「郵便物も受け取れません」
「……」
宮間は深く息を吸い、そして吐いた。
「でも」
顔を上げる。
「ここに来れば、生きてる感じはします」
雨露は初めて、少しだけ視線を向けた。
「それは否定しません」
文月はにやりと笑った。
「つまり、住むのではなく、生き延びるために通う場所」
「それ、めちゃくちゃいい言い方じゃないですか!」
菅原が拍手する。
「通う、ですね」
宮間は小さく笑った。
「じゃあ、僕は……今日も帰ります」
「ありがとうございました」
雨露の声は、いつも通り淡々としていた。
だが、宮間がドアを出る直前、ふと振り返った。
「……明日も来てもいいですか」
「営業時間内であれば」
ドアが閉まる。
菅原がぽつりと言った。
「住めないけど、帰る場所ではある、って感じですね」
「ファミレスですから」
雨露は伝票をまとめながら、いつもの調子で答えた。
その夜も、ファミレスは誰の人生も変えない。
ただ、生き延びるための明かりだけは、確かに灯っていた。




