第26話 観葉植物は何も守ってくれない
深夜二時三十分。
ファミレスの隅、観葉植物の影に、文月先生は座り込んでいた。
椅子ではない。
床だ。
背中を観葉植物の鉢に預け、
膝を抱え、完全に存在感を消そうとしている。
……いや、消えていない。
葉の隙間から、やたら整った顔が覗いている。
「先生」
声をかけると、
文月は、ゆっくりこちらを見た。
「見つかっちゃったか」
「最初から見えてます」
「植物と同化してたんだけどな」
「無理があります」
その光景を、カウンターの内側から見ていた安藤が、そっと眉をひそめた。
「……あの」
小声だが、妙に真剣だった。
「これって……笹原さんに連絡した方がいいやつじゃないですか?」
一瞬、空気が止まる。
文月は、観葉植物の葉を一枚、指でつまんだ。
「安藤くん」
「はい!」
「世の中にはね、“見なかったことにした方が優しい瞬間”っていうのがある」
「でも!」
安藤は、真っ直ぐだった。
「床に座ってる作家さんって、普通じゃないと思うんです!」
「普通じゃないのは、いつもです」
雨露は淡々と言った。
「締切前ですから」
宮間が、壁際の席でおずおずと手を挙げる。
「……あの……僕の会社でも……床に座る人、たまにいます……」
「それは労働環境の問題です」
「ですよね……」
安藤は、まだ迷っていた。
視線を、
観葉植物 → 文月→ 雨露
と行き来させる。
「でも……さっき、笹原さん……」
文月の手が止まった。
「……笹原さん」
「はい!先生を探してて、すごく困ってました!」
「…困ってる編集は、自然現象みたいなものだから」
「でも!」
安藤は、決意した顔でスマホを取り出した。
「あの様子、“放置すると悪化するタイプ”です!」
「今が最悪です」
「連絡しますね!」
発信音。
文月は観葉植物の鉢を盾にするように、
少し身を縮めた。
三コール目で、電話は繋がった。
『……はい、笹原です』
落ち着いた、
しかし疲労を隠しきれていない声。
「笹原さんですか?安藤です!」
『……はい』
「先生、今、ファミレスにいます!」
沈黙。
「観葉植物の横で床に座ってます!」
「詳細すぎます」
『……場所は?』
「いつもの店です!」
通話が切れた。
その瞬間、
文月は、はっきりとため息をついた。
「……これは、逃げ遅れたね」
「はい」
雨露は頷いた。
「観葉植物は、締切から守ってくれません」
宮間が、青ざめた顔で言う。
「……あの……今のって……“来る”やつですか……?」
「来ます」
十分後。
ドアが、静かに開いた。
足音が、規則正しく近づく。
笹原だった。
パンツスーツ。
背筋は真っ直ぐ。
表情が、削ぎ落とされている。
「先生」
穏やかな声。
「返信がありませんでしたので」
文月は、
まだ床に座ったまま、手を振った。
「やあ、笹原さん」
「立ってください」
「今、植物と一体化してて」
「立ってください」
逆らえない圧だった。
文月は、ゆっくり立ち上がる。
「ここで書いていただきます」
「……ファミレスで?」
「集中できる環境です」
宮間は、息を殺している。
安藤が、小さく呟いた。
「……良かれと思って……」
「その善意が、編集者をここに召喚しました」
雨露は、ドリンクバーの業務用コーヒーを注いだ。
文月に差し出す。
「苦いですよ」
「知ってる」
一口飲んで、顔をしかめる。
「……人生の味だね」
「業務用ですからね」
深夜三時。
観葉植物は、何も語らない。
ただ、
締切に捕まった作家と、
善意で地獄を開いた店員と、
それを見守る客と店員を、
黙って見下ろしている。
ファミレスは、今日も平常運転だった。
床に座る人がいる、という一点を除いて。




