第21話 生存確認は自己責任者で
目が覚めたという事実に、まず違和感があった。
本来なら、誰にも気づかれずに静かに終わっていてもおかしくないのに、なぜか今日も世界が続いている。天井があり、壁があり、僕がいる。
「……生きてる」
声に出して確認する。
声が返ってこない。
当たり前だ。ひとり暮らしだ。
スマホを見る。充電は十二%。
この数字がゼロになったら、僕の社会的存在も一緒に消える気がして、慌てて充電器を探す。見つからない。布団の中に埋もれていた。
発見が遅れた場合、どれくらいで異臭が出るんだろう。
そんなことを考えながら歯を磨く。泡が多すぎて、口の端から垂れた。鏡に映った自分は、生きているのに、もう少しで終わりそうな顔をしている。
出勤。
満員電車。
押されるたびに、身体の境界線が曖昧になる。
「すみません」
誰に向けた言葉か分からないまま、何度も呟く。
このまま倒れても、たぶん「邪魔だな」と思われるだけだ。救急車が来るかどうかは、混雑具合次第だろう。
会社では、存在を最小限に抑えることに集中する。
呼吸は浅く。
発言は短く。
視線は資料の白い余白に落とす。
白紙を見ると、少し落ち着く。
何も書かれていないということは、まだ何も決まっていないということだ。
つまり、終わりも未定。
机の上にガムシロップを並べる。
今日は四つ。
「生存」
「労働」
「将来」
「孤独死」
四つ目だけ、少しベタついている。
倒れないように気をつけていたのに、電話が鳴って、全部倒れた。
上司の声がする。
内容は分からない。
ただ、怒られている気配だけは分かる。
「……すみません」
反射で謝る。
理由は後から考える。
退勤。
夜。
帰宅途中、コンビニのガラスに映る自分が、やけに薄く見えた。
透けている気がする。
もう半分くらい、社会から消えているのかもしれない。
家には帰らない。
正確には、帰れない。
誰もいない場所で倒れたら、確率が上がる。
だから、明るくて、人がいて、名前を呼ばれる場所へ行く。
深夜ファミレス。
ドアが開く音。
それだけで、心拍数が下がる。
「いらっしゃいませ」
雨露くんの声。
感情が乗っていないのに、確実に存在を認識されている声。
この人は、僕を「人」として処理してくれる。
席に座る。
いつもの席。
ここなら、もしもの時も、発見は早い。
文月先生がいた。
ナプキンを何十枚も重ねて、何かの装置を作っている。
「宮間くん、これはね、“人生が積み上がっていく様子”だよ」
「……崩れそうですね」
「そう。だから美しい」
意味は分からないが、怖い。
そのとき、勢いよくドアが開いた。
「お疲れさまでーす!!」
安藤さんだった。
テンションが高すぎて、存在が二重に見える。
「宮間さん、今日、顔色ヤバいですよ! え、生きてます!?」
「……はい……一応……」
「よかったー! じゃあこれ!」
突然、何かをテーブルに置かれた。
謎のまかない。
色が、説明を拒否している。
「サモンさんが『だいじょうぶ』って言ってました!」
だいじょうぶの定義が分からない。
雨露くんが来る。
「安藤さん、それ、客席に出していいやつじゃないです」
「えっ、でも宮間さん、孤独死対策で来てるんですよね? 栄養、大事です!」
「対策の方向性、間違ってます」
文月先生は笑っている。
ナプキンの塔が崩れた。
「宮間くん、もしここで倒れたら、僕はそれを物語にしていい?」
「……できれば……名前は……変えてください……」
「もちろん。君は“静かに消えかけた男A”だ」
A。
固有名詞が消えた。
コーヒーを飲む。
苦い。
でも、確かに味がする。
それだけで、今日が現実だと分かる。
時計を見る。
まだ、終電前。
____今日も、生き延びた。
帰り際、雨露くんが言った。
「……また明日も来ます?」
「……たぶん……」
「そうですか」
それだけ。
それで十分だ。
深夜ファミレスは、生存率を少しだけ上げる装置だ。
完全ではない。
でも、ゼロではない。
だから明日も、
僕は倒れないように、
でも倒れてもいい場所へ、
歩いてくる。
生きている限り、
確認作業は続く。




