第2話 宝くじの祈りと観葉植物
深夜二時。
シャッター商店街が完全に眠りについたころ、観葉植物だけが妙に元気なファミレスは、今日も静かに営業していた。
カウンター席で、宮間は宝くじを両手に挟み、目を閉じていた。
祈りのポーズである。かなり本気の。
「……お願いします……本当に……今回だけは……」
その様子を、向かいの席から文月先生が面白そうに眺めている。
コーヒーは三杯目、締切は明後日。つまり、精神状態は最悪だ。
「ねえ宮間くん。祈りってさ、確率論にどう影響すると思う?」
「え、い、今それ聞きます……?」
「祈りは行為であり、行為は時間を消費する。時間を消費するということは、当選発表までの距離が縮まる。つまりーー」
「やめてください……」
宮間の声は震えていた。
その宝くじには、ブラック企業を辞めたいという切実な願いが、過剰なほど詰め込まれている。
退職届、引っ越し、静かな老後——まだ三十代だが、想像はもう孤独死の一歩手前だ。
文月先生は、テーブルの紙ナプキンを一枚引き寄せ、ペンを取り出した。
「ここに書くね〈人は希望を紙に印刷し、絶望を手に持つ〉」
「在庫減らさないでください」
淡々とした声が飛ぶ。雨露だ。伝票をまとめながら、ちらりとだけこちらを見る。
「紙ナプキンは拭くためのもので、哲学を書くためのものじゃないんで」
「細かいなあ、雨露くん。これは実験なんだよ」
「実験なら、私物でやってください」
文月先生は肩をすくめ、さらに紙ナプキンを1枚取った。
雨露は無言で在庫表にチェックを入れた。
その時だった。
入口のドアベルが鳴った。
——カラン。
店内の空気が、一段階だけ硬直する。
「……逃げなきゃ」
文月先生の顔色が変わった。
宮間は宝くじを胸に抱いたまま、何が起きたかわからず瞬きをする。
入ってきたのは、パンツスーツ姿の女性だった。
姿勢が良く、無駄な動きがない。元陸上部特有の、いつでも走れます、という脚の立ち方をしている。
笹原さんだ。
「先生?」
その声を聞いた瞬間、文月先生は立ち上がり、素早く横にあった観葉植物の陰に滑り込んだ。
擬態である。
葉の間から、ぎこちなく顔だけが見えている。
笹原さんは、店内を一望したあと、静かに言った。
「……雨露くん。先生、来てませんよね?」
「観葉植物が一鉢、増えた気はします」
「ですよね」
次の瞬間、笹原さんが植物に手を伸ばす。
文月先生は反射的に逃げ出し、雨露の足元へ滑り込んだ。
「ちょ、ちょっと雨露くん!ここは死角ーー」
「客席に潜るのやめてください」
首根っこを掴まれた文月先生は、ずるずると引き上げられた。
「明日の私がどうにかするから!」
「明日じゃ間に合いません!今日書いていただかないと、私の首が飛ぶんです!」
「首って比喩でしょ!?」
「比喩じゃなくなりかけてます!」
宮間はその光景を見ながら、宝くじをぎゅっと握りしめた。
(……当たりますように……)
数分後。
文月先生は観念したように、笹原さんに引き摺られて退店していった。
店内には、静けさが戻る。
テーブルには散らかった宝くじと、哲学が書きかけの紙ナプキン。
雨露はそれを見て、小さくため息をついた。
「……片付けますよ」
宮間は、そっと宝くじを拾い上げ、また祈りのポーズを取った。
深夜ファミレスは、今日も当選しない希望と、確実な現実を、静かに提供していた。




