第17話 忘れ物と夏の終わり
深夜二時。
ファミレスの店内は、昼間の賑やかさが嘘のように静かだった。冷房の風が、天井の換気口から規則正しく落ちてくる。
雨露はカウンターの内側で、伝票を揃えながら店内を一瞥した。
客はいつもの顔ぶれしかいない。
ああ、夏が終わったな。
そう感じるのは、騒がしさが減ったからではなく、騒がしさの“質”が変わったからだ。
厨房では、サモンがフライパンを振っている。
夏祭りで余ったフランクフルトを、勝手にアレンジしている最中だった。
「これ……フランクフルト、でもね、ちょっとタイ風、する」
サモンは真剣な顔で、チーズとスパイスを振りかける。
「夏祭り、もう終わる。残り、さみしい。だから味、変える」
「勝手に哲学始めないでください。料理で」
雨露は淡々と返す。
その横で、安藤が皿を持って待機していた。
「サモンさん、それ味見していいですか?」
「……味見、ちょっとだけ。ほんと、ちょっと」
安藤は元気よく頷き、
“ちょっと”の概念を置き去りにした量をつまみ食いした。
「ん!美味しいです!」
「……それ、もう一人前近い」
「すみません!でも夏の味がします!」
夏の味、という言葉の定義はよく分からないが、サモンは満足そうに頷いた。
「夏、終わるとね。お腹、すく」
論理は不明だが、勢いはある。
その時、奥の席で宮間が、テーブルの下を覗き込んでいた。
「……あの……帽子……ない……です……」
「またですか」
雨露は顔を上げない。
「夏祭りのとき被ってたやつ……」
「先週も言ってましたよね」
「……はい……」
宮間はしょんぼりと俯いた。
孤独死よりも、帽子の行方のほうが今は重要らしい。
そこへ、文月が現れた。
なぜか手には、割り箸とナプキンと、色あせたヨーヨー。
「雨露くん」
「嫌な予感しかしませんが」
「これはね、夏の忘れ物なんだ」
文月は真顔で言った。
「忘れられた物には、持ち主の時間が染み込んでる。つまりこれは」
「ゴミですね」
「即断が早い」
文月はヨーヨーを指で弾く。
弾力のない、完全に死んだ音がした。
「夏ってさ、終わる瞬間が一番残酷だと思わない?」
「唐突に文学やめてください」
「祭りが終わって、提灯が消えて、屋台が撤収されて……それでも、忘れ物だけが取り残される」
宮間が、はっと顔を上げた。
「……じゃあ……僕の帽子も……時間、染みてます……?」
「染みてるね」
「……それ、怖くないですか……」
安藤が口を挟む。
「でも、忘れ物って、見つかるとちょっと嬉しいですよね!」
「突然、前向き」
「だって、誰かがちゃんと気にしてくれたってことじゃないですか」
雨露は、ほんの一瞬だけ思考を止めた。
「……まあ、そういう見方もありますけど」
サモンが皿を置く。
「はい、できた。フランクフルト、夏終わりスペシャル」
「名前、雑じゃないですか」
「名前、難しい。味で勝負」
モモコが、テラス席からビール片手に声をかける。
「ねえ、あんたたち。夏の忘れ物って、恋と一緒よ」
「急に何の話ですか」
「置いていかれるのよ。気づいたら」
文月が深く頷いた。
「さすがモモコさん。恋も夏も、放置すると腐る」
「先生、それ完全にアウトな言い方です」
宮間は、テーブルの下から何かを引きずり出した。
「あ……あった……」
「帽子?」
「……これ……」
それは、誰のものか分からない、少し色あせた麦わら帽子だった。
「……僕のじゃないです……」
沈黙。
「……でも……」
宮間は、そっと帽子を撫でた。
「誰かの夏、ここにあったんですね……」
「急に情緒」
雨露は小さく息を吐いた。
文月は満足そうに笑う。
「ほら、物語が生まれた」
「先生、締切は?」
「聞こえない」
サモンはフランクフルトを追加で焼きながら言った。
「夏、終わる。でも、お腹、まだ空く」
「名言っぽく言わないでください」
安藤はまたつまみ食いをしていた。
「深夜って、不思議ですね」
「何がです?」
「夏が終わっても、ちょっと残ってる感じ」
雨露は店内を見回した。
意味不明な会話、謎の料理、行方不明の帽子。
深夜のファミレスには、夏の忘れ物がまだ、ぬるく残っている。
それは片付けなくてもいい。
誰かが覚えている限り。
ネオンの明かりの下で、今日も店は、静かに、少しだけカオスだった。




