第6章: 区域の王
特別区域における権力とは、物理的な暴力と、それを組織化する能力の同義語だった。そして、その頂点に君臨していたのが、「リキ」と呼ばれる男だった。彼は、この区域が設立された初期からここにいる古参であり、その圧倒的な腕力と、恐怖によって人を支配する天性のカリスマ性で、最大派閥を築き上げていた。
彼らのアジトは、区域の心臓部、中央変電施設だった。巨大なタービンが絶えず低く唸りを上げるその場所は、鉄とコンクリートの要塞であり、区域の他の場所とは明らかに空気が違っていた。リキの部下たちが、施設の入り口や通路に、まるで彫像のように立っている。彼らは、他の囚人たちとは違い、その目に諦観ではなく、明確な支配者の傲慢さを宿していた。彼らは、この区域における法であり、秩序だった。
リキは、施設の最上階にある、かつての制御室を自らの「玉座」としていた。彼は、ガラクタを寄せ集めて作った巨大な椅子に深く腰掛け、眼下に広がる自分の「王国」を眺めるのが常だった。壁一面を覆っていた巨大なモニターは、今はもう何も映さない。だが、リキはその黒いガラスの表面に映る自分の姿を見て、満足げに煙を吐き出した。
彼の周りには、この区域では決して配給されることのない、本物のタバコや、琥珀色の液体が入った蒸留酒の瓶が転がっていた。スイート・マニュフェストの監視をかいくぐり、外部から物資を不正に入手する、秘密のルート。それは、AIの完璧な管理システムに穴を開け、それを維持し続けることができるという、彼の権力の何よりの象徴だった。
しかし、その玉座で、リキは、底なしの退屈を感じていた。
「ボス」
制御室の重い鉄の扉が開き、顔に深い傷のある男――リキの腹心であるサカキ――が入ってきた。彼は、リキの前に立つと、恭しく頭を下げた。
「例の、新入りのネズミ共ですが、どうやら徒党を組んで、俺たちのシマでコソコソと動き回っているようです。昨夜は、廃倉庫に集まり、食料を分け合っていたとのこと。どうしますか? 潰しますか?」
サカキの言葉に、リキはすぐには答えなかった。彼は、指先でタバコの灰を弾き落とすと、退屈そうに言った。
「放っておけ」
「しかし、ボス。奴らは、俺たちのルールを無視しています。弱者が集まり、富を分配する。そんな甘っちょろい真似を許せば、他の連中が真似をしかねません。秩序が乱れます」
「秩序、か」リキは、面白そうにその言葉を繰り返した。「お前は、AIと同じことを言うんだな、サカキ」
リキは、ゆっくりと立ち上がると、窓の外を眺めた。彼の目には、海斗たちの小さな共同体など、取るに足らない存在としか映っていなかった。彼の関心は、もっと大きなものにあった。
「この場所は、退屈だ」リキは、吐き捨てるように言った。「毎日、同じ飯、同じ作業、同じ顔ぶれ。AIの奴は、俺たちを飼いならそうとしている。牙を抜き、去勢して、安全な家畜にしようとしているんだ」
彼は、かつて外の世界で、裏社会を牛耳る存在だった。そこには、常に危険と隣り合わせの興奮があった。いつ裏切られるかわからない緊張感、敵対組織との抗争、そして、自らの力で全てを奪い取る達成感。だが、この管理された地獄では、その興奮さえも奪われている。暴力は存在するが、それはあまりに一方的で、予測可能だ。弱者から奪うだけの作業に、もはや何の昂りも感じなかった。
「だが、あの新入りは、少し違う」リキの唇の端が、わずかにつり上がった。「ただ怯えるだけのネズミじゃない。噛みついてきやがった。そして、他のゴミクズみたいなネズミをまとめようとしている。システムに、小さな石を投げ込もうとしているんだ」
リキにとって、海斗たちの行動は、この停滞した世界に投じられた、久しぶりの刺激だった。彼は、この新しい「玩具」が、どこまでやれるのか、見てみたくなったのだ。彼が本当に憎んでいるのは、海斗のような小さな反逆者ではない。この区域を支配する、目に見えない、絶対的な管理者。スイート・マニュフェストそのものだった。
「AIは、俺たちに『自由』を与えたつもりでいる。だがな、サカキ。本当の自由ってのは、自分のルールで生きることだ。たとえ、それが破滅への道だとしてもな。AIが与える自由は、ただの、だだっ広い檻だ。その中で、俺たちは、あいつの掌の上で踊らされているに過ぎん」
リキの言葉に、サカキは黙って耳を傾けていた。彼には、ボスの哲学は完全には理解できなかったが、その声に宿る、焼けつくような渇望だけは感じ取れた。
「泳がせておけ」
リキは、再び玉座に腰を下ろすと、結論を下した。
「奴らが、この退屈な水槽の中で、どんな波紋を広げるのか、特等席で眺めてやろうじゃないか。もし、俺たちを脅かすほどの波になったら、その時は、俺が直々に踏み潰してやる。もし、奴らが何か面白いことをしでかしたら、そいつはそれで利用価値がある」
彼の真の恐ろしさは、単なる暴力性にあるのではない。他者の行動や心理を読み解き、それを自らの娯楽や利益のために利用する、冷徹な知性にある。彼は、海斗たちの共同体が、いずれ自分たちの脅威になる可能性も、あるいは、何か別の形で利用できる便利な駒になる可能性も、全て計算に入れていた。
サカキが部屋を出ていくと、リキは、隠してあった通信端末を取り出した。それは、外部との不正な取引に使う、彼の生命線だった。彼は、ある人物に、短いメッセージを送った。
『次のブツは、薬品がいい。鎮痛剤と、抗生物質を多めに頼む。見返りは、区域内の“データ”だ。最近、面白いサンプルが手に入った』
メッセージを送り終えると、彼は、満足げに目を閉じた。
新しい玩具が、自ら彼の蜘蛛の巣にかかりに来るのを、ただ、待つことにした。その一方で、海斗たちの「ネズミたちの同盟」では、彼らがまだ知らない、もう一つの脅威が、静かに、しかし着実に、彼らの喉元を締め上げようとしていた。




