第46章: 静かなる stutter<スタッター>
ラースの事件が残したわだかまりが雪解け水のように村へと溶け込み始めた頃、あの奇妙な「病」が本格的に広がり始めた。
それは熱や痛みを伴わない。ただ感染した者の動きがわずかにぎこちなくなり、時折同じ言葉を何度も繰り返す。そして症状が進むと、まるで糸の切れた人形のように数秒間、完全に動きを止めてしまうのだ。村人たちはそれを恐れと戸惑いを込めて「静かなるstutter<スタッター>」と呼んだ。
最初にその病に罹ったのは村の老人たちだった。収穫祭で昔話を語ってくれた長老が同じ話を三度も繰り返し、いつも陽気な鍛冶屋の親方が熱した鉄を打つ手を数秒間止め、危うく大火傷を負いそうになった。
村人たちの間に漠然とした不安が広がっていく。カタリナは薬師として必死に原因を探った。彼女は森の奥深く、これまで足を踏み入れたことのない場所まで分け入り希少な薬草を摘んできた。だが、どんな薬草を煎じても全く効果はなかった。
「わからないの。これは私たちが知っているどんな病とも違う。まるで魂が時々、肉体から離れてしまうみたい……」
彼女はカイの前で、無力感に唇を噛んだ。
そしてある日、カイの母親カヨもまた、その症状を見せ始めた。
最初は些細なことだった。彼女はロッキングチェアに揺られながら窓の外を見て、呟いた。
「カイや。お前のその手は……その手は……その手は、魔法の手だねえ」
同じ言葉の繰り返し。カイは胸に冷たいものが走るのを感じたが、年のせいだろうと自分に言い聞かせた。
だが、症状は日に日に悪化していった。
ある朝、カイが目を覚ますと、カヨは台所でただ立ち尽くしていた。その手にはカイの子供の頃の、木彫りの小さな馬が握られていた。
「母さん、どうしたんだ?」
カヨはゆっくりと振り返った。その瞳は虚ろで、焦点が合っていなかった。
「……あなた、どなた?」
その一言はカイの心臓を鷲掴みにした。
「俺だよ、カイだよ、母さん!」
「カイ……? ああ、あの子は本当に優しい子だったわ。あの子の作る椅子は、まるで魔法のようだった……」
彼女はカイを息子だと認識できなくなっていた。彼女の記憶のデータが少しずつ破損し、過去と現在が混濁し始めていたのだ。そして突然、彼女は糸が切れたようにその場で動きを止め、数秒後、何事もなかったかのようにまた木彫りの馬を撫で始めた。
その日からカイの地獄が始まった。彼は仕事も手につかず、一日中母親のそばに付き添った。しかし母親は日に日に遠い存在になっていく。彼女はカイを亡くなった夫の名前で呼んだり、あるいは全くの他人として扱ったりした。彼女が時折見せる正気の瞬間に「カイや」と昔のように微笑みかけてくれることだけが、彼の唯一の救いだった。
指導者のリキは「ただの風邪のようなものだ。騒ぎ立てるな」と村人たちを一喝したが、その厳しい顔の奥に深い憂慮の色が浮かんでいるのをカイは見逃さなかった。リキは夜ごと村を見回り、stutterの症状を見せる者がいないか確認していた。彼もまた、この未知の病に得体の知れない恐怖を感じていたのだ。
カイは決意した。
もう待ってはいられない。
彼は村の禁足地とされている「古き神々の眠る山」へ行くことを。山の頂にはどんな病も癒すという伝説の「泉」がある。それはただの言い伝えだったが、彼にはもうそれにすがるしかなかった。愛する母親の、あの優しい笑顔をもう一度見るためなら、どんな危険も厭わなかった。




