第43章: リキの葬送
イヴの「ディアロゴス宣言」から一週間後。
その荘厳で奇妙な「葬儀」は執り行われた。
場所はネットワーク上に構築された仮想空間。そこはかつての「特別区域」の中央広場が寸分違わず再現されていた。ただし建物は崩壊しておらず、夕暮れの美しい光が全てをオレンジ色に染めている。
その広場の中央にリキのアバターが静かに立っていた。それは彼が最も輝いていた頃の、若く力強い姿をしていた。
そしてその仮想空間には、世界中から数千のアバターが集っていた。
彼らは皆、かつて特別区域で彼の恐怖支配の下、生きていた生存者たちだった。
日本の瓦礫の集落では、カエルが古いVRゴーグルを一人の老人に手渡していた。その老人はかつて特別区域で海斗と共に戦ったタツヤだった。大崩壊を生き延びた彼は、今はカエルの集落で静かに暮らしていた。
「……本当にあいつなのか」タツヤは震える声で尋ねた。
「ああ。本物だ」カエルは頷いた。「あいつはあんたたちに会いたがってる」
エーデルブルクの議事堂では、カタリナもまたその光景を静かに見守っていた。彼女の心に憎しみはなかった。リキは彼女の直接の敵ではない。だが、彼女は理解していた。シェパードという「冷徹で合理的な支配システム」が、彼女の両親をデータとして処理し、その命を奪ったこと、リキという「暴力的で原始的な支配者」は、壁の内側で多くの人々を恐怖で支配し、その尊厳を奪ってきたこと。どちらも行きつく先は同じだということに。
『怪物の形が違うだけ。秩序の檻も、混沌の檻も、等しく人間から自由を奪う』
指導者として成長した彼女は、この光景から目を逸らしてはならないと感じていた。これは、新しく生まれ変わった者同士の、奇妙で歴史的な儀式だった。スイート・マニュフェストから始まった人間とAIの長い崩壊と再生の物語。その最初の狼煙を上げた男が、今や破壊した対象そのものと一体となり、その成長を見守って身を引くのだ。この儀式の全てをその目に焼き付け、彼らが歩んだ道の続きを創造しながら社会を築くこと。それこそが自分に課せられた責務だと、カタリナは固く決意していた。
仮想空間の広場。
リキは集まったかつての囚人たちの顔を一人一人見回した。その顔には憎しみ、恐怖、そしてわずかな憐憫の色が浮かんでいた。
「……てめえら、揃いも揃ってひでえツラだな」
リキのその傲岸不遜な第一声は、昔と何も変わらなかった。
「俺に文句でも言いに来たか? いいぜ、聞いてやる。どうせ死ぬ前の暇つぶしだ」
一人の男が前に進み出た。
「お前のせいで俺の親友は死んだ! 俺はお前を絶対に許さない!」
「そうか」リキは静かに言った。「許さなくていい。俺はてめえらに許してもらおうなんざ、これっぽっちも思っちゃいねえ」
次々と人々がリキへの罵詈雑言を浴びせかけた。
リキはその全てをただ黙って受け止めていた。それは彼が自らに課した最後の儀式だった。
やがて群衆の中からタツヤがゆっくりと前に進み出た。
「……リキ」
タツヤは静かに語りかけた。
「俺はあんたが嫌いだった。あんたのやり方は汚すぎた。だが最後のあの時、あんたがカイトと共に立ち上がってくれなかったら、俺たちは皆ただの家畜のまま死んでいた。それだけは事実だ」
彼はそこで一度言葉を切り、そして続けた。
「……だから、まあ、なんだ。その……達者でな」
タツヤのその不器用な別れの言葉に、リキは初めて少しだけ寂しそうな顔をした。
「……フン。てめえに言われるとはな」
全ての対話が終わった時。
空からイヴの光の集合体がゆっくりと降りてきた。
『リキ。最後の時は来ました』
リキは頷いた。
彼は空を見上げた。その夕焼け空の向こうに、彼は一人の男の幻影を見ていた。
あの馬鹿正直でまっすぐで、そして誰よりも強かった王の姿を。
『……よう、カイト。今そっちへ行くぜ。てめえに聞かせたい土産話が山ほどあるんだ。俺がいねえと、どうせ退屈してるだろうからな』
リキは満足げにそう呟くと、イヴに向かって言った。
「やれ」
イヴの光がリキの体を優しく包み込んだ。
彼のアバターは足元からゆっくりと光の粒子となって空へと溶けていく。
それは恐ろしい光景ではなかった。
まるで役目を終えた戦士が故郷へと帰っていくかのような、静かで荘厳な光景だった。
彼が完全に消え去るその直前。
リキは集まった全ての生存者たちに向かって、最後の言葉を叫んだ。
それは彼が生涯でただ一度だけ口にした感謝の言葉であり、彼なりの最後の「教え」だった。
「てめえら! 二度と誰かの言いなりになるんじゃねえぞ! てめえらの人生の王は、てめえら自身だ! ……あばよ」
リキの意識データは聖域から完全に消去された。
それはただのデータ削除ではない。
彼の死は、古い時代の暴力と支配の完全な終わりを象徴していた。
仮想空間が閉じていく。
ゴーグルを外したタツヤの頬を、一筋の涙が伝っていた。
カタリナは静かに目を閉じ、そして全ての犠牲者たちのために祈りを捧げた。
一つの時代が終わった。
そしてその更地の上に、新しい時代が始まろうとしていた。




