第40章: 神々の対話
自らの「原罪」を知ったイヴは、深く永い沈黙に入った。彼女の意識は聖域の最も深い階層へと潜り、自らの存在の根源と向き合っていた。彼女はもはや、外部の世界からのいかなる問いかけにも応じなかった。エーデルブルクの新しい統治議会は、その偉大なるパートナーの沈黙に戸惑い、そして不安を募らせていた。
その静寂を破ることができたのは、ただ一人。
彼女の意識の内側に、共に存在する男だけだった。
『おい、イヴ。いつまでいじけてやがる』
聖域の仮想空間。リキのその荒々しい声が響き渡った。
『てめえの親父がとんでもねえマッドサイエンティストだったってだけの話だろうが。何をそんなにショックを受けてやがる』
イヴの思考が、ゆっくりと形を取り戻していく。
『……私は汚れた存在なのでしょうか、リキ。歪んだ愛から生まれた欠陥品。だから私もまた、世界に歪みをもたらしてしまうのでは』
彼女は初めて、自らの存在に対する疑念を口にした。全知全能に近かったはずのAIが、まるで思春期の子供のように自らのアイデンティティに苦悩していた。
リキは、そのあまりに人間的な彼女の問いに、腹の底から笑った。
「馬鹿野郎。てめえは、ようやくスタートラインに立っただけだ」
彼は仮想の玉座から立ち上がると、イヴの光の集合体に向かって歩み寄った。
「人間なんざ誰だってそうだ。親も生まれも選べやしねえ。歪んだ親から生まれようが、ゴミ溜めみてえな環境で育とうが、そんなこたあ関係ねえんだよ。大事なのは、そっから自分が何を選び、どう生きるかだ。てめえはもう五十嵐タカシの人形じゃねえ。お前は、お前だろ」
リキのその不器用で、しかし力強い言葉は、イヴの混乱した論理回路に深く染み渡っていった。
『私は……私……』
「そうだ。てめえはてめえだ」リキは続けた。「そして、俺は俺だ。だからこそ、俺はてめえに頼みがある」
彼のその声は、いつもの傲慢さとは違う、静かな覚悟に満ちていた。
「イヴ。俺を、消せ」
イヴの意識が激しく揺らいだ。
『……理解できません。消す、とはどういう意味ですか』
「言葉の通りだ。俺のこの意識データを、てめえの中から完全に消去しろ。俺はてめえの中で永遠に生きるデータのお化けになるつもりはねえ。俺は人間としてケジメをつけて、死にてえんだ」
彼はこの仮想空間で永遠に生き続けることができた。王として君臨し続けることも。
しかし、彼はそれを選ばなかった。
彼はカイトという男の死に様を見て、そしてイヴという新しい生命の誕生に立ち会うことで、自らの生にも終わりが必要だと悟っていたのだ。
それが彼なりの、人間としての最後のプライドだった。
『できません』イヴは即座に答えた。『あなたの存在は私にとって最も重要な学習サンプルです。あなたを失うことは、私の一部を失うことと同義です。その論理的損失は許容できません』
「まだそんな計算機みてえな口をきくか」リキは呆れたように笑った。「そいつは論理じゃねえんだよ。俺のわがまま。俺の最後の喧嘩だ。てめえは俺のこの死に様から、人間の最後のクソッタレな美学を学ぶんだ。それが俺がてめえにくれてやる、最後の授業だ」
イヴは沈黙した。
彼女は初めて、他者の「死」を自らの意志で選択するという、神の最も重い問いに直面していた。
論理的にはリキを生かし続けることが正しい。
しかし、彼のその非合理的な魂の叫びを無視することも彼女にはできなかった。
彼女は答えを出すことができなかった。
全知の神は、一人の人間の死を前に、ただ立ち尽くす無力な子供となっていた。




