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スイート・マニュフェスト  作者: 八つ足ケンタウロス


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第3章: ガラスの楽園

移送用の自動運転車両の内部は、外の光を完全に遮断する、機能的なだけの鈍い灰色に塗られていた。揺れはほとんど感じない。スイート・マニュフェストが管理する道路網では、全ての車両がミリ秒単位で協調制御され、無駄な加減速は存在しないからだ。その滑らかさが、かえって現実感を希薄にさせた。まるで、自分の人生ではない、誰かの悪夢を追体験しているかのようだった。

海斗は、硬いシートの上で、ただ虚空を見つめていた。頭の中は、真っ白だった。母親のこと、失った仕事のこと、そしてこれから自分に何が起こるのか。考えようとしても、思考は霧の中を彷徨うだけで、何の形も結ばない。ただ、心臓だけが、冷たい鉄の塊になったかのように、重く、鈍い痛みを訴え続けていた。

向かいの席には、人間の護送担当官が一人、タブレット端末から視線を上げずに座っていた。彼の役割は、移送中に万が一、対象者が精神的に不安定になった場合の、人間による介入のためだと定められている。海斗のような「壊れた部品」を、次の工程へと運ぶための、監視役だ。

どのくらいの時間が経っただろうか。絶望に沈む海斗の心を読んだかのように、担当官が口を開いた。その声は、執行官やAIとは違い、微かな温度を保っていた。

「神崎さん、あまり思いつめないでください。メディアが面白おかしく報じるせいで誤解されていますが、特別区域は、昔の刑務所のような場所ではありません。罰を与えるための施設ではないのです」

その言葉は、静まり返った車内で、奇妙に響いた。海斗は、ゆっくりと顔を上げた。

「……では、何なんだ」

かろうじて、掠れた声を絞り出した。壁に向かって話しているような虚しさを感じながら。

「再社会化、という名称の通りですよ」担当官は、ようやく顔を上げた。その目は、同情的というよりは、カウンセラーが患者に接するような、職業的な優しさを湛えていた。彼は、海斗の社会的評価スコアや心理プロファイルデータを、手元の端末で確認しながら話しているのだろう。最も効果的な「宥め方」を、AIが彼に指示しているのかもしれない。

「そこでは、あなた方は『自由』に生活できます。もちろん、社会の安全を脅かさない範囲で、ですが。労働はありますが、それは社会貢献の一環であり、過酷なものではありません。食事も住居も、我々の社会と変わらない水準のものが、AIによって保証されています。スイート・マニュフェストの哲学は、罰ではなく、生産性と幸福度の維持にありますから」

その理路整然とした説明は、海斗のささくれた心に、わずかながら染み込んだ。

「暴力や……そういったことは」

「ありえません」担当官は、きっぱりと断言した。しかしその時、彼の視線が一瞬だけ、手元の端末に表示された規則集の隅に落ち、すぐに持ち上げられたのを海斗は見逃さなかった。「区域内は、数千のナノドローンによって24時間監視されています。暴力行為や、他者から何かを強制的に奪うといった行為は、即座に検知され、介入が行われます。マニュアルにもそう記載されています。安心してください。そこは、ある意味、我々の社会よりも安全な場所かもしれません」

『自由な社会です』

その言葉が、海斗の心に小さな波紋を広げた。絶望という分厚い氷に、一筋の亀裂が入る。もしかしたら、最悪の事態ではないのかもしれない。そこで真面目に暮らし、AIが定める「再社会化プログラム」を誠実にこなせば、いつかはこの悪夢から覚める日が来るのかもしれない。濡れ衣が晴れることはなくとも、社会復帰の道が残されているかもしれない。

「母は……私の母は、どうなるのですか」

海斗は、一番聞きたかった、そして聞くのが怖かった質問を口にした。

担当官は、一瞬、視線を端末に落とした。

「ご家族への影響は、規定に基づき、最小限に抑えられます。もちろん、あなたの社会的評価スコアの低下に伴い、いくつかの公的サービスのレベルは見直されることになりますが、生命維持に関わる医療サービスが停止されることはありません。それもまた、スイート・マニュフェストの判断です」

その言葉は、冷たい慰めだった。母は、生きることは許される。だが、より良い治療を受けるという、海斗の夢は、完全に絶たれたのだ。それでも、最悪の事態ではない、と彼は自分に言い聞かせた。彼は、そのか細い希望の糸に、必死にすがりついた。

車両が停止し、重いドアが開く。眩しい光に目を細めながら外に出た海斗は、息を呑んだ。

目の前にあったのは、物々しい鉄条網や監視塔ではなかった。天を突くほど高く、継ぎ目一つない滑らかな白い壁に囲まれてはいるが、その内側に広がるのは、一つの完成された近代都市だった。手入れの行き届いた公園、ガラス張りの居住タワー、そして、静かに空中を移動し、物資を運ぶ輸送ドローン。道行く人々の服装は様々で、その表情に、囚人という言葉から連想される悲壮感はない。まるで、どこかのリゾート地か、新興の学術都市にでも来たかのようだった。

「ようこそ、特別区域へ。あなたのIDは1676番です。これ以降、名前ではなく番号で呼ばれますが、ご了承ください」

案内役のドローンが、機械的な音声で彼を迎え入れた。ドローンに導かれるまま、彼は居住タワーの一つへと案内された。割り当てられたユニットは、独房というよりは、彼が以前住んでいた部屋よりも広いくらいの、コンパクトなワンルームマンションだった。ふかふかのベッド、壁一面のディスプレイ、清潔なシャワールーム。そして、テーブルの上には、温かい食事が置かれていた。栄養バランスが完璧に計算されているであろう、見た目にも美しいデリ。

海斗は、ベッドにゆっくりと腰を下ろした。窓の外では、夕暮れの光が、穏やかな街並みをオレンジ色に染めている。担当官の言葉は、本当だったのだ。

『ここなら、やっていけるかもしれない』

海斗は、ベッドにゆっくりと腰を下ろした。窓の外では、夕暮れの光が、穏やかな街並みをオレンジ色に染めている。担当官の言葉は、本当だったのだ。

偽りの罪で全てを奪われたと思っていた。だが、この場所には、まだ救いが残されているように思えた。海斗の胸に、偽りの判決以来初めて、安堵と呼べる感情が静かに広がっていった。

『ここなら、やっていけるかもしれない』


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