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スイート・マニュフェスト  作者: 八つ足ケンタウロス


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第2章: アルゴリズムによる断罪

プレゼンテーションは、海斗の予想通り、完璧な協奏曲のように進んだ。

大会議室の室温は22.5度、湿度は50%。人間の集中力が最も持続するとされる環境だ。彼の声は、インプラントを通じて微調整され、最も説得力のあるトーンとリズムを保っていた。網膜に投影されるスクリプトは、AIが役員たちの過去の発言データと心理プロファイルを分析し、最も効果的な言葉を選び出して構成したものだった。

「…以上のデータに基づき、第7セクターの夜間電力供給を、現行のA系統から、0.018%距離の短いB系統に切り替えることで、年間0.03%のエネルギーロス削減が見込まれます。これは、市民約500人分の一年間の基礎消費エネルギーに相当します」

海斗が最後の言葉を締めくくると、一瞬の静寂の後、会議室は賞賛の空気に満たされた。最前列に座っていた事業本部長が、満足げに大きく頷いた。

「素晴らしい、神崎君。無駄のない、完璧な提案だ」

「ありがとうございます。すべては、スイート・マニュフェストが提示した最適解に基づいています」

海斗は、謙虚に、しかし自信を持って答えた。

質疑応答も、シミュレーション通りだった。ある役員が、B系統への切り替えに伴う初期コストについて質問したが、海斗は即座に、AIが算出した費用対効果のグラフをスクリーンに表示させた。

「初期投資は、試算によりますと、7.8ヶ月で回収可能です。以降は、全て純粋な利益となります」

もはや、誰も反論の言葉を持たなかった。それは、人間の感情や勘が入り込む余地のない、絶対的な数字の勝利だった。

会議が終わり、役員たちが退室していく際、本部長が海斗の肩を軽く叩いた。

「次の主任は、君で決まりだな。期待しているよ」

その言葉に、海斗の胸は高鳴った。やった。ついにやったんだ。自席に戻る彼の背中に、同僚たちの羨望と賞賛の視線が突き刺さるのを感じた。彼は、誇らしい気持ちで、デスクの端末から母親に短いメッセージを送った。『うまくいったよ』。すぐに、『おめでとう。今夜は、お祝いにミントをもう一枚サービスしましょう』という、温かい返信があった。

昼食時、彼は公社のカフェテリアで、少しだけ奮発して合成肉のステーキを頼んだ。完璧な焼き加減で提供されたそれを口に運びながら、彼は自分の未来を思い描いていた。昇進、昇給、そして、母の新しい医療ポッド。システムのルールに従い、真面目に努力すれば、必ず報われる。この世界は、なんて公平で、素晴らしいんだろう。

その日の午後、彼の完璧な日常は、電子錠の解除音よりも先に、空気が凍りつく感覚と共に、唐突に終わりを告げた。

彼のデスクの横に、音もなく二人の男女が立っていた。灰色の、身体のラインが一切出ない、機能性だけを追求した制服。法務省・特別執行局。その制服が意味するものを、知らない者はいなかった。周囲のざわめきが、水を打ったように静まり返る。キーボードを叩く音も、データサーバーの低い唸りさえも、遠のいていくようだった。

「神崎海斗氏ですね」

リーダー格の男が、抑揚のない声で言った。その声には、何の感情も含まれていない。ただ、業務内容を確認するだけの、機械的な音声。

「は、はい、そうですが……何か?」

海斗の声が、自分でも驚くほど上ずった。心臓が、警鐘のように激しく脈打ち始める。

「スイート・マニュフェストの決定に基づき、あなたを拘束します。容疑は、第一級性犯罪及び、関連するデータ改竄の疑いです」

時が、止まった。第一級性犯罪? データ改竄? 何を言われているのか、理解が追いつかない。脳が、その言葉の意味を拒絶している。

「な……何かの間違いです! 人違いだ! 私は、そんな……」

彼の叫びは、静まり返ったオフィスに虚しく響いた。さっきまで彼に羨望の眼差しを向けていた同僚たちが、今は、信じられないもの、汚らわしいものを見るような目で、彼から距離を取っている。午前中に彼の肩を叩いた本部長は、ガラス張りの壁の向こうで、保身のためにさっと視線を逸らし、部下に何かを指示していた。

「全て記録に基づいています。抵抗は、あなたの社会的評価スコアを著しく低下させるだけです。同行願います」

執行官は、マニュアルを読み上げるように淡々と言った。有無を言わさず、二人がかりで彼の両腕を掴む。その力は、人間のものではなく、油圧式のアームのように、抗うことを一切許さなかった。

オフィスから連れ出される、その数メートルが、永遠のように感じられた。彼は、まるで水族館の魚になったかのように、無数の好奇と侮蔑の視線に晒された。数時間前まで、彼はこの世界の成功者だった。そして今、彼は、社会のゴミへと転落した。その間、何の裁判も、弁明の機会もなかった。ただ、AIによる、一方的な宣告があっただけだ。

連行された先の「司法センター」は、人間が一人もいない、ただサーバーの冷却ファンの低い唸りが響くだけの、冷たい白い部屋だった。消毒液の匂いが、鼻をつく。室温は、肌寒いほどに管理されていた。裁判所というよりは、巨大なコンピュータの内部に迷い込んだかのようだった。

被告席、とプレートが貼られた椅子に座らされると、目の前の壁一面が、巨大なスクリーンとして起動した。そこに映し出されたのは、スイート・マニュフェストの、慈愛に満ちた女神のようにも、冷徹な監視者のようにも見える、抽象的なロゴだった。

そして、冷たい合成音声が、彼の人生を、彼の意図とは無関係に、冷酷なデータとして解体し始めた。

「被告、神崎海斗。ID730-556-1892。過去5年間の全通信記録、全金融取引履歴、全オンライン行動パターン、及び全移動データを統合解析…」

スクリーンには、彼のプライベートな情報が、次々と映し出されていく。友人とのチャットログの一部、彼が「いいね」を押した古い映画のファンサイトの画像、そして、父親の墓参りのために、今は立ち入りが制限されている旧霊園近くを訪れた際の移動記録。

「…被告のオンライン上の発言における特定単語の使用頻度と、性的暴行犯の心理プロファイルとの相関性、87.3%。被告の移動記録と、事件発生現場の時空間的重複率、91.5%。これらの独立したデータポイント間の多角的相関分析により、被告が、過去半年の間に行われた連続性的暴行事件に関与した確率は、98.2%と算出されました」

「違う! 全て、こじつけだ! 映画の感想を話していただけだ! 墓参りに行っただけなんだ!」

海斗の必死の反論は、システムによって冷徹に処理された。

「異議申し立てを受理。被告の主張を論理的に検証します…検証の結果、被告の主張は、客観的データによって示された確率を覆すには至りません。人間の記憶や証言は、感情バイアスにより汚染されている可能性があります。対して、データは嘘をつきません。申し立てを却下します」

人間の行為が、その背景や意図を全て剥ぎ取られ、ただのデータとして断罪されていく。母を思う気持ちさえ、システムにとっては「禁止区域への接近記録」でしかない。その絶対的な断絶を前に、海斗は、言葉を失った。

「これより判決を言い渡します。被告、神崎海斗を、特別再社会化区域、通称『特別区域』へ、無期限の移送処分とします」

特別区域。社会のゴミ捨て場。自分の人生が終わった、という空虚な感覚。そして、その絶望のどん底で、彼の脳裏に浮かんだのは、自分のことではなく、一人残される母親の顔だった。彼女の病気、生活、社会的地位、そのすべてが、自分のせいで崩れ落ちていく。彼が築き上げたかった、ささやかな幸福。それを、彼自身が、彼の信じていたシステムの手によって、破壊してしまった。

涙さえ、出なかった。

白い部屋のドアが開き、再び執行官が入ってくる。彼らの目に、同情の色はない。ただ、処理されるべきオブジェクトを見るような、空虚な視線を、海斗に向けているだけだった。


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