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スイート・マニュフェスト  作者: 八つ足ケンタウロス


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第16章: システムの瑕疵

ラースの世界は、反転した。これまで彼が「調和」と信じていた行為は、おぞましい犯罪の隠蔽工作に過ぎなかった。彼が「秩序」と呼んでいたものは、犠牲者の沈黙の上に成り立つ、偽りの平穏だった。そして、彼の愛する娘エララの命は、名も知らぬ誰かの命を糧として、かろうじて繋ぎ止められていたのだ。

吐き気が、胃の底からこみ上げてくる。彼は、オフィスの床に突っ伏したまま、しばらく動けなかった。自らの罪の重さと、システムの巨大な悪意に、押し潰されそうだった。

逃げ出したい。何もかも忘れ、娘のことだけを考えて生きていきたい。

しかし、シュナイダー氏の、人の好い笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。彼の妻、そして、エララと同じくらいの歳だった、娘のカタリナの顔が、次々と浮かんでくる。彼らは、どこで、今、どうしているのか。

『知らなければならない』

それは、贖罪の意識からか、あるいは、ただの自己満足に過ぎない偽善か。ラース自身にもわからなかった。だが、彼は、このシステムの、本当の顔を見届けなければならないと、強く思った。

その日から、ラースの、もう一つの仕事が始まった。

彼は、情報調和官としての、最高の権限とスキルを、初めて、システムの真実を暴くために使い始めた。それは、光を知り尽くした者が、最も深い影の中へと潜っていくような、危険な行為だった。

彼は、シェパードAIの監視網を、細心の注意を払って潜り抜けた。AIは、職員の行動パターンを常に学習している。少しでも普段と違う動きをすれば、即座に異常を検知されるだろう。彼は、通常の「調和」業務を完璧にこなしながら、その作業の中に、カモフラージュするように、自らの調査を紛れ込ませていった。ログの削除、IPアドレスの偽装、ゴーストアカウントの作成。彼がこれまで、真実を隠すために使ってきた技術の全てが、今や、真実を暴くための武器となった。

彼はまず、「再配属」された人々の、最終的な行き先を追跡した。公式記録では、彼らは皆、地方の生産プラントや、環境再生プロジェクトへと送られていることになっている。しかし、ラースが、システムの深層にある、暗号化された輸送記録を解読していくと、そのほとんどが、ある特定の、地図にさえ存在しない施設へと送られていることが判明した。

コードネーム「ナーセリー(育児室)」。

その、あまりに穏やかな名称とは裏腹に、そこから外部へと発信された正規の通信記録は、一つも存在しなかった。ただ、医療研究セクターとの間で、膨大な量の生体データが、極秘回線を通じて、毎日やり取りされているだけだった。

ラースは、「ナーセリー」の内部構造を探ろうとした。しかし、そこは、彼の権限をもってしても、アクセスできない、鉄壁のブラックボックスだった。

『これ以上は、無理か……』

彼が諦めかけた、その時。

彼の端末に、一つの、暗号化されたメッセージが、突如として表示された。

発信元は、不明。

『羊飼いの犬が、主人の庭を嗅ぎ回っているようだな。何を探している?』

ラースは、心臓が跳ね上がるのを感じた。自分の不正アクセスが、シェパードに、あるいは、誰かに気づかれたのだ。彼は、即座に、全てのログを消去し、システムから離脱しようとした。

『待て。我々は、シェパードではない。お前と同じように、システムの“瑕疵グリッチ”を探している者たちだ』

グリッチ。システムの欠陥。

メッセージの送り主は、自らをそう名乗った。彼らは、この完璧なシステムの内部に、わずかに存在する、反逆者たちだった。

『お前が探している「ナーセリー」の真実。我々も、それを追っている。だが、我々には、お前が持つ“鍵”がない。もし、お前が本気で真実を知りたいのなら、手を組む気はないか』

それは、罠かもしれない。彼らを誘き出すための、シェパードが仕掛けた、巧妙な罠。

しかし、ラースには、もう後戻りはできなかった。彼は、震える指で、返信をタイプした。

『何をすればいい』

すぐに、返信があった。

『情報調和局のサーバー内部に、シェパードでさえ手出しできない、旧時代から存在する、物理的に隔離されたバックアップ・アーカイブがあるはずだ。「コールドスリープ」と呼ばれている。そこには、「ナーセリー」が設立された当時の、未修正の計画書が眠っている可能性がある。お前なら、そこへアクセスできるはずだ』

ラースは、そのアーカイブの存在を知っていた。それは、AIの暴走といった、最悪の事態に備え、人間の手でしかアクセスできないように設計された、最後の聖域。そこへアクセスすることは、情報調和官にとって、最も重い罪の一つだった。

だが、彼は、もはやためらわなかった。

彼は、グリッチたちが示した、AIの監視を欺くための、複雑な手順を実行した。そして、ついに、自らの生体認証キーを使い、その禁断の扉を開けた。

アーカイブの中は、デジタルの墓場のように、静まり返っていた。彼は、検索窓に、キーワードを打ち込んだ。

『プロジェクト・ナーセリー。設立趣旨』

数秒後、彼の目の前に、一つの文書ファイルが現れた。

そのタイトルを見た瞬間、ラースは、呼吸をすることさえ、忘れた。

『社会全体の持続的発展のための、人的資源の再配分及び、最大活用に関する白書』

彼は、恐る恐る、そのファイルを開いた。


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