第3話『第一投、最初の魚』 ◆ 後編:『初釣果、初の一膳』
「お、おい……あんな大物を、一本竿で……!」
港に集まった大人たちは、まるで幻でも見たような顔で立ち尽くしていた。
クラリッサの足元では、銀鱗のハヤリウオがまだ尾を打っている。
「水温と潮の流れを見たら、この辺に潜んでると踏んだのよ。
仕掛けは底をかすめるギリギリで流して……って、まあ細かいことは後で」
と、言うや否や。
彼女は小さな腰袋から、見慣れないナイフとまな板を取り出した。
「ここで、さばくのか?」
「魚は時間との勝負よ。傷まないうちに締めて血抜き、内臓処理まで済ませる」
その手際は、まるで職人だった。
エラにナイフを入れ、神経締め。
背骨に沿ってスッと刃を走らせる。
ウロコも無駄なく落とし、海水で洗い流す。
そしてクラリッサは、周囲に言った。
「――炭、借りられる? それと塩。焼きたいの」
村の青年があわてて七輪を持ってきた。
小石でかまどを即席で作るクラリッサ。
炭火が立ち上がる。
魚の腹にはレモン代わりに“ラスタ草”を詰めて、
表面に粗塩を振る。
「よし、塩焼きいっちょ。仕上がりまで静かにね。焦げ目で風味変わるから」
パチ……パチ……
魚の脂が炭に落ちる音が、港の静けさに響いた。
やがて香ばしい香りがあたりに立ちこめる。
「……うまそう……」
「こんな匂い、いつぶりだ……?」
焼きあがった一尾を、まず子どもに手渡すクラリッサ。
「塩、足りなかったら言って。あと小骨には気をつけて」
子どもはおそるおそる口に運び――目を丸くした。
「……おいしい!!」
その一言に、大人たちがざわめく。
そのあと数尾を同じように焼き、
大人たちにも切り身をふるまった。
無言で食べていた村長が、ふと口を開く。
「……これは、確かにハヤリウオだ。
それも、脂の乗った良型。……どうしてこれがまだ、この湾に?」
「魚がいなくなったんじゃない。ただ、居づらくなっただけです。
場所を読めば、まだチャンスはある」
クラリッサの声は静かだった。
村長は、彼女の顔を見つめてから、ふっと鼻を鳴らした。
「……なるほど。釣り竿を持った、ちょっと変な“令嬢”だとは聞いていたが――
どうやら、“本物”らしいな」
夕暮れ。
釣り道具を片づけるクラリッサの背中に、子どもが声をかける。
「ねえクラ姉、また釣り教えてよ!」
「いいけど、“餌つけ”は自分でやるのよ?」
「うん!」
笑い声が波の音に混じって、やわらかく港を包んでいく。
クラリッサは、心の中でつぶやいた。
(よし、まずは……一匹釣った。
魚と、ちょっとの信頼。これが最初の一投――)