第3話『第一投、最初の魚』 ◆ 前編:『釣りを教えるということ』
「ねえねえ、クラ姉ー! 釣り、ほんとにできんの?」
朝の港。
まだ太陽が低く、風の気配もおだやかな時間帯。
クラリッサのまわりには、村の子どもたちが数人集まっていた。
「“悪役令嬢”って聞いたけど、なんか違うよね」
「なんで貴族なのに泥だらけで釣りしてるの?」
「その袋の中身なにー? え、ミミズ!?」
クラリッサは子どもたちに囲まれて、
足場の悪い防波堤に小さな釣り座を構えていた。
「はいはい質問攻め禁止ー。釣りは集中が命なの。まずは“しかけ”を組むとこから見せてあげる」
取り出したのは、小型の竹竿。
仕掛けはシンプルなウキ仕掛けだが、
重りのバランス、ウキの感度、針のサイズなど、すべてが緻密な調整でできていた。
「まずはこの重り。“沈みすぎず、でも潮に流されない”ギリギリを探るのよ」
「エサはこの子、赤虫ちゃん。反応のいい時間帯は、だいたい日の出から一時間くらい」
クラリッサの手つきは流れるようだった。
「……すごい。なんか先生みたい」
「ていうか、ほんとに“釣り人”なんだ……」
一投目。
糸がふわりと宙を舞い、小さなウキが海面に落ちた。
しばらく沈黙が続いたあと、
ウキが――すっと沈んだ。
クラリッサは即座に反応。
手首を返し、竿を持ち上げる。
ギッ――!
竿がしなった。
子どもたちが歓声をあげる。
「かかった!」「うわ、でっか……!」
「――引くわね。よし、こっちも本気出すわよ」
糸が海面を滑り、竿が弧を描く。
小魚ではない。中型、いや大型――
クラリッサは立ち上がり、足でバランスをとりながら慎重に糸をさばいた。
だがそのとき、港の奥から怒声が飛ぶ。
「――何をしている! 子どもたちを勝手に港に連れ出して!」
村長だった。
厳格で知られる、白髪の老人が杖をついて近づいてくる。
「釣り? ふざけるな。ここは遊び場じゃないぞ。
この海はな……もう終わった海なんだ。昔の夢で子どもを惑わすな」
一瞬、空気が張りつめた。
だがクラリッサは、怒鳴られても微笑を崩さなかった。
「いいえ、“終わってない”わ。
――だって、ほら」
そう言って、彼女は最後の一引きをかけた。
水面がはねた。
次の瞬間、大きな銀色の魚が飛び出し、
クラリッサの足元でバシャリと暴れた。
「お、おい……!? あれは“ハヤリウオ”じゃねぇか!?」
「昔は湾の奥にたまに入ってたが、もう十年は見ねぇ魚だぞ!」
子どもたちの歓声があがる。
クラリッサは魚の頭を押さえ、涼しい顔で言った。
「この海、まだ“釣れる”わよ」
(次回:後編『初釣果、初の一膳』へ続く)