第2話『漁村、空気重し』 ◆ 後編:『この海を“釣れる海”にする』
「こりゃあかん……」
港の近くで作業していた漁師が、ため息をついた。
「水が腐ってる……いや、流れねぇから濁ってる。
海の底が腐葉土みてぇになってるんだ。もう魚なんか寄りゃしねぇよ」
「昔はここにもマグラとか赤ホシとか、群れが来てたんだけどなぁ……」
「誰が来たって無駄さ。まして、貴族のお嬢様にゃなあ……」
そのとき。
「ねえ、それ、詳しく教えてもらえる?」
いつの間にかクラリッサが、真横にいた。
釣り袋を片手に、興味深そうに顔をのぞかせている。
「えっ……いや、あんたに話すようなことは……」
「私、“魚の行動と海の構造”についてはちょっとうるさいの。
港湾構造の乱れで水流が偏ってるとすれば、流れを戻す手もあるし。
水質浄化なら、ちょっとした魔道触媒で濾過もできるし――」
早口でまくしたてたかと思えば、
次の瞬間には手帳を開いて、ぐいとメモを取っていた。
「……この湾、底に変な堆積物あるでしょ。水が澱んでんのよ。
それが腐敗して、魚が近寄らなくなる。
“澱みと反転潮流の罠”ね。前世でも嫌ってほど見たわ」
漁師たちは、ポカーンとしていた。
「お……お前、何者だ?」
「悪役令嬢(元・釣り好き中年)よ?」
さらっと言い放ってから、クラリッサは港の先端へと向き直った。
「大丈夫。この海、“釣れる海”に戻せるわ。
まずは湾内の流れを読み直して、水中障害の確認から。
ついでに、潮目のズレと魚の回遊ルートを再構築……ふふふ」
村人たちは、もはや口を挟むタイミングを見失っていた。
その日の夕方。
クラリッサは海を前に、一人メモ帳を広げ、釣り座の候補を三箇所マークしていた。
「明日から本格的に動くわよ、この“死んだ海”を釣り人の楽園にしてあげる――」
海は答えない。
けれど彼女には、海の呼吸が聞こえるような気がしていた。