第18話:水の都、淀川の戦陣
京での朝廷工作の糸口を掴み、木下藤吉郎は本隊に合流した。藤原景行という協力者を得たことは、半兵衛の戦略に新たな可能性をもたらした。公家の人脈は、畿内の複雑な勢力図を読み解く上で、そして朝廷への働きかけを行う上で、非常に価値があった。蜂須賀小六率いる大軍は、畿内制圧のため、淀川水系沿いを進んでいた。時は初夏。水辺には緑が茂り、鳥の声が響いている。しかし、その風景とは裏腹に、軍勢の進軍は緊迫感を孕んでいた。
「畿内制圧の鍵は、淀川水系にあります。ここを抑えれば、京への道は開かれ、物資の輸送も容易になる。そして何よりも、この淀川水系は、我ら川並衆の本拠地である木曽川水系とよく似ています。ここならば、我々の能力が存分に活かせます。淀川は、我々の味方となるでしょう」半兵衛は、淀川の地図を広げ、小六と藤吉郎に語った。川並衆は、淀川水系を自在に駆け巡り、敵の予測できない動きで撹乱することができる。それは、美濃で織田信長を破った時と同じ戦略の応用だった。
畿内には、三好家や松永久秀といった有力勢力がいたが、彼らは信長の死後の混乱に乗じて互いに争っており、一枚岩ではなかった。半兵衛は、彼らの間の対立を利用し、各個撃破する戦略を立てた。具体的には、まず淀川沿いの要衝を抑え、彼らの連携を断つ。同時に、藤吉郎を通じて彼らの家臣や周辺勢力に内応を促す。「三好家には内紛があり、松永久秀は周囲から恐れられているが、その反面、敵も多い。彼らの隙を突くのです」。
小六勢力は、淀川沿いの城や拠点を攻め始めた。それは、力攻めばかりではなかった。藤吉郎は、持ち前の交渉術と情報網を駆使し、相手勢力に内応や降伏を促した。彼は、小六の情け深い人柄と、皆が安心して暮らせる新しい天下の理想を語り、戦乱に疲弊した人々の心に響かせた。「戦って血を流すよりも、蜂須賀様のもとで平和な世を迎えませんか?貴方方のこれまでの苦労は、必ずや新しい世で報われます。蜂須賀様は、出自や身分で人を差別しません。貴方方の才覚を必要としておられます」。彼の言葉は、多くの小勢力や国人衆を動かした。彼らは、力ずくで全てを奪う他の武将たちとは違う、小六勢力に希望を見出したのだ。
戦闘においては、川並衆の能力が光った。淀川の支流を「早舟」で高速移動し、敵の側面や背後から奇襲をかける。水の流れや水位を利用して、敵の進軍を妨害する罠を仕掛ける。湿地帯や水辺の茂みに身を隠し、神出鬼没のゲリラ戦を展開する。彼らの戦い方は、畿内の武士たちにとって、未知の、そして恐るべきものだった。武士の常識である平地での会戦や城郭での籠城戦とは全く異なる、水の地の利を最大限に活かした戦法だった。彼らは、水の精霊か、あるいは妖怪かと恐れられた。
例えば、淀川沿いの要衝である一つの城を攻める際、半兵衛は城の守りが最も手薄になる時間帯と、城の構造上の弱点(水門の場所など)を予測し、藤吉郎は城内の内応者と連絡を取り、川並衆は夜間に静かに舟で城の裏手に忍び寄り、水門を開けるといった連携を行った。月の光だけを頼りに、彼らは静かに作業を進める。城門が内側から開けられると同時に、水路を通って城内に突入した川並衆が、混乱に乗じて城をあっという間に制圧した。それは、最小限の犠牲で、淀川水系の重要な拠点を手に入れた勝利だった。彼らは、水面下から現れる幽霊のように敵を驚かせた。
小六は、前線で川並衆を指揮した。彼は、彼らの能力が畿内の戦でこれほどまでに有効であることに驚き、そして誇りを感じた。彼自身も、舟上での指揮や、水辺での戦いにおいて、川並衆の頭領としての経験を存分に活かした。舟の操り方、水流の読み方。それは、彼が故郷で培った技術だった。彼の勇猛さと、部下への揺るぎない信頼は、川並衆の士気を高めた。「頭領についていけば、どんな戦でも負けねぇ!」「俺たちの頭領は、水の上では誰にも負けねぇ!」。男たちは小六を信じて戦った。
淀川水系での戦いは、半兵衛の戦略と川並衆の能力が完全に噛み合い、小六勢力に圧倒的に有利に進んだ。畿内の小勢力は、川並衆の異質な戦い方と、藤吉郎の巧みな調略によって次々と降伏していった。彼らは、かつての武力一辺倒の戦いではなく、知略と地の利、そして人心掌握によって勢力を拡大していく小六勢力の姿に、新しい時代の戦い方、そして希望を見出した。
畿内制圧は、着実に進んでいた。淀川という水の動脈を抑えたことは、京への道を大きく開いたことを意味していた。水の都、淀川沿いの戦いは、小六勢力が畿内という新たな舞台で、その力を天下に示すための、そして天下統一という目標に向け、彼らの船をさらに加速させる、重要な第一歩となった。淀川の水は、彼らの船を京へと、そして天下の中心へと押し流そうとしていた。