第14話:友情と覚悟、前田利家とねね・まつ
尾張・三河の制圧は、蜂須賀小六勢力に大きな力と、新たな仲間をもたらした。特に、織田家の旧臣であった前田利家を味方につけたことは、軍事力、そして将来的な家臣団の基盤を築く上で極めて重要だった。尾張・三河という豊かな土地の掌握は、小六勢力の経済力を大幅に高めた。稲作が盛んな三河と、商業が栄える尾張。それぞれの利を活かすことで、小六勢力は財政的に盤石となりつつあった。
前田利家は、武勇に優れ、「槍の又左衛門」として信長にその武勇を認められた猛将だった。織田信長からの信頼も厚く、多くの戦場で功績を挙げていた。信長の死後、織田家内部の混乱を目の当たりにし、利家はその行く末に深く迷っていた。誰に仕えるべきか、あるいはこの乱世をどのように生きるべきか。武士としてどうあるべきか。かつて共に信長の家臣として働き、多くの戦場を駆け巡った木下藤吉郎とは、若い頃からの盟友だった。共に馬を駆り、共に汗を流し、共に酒を酌み交わし、時には些細なことで本音をぶつけ合い、喧嘩もした、気の置けない仲だった。藤吉郎の出自は低かったが、利家は彼の才覚と人柄を高く買っていた。
藤吉郎は、利家のもとを訪ね、熱心に小六への臣従を説いた。二人は久しぶりに顔を合わせた。利家の屋敷の庭で、静かに酒を酌み交わした。晩秋の風が木々を揺らし、枯葉が舞う音が聞こえる。昔話に花を咲かせながらも, 話は次第に真剣なものになっていった。藤吉郎は、自分が日吉丸だった頃の飢えや孤独、小六という男にどれほど救われ、彼を父のように慕っているか。川並衆という家族を得て、初めて人間らしい温もりを知ったこと。そして、半兵衛という天才軍師と共に、小六こそがこの乱世を終わらせ、皆が安心して暮らせる新しい天下を築ける器であると信じているか、を熱く語った。彼の言葉には、単なる策略家としての顔だけでなく、人間としての藤吉郎の根幹にある情熱が滲んでいた。
「又左衛門…俺は、小六のおっちゃんこそが、真に天下人にふさわしいと思っている。あのおっちゃんは、誰に対しても分け隔てなく情をかける。出自や身分なんて気にしねぇ。俺たちのような底辺の人間にも、惜しみない情けを注いでくれた。川並衆の皆が、あのおっちゃんを慕っているのを見ただろう?あれが、あのおっちゃんの器なんだ。半兵衛様の知恵と、俺の力で、あのおっちゃんを天下人にするんだ。そして、情け深い、皆が腹一杯飯を食って笑って暮らせる世を創る。血筋や家柄で人が判断されるのではなく、誰もが自分の力で生きられる世だ。お前が信長公に仕えていた頃、天下泰平を願っていたことを、俺は知っている。お前の真っ直ぐな心は、今の淀んだ世には勿体ねぇ。この計画に、お前の力が必要なんだ!お前の武勇と、お前の真っ直ぐな心が必要なんだ!お前のような男が、新しい天下を支えてくれなきゃ、意味がねぇんだ!」。藤吉郎の瞳には、かつて日吉丸だった頃の、純粋な輝きと、理想への強い希望が宿っていた。それは、彼の野心と理想が、小六への深い絆と結びついていることを示していた。彼の言葉は、利家の心に深く響いた。藤吉郎の熱意と、彼が語る小六という人物像は、利家が知る他のどの戦国大名とも異なっていた。
利家は、藤吉郎の言葉に心を打たれた。天下人を目指す者は数多いるが、盟友を天下人に担ぎ上げようという男は、藤吉郎ただ一人だった。そして、その藤吉郎が、そこまで惚れ込む蜂須賀小六という男にも強い興味を持った。利家自身、信長に仕えながらも、その苛烈さに疑問を感じることもあった。彼の天下は、力による支配であり、どこか冷たいものだった。藤吉郎が語る「情け深い天下」という言葉は、利家自身が漠然と求めていた、新しい世のあり方に通じるものだった。
「…藤吉郎。分かった。お前がそこまで言うのなら、俺は信じよう。そして、賭けてみよう。お前と、その小六という男に。俺も、もう今の世に倦んでいるんだ。血と裏切りばかりの世は、もう御免だ。武士の意地も誇りも、血に泥にまみれて見えなくなりそうだ。新しい世が本当に来るのなら…俺の槍で、その世を切り開いてみせる」。利家はそう言い、小六への臣従を決意した。それは、彼自身の武士としての誇りと、盟友への深い信頼、そして新しい時代への期待からくる、重い覚悟の決断だった。信長という巨木が倒れた今,新しい時代を創るために,自分が何をすべきか,利家の中で答えが出た瞬間だった。
利家の妻、まつも、夫の決断を支持した。まつは、武家の妻としての強さと賢さを持つ女性だった。冷静沈着で現実的な視点から物事を判断する彼女は、夫の心の内を誰よりも理解していた。利家が藤吉郎と語り合う様子を静かに見守っていたまつは、夫の決断に迷いがないことを確認し、共に小六勢力に加わる覚悟を決めた。夫の夢を、共に追いかける。
そして、まつはそこで藤吉郎の妻、ねねと出会うことになる。ねねは、藤吉郎の秘密の計画を知る、彼の最も近しい理解者であり、心の支えだった。彼女は、小六勢力内の女性たちや、新しく加わった家臣たちの妻たちのまとめ役となり始めていた。彼女は持ち前の包容力と明るさで、出自や身分に関係なく、様々な女性たちを温かく迎え入れ、まとめ上げていた。まつの加勢は、ねねにとって大きな喜びだった。二人は初めて会った時から意気投合し、深い友情で結ばれる。ねねの包容力と明るさ、まつの現実的な視点と揺るぎない強さ。二人は互いを補い合い、小六勢力の内側、特に女性たちの間での連携と結束を強めていった。彼女たちは、夫たちの戦いを支えるだけでなく、情報収集や人心掌握、あるいは勢力内部の調和といった、女性ならではの視点と能力を活かし、新しい世を築くという彼らの理想を、内側から支え、具体化していく重要な役割を担うことになる。ねねは、まつと共に、新たな城下町の整備や、民衆の生活支援、孤児や寡婦の救済など、具体的な政策にも関わっていくことになる。まつは、ねねと共に働くことで、この小六勢力が単なる武力集団ではなく、本当に新しい世を創ろうとしていることを肌で感じ、その理想への共感を深めていった。女性たちの力もまた、新しい時代の礎となっていた。
前田利家とまつという有力な武将とその妻を味方につけたことは、小六勢力の拡大をさらに加速させた。彼らは、軍事面だけでなく、旧織田領の統治においても重要な役割を果たすようになる。小六勢力は、武力と知略だけでなく、情と絆、そして多様な人々を受け入れる寛容さによって、その基盤を強固にしていった。それは、従来の戦国大名とは全く異なる、新しい時代の勢力だった。
急速な勢力拡大は、小六をさらに高みへと押し上げていく。戸惑いを隠せない小六を、藤吉郎と半兵衛、そしてねねとまつをはじめとする新たな仲間たちが、それぞれのやり方で支え始めていた。天下統一という、遠くに見えていた目標が、現実味を帯びて近づいてきていた。尾張・三河を制圧した小六勢力は、次なる巨大な舞台、畿内へとその目を向け始めていた。風はさらに強く、大きく吹き始める。