第28話
――――18時過ぎ。
前までなら素振りなど自主練をしていた時間。
夕日が落ちて、月日が太陽に変わって地上を照らす時間。
勉強に気乗りしないワタシは、特に意味もなくバットを背負って土手に来ていた。
「・・・・・・きれい」
何もしない。
コルセットで息苦しくなるけれど、川の近くの堤防に腰を掛けて月を写す川を眺めていた。
ただがむしゃらにバットを振っていた土手も災害の為に修繕中で、よく素振りしていた地面もコンクリートに埋め尽くされつつある。
この堤防も、ここ1年でできたものだ。
むかしの景色を、ワタシは忘れてしまうのだろうか。
ワタシもいずれ、ワタシがいたということを忘れ去られて。
それが人の普通の生活になっていくのだろうか。
・・・・・・生きるってなんだろうか。
幸せになること?
愛し、愛されること?
社会に価値を創り出し還元すること?
――――ワタシってなんだろう?
そんなことを考えていると、
がさり、と翳る足元の草むらが揺れ動く音が聞こえてきた。
「なんだろう?」
堤防から降りて、足元を確認してみる。
そこにいたのは――――蛇だった。
全身を覆う漆黒の鱗は月光に照らされ不気味に紫に輝き、口元を大きく膨らましたそれは。
「・・・・・・どういう、こと?」
季節に合わない。
いるはずがない。
だけど、独りで。
ひっそりと、生きていたのか。
まず、蛇がそれを食べるのだろうか。
わからないけれど。
ワタシは酷く不安で。気持ち悪くて。怖くて。
その場から素早く走り去った。
「・・・・・・っ!」
怖い。自分が消されてしまいそう。消えてしまいそう。
――――昆虫はヒトと違って短命だ。
特に蜻蛉・・・・・・それは寿命が他の昆虫と比べても短いとされている。
ワタシが見たものは、蜻蛉ではない。
かつてはそれと同一のように見られていながら、いつの時代か別種として認識されるようになった蜻蛉
黒い躰に細かな翅脈。
嫉妬の動物の一つとされるもの。彼の文学の一文のように、嫉妬の目の色をした蜻蛉。
こんな真冬の時期まで生き続けた最期が、食われることなんて。
ワタシは、彼とワタシと重ねてしまったのか。
このまま生き続けても、いずれいろんな物事に身体も心も貪られるだけ。
背の中が震え冷え、手は震え、目に酷く力が入る。
あれが、いつかのワタシ。
あれが、ワタシの行く末。
ならば・・・・・・ならば。
そんな意識も。恐怖も。
ポケットの中の振動で、一瞬だけ楽になった。
母からの連絡だろうか。
冷静になって電話を取り出すがバイブルが止まらない。
「・・・・・・でんわ?」
見たことのない電話番号。
しかしながら海外のものではないだろう。
一応、出るだけ出てみることにする。
「・・・・・・もしもし」
「もしもし。飛月未来さんのご連絡で、お間違いないでしょうか」
「そう、ですが」
冷静そうな口ぶりながら、しかしどこか早口な電話越しの声。
その裏で鳴り響くピロロロという少し高めの機械音。
次の言葉を聞く前に、なんとなく何が起きたかを。
・・・・・・わかってしまった。
「十数分前にこちらにお母様が搬送され、意識が戻っておりません。
今からこちらに来ていただくことはできますか」
「・・・・・・くも膜下出血です。
お母様は高血圧をお持ちだったそうですが、薬も飲まずにストレスにさらされてしまったためか。このような結果に」
映る脳を移した写真。
医者が指し示したのは、左脳側の白い線。
「この症状では、おそらく右半身に影響がでると考えられます」
「えいきょう、って・・・・・・?」
「右半身の・・・・・・麻痺です」
「・・・・・・」
「まだ意識は戻っていない状況です。このまま戻らなければ恐らくもって1年かと」
「・・・・・・」
それから、どうしたのだろうか。
何故か次の日に普通に学校に行って、いつも通りに過ごして。
これから自分に来るであろう負担に少し心を痛めて。
家にも帰らず、土手の堤防に佇んでいた。
そこに蜻蛉はなく、蛇の姿もない。
「未来ちゃん・・・・・・!」
夕日指す河川で、初めて名前を呼ばれた。
鈴の音のように心地よい声に、ワタシは自然と後ろを向いてしまう。
橙に照らされ、太陽のように輝く黄金の波。
制服に身を包んだ、お人形のような彼女。
きっと。これで最後だ。
――――優しい月明かりに恋焦がれたワタシに、今の貴方は眩しすぎる。
最近、時間の流れが速すぎて取り残されそうになります。
残り2話、1か月あっという間です。




