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花と屍

作者: 天智ちから


 ――死霊術。死体による占いや死者の魂を呼び出して対話をする術である。噂では死者を甦らすことすら出来るとか。


 トントントン、トントントン。

 戸を叩く音が静かに響く。


「あの、ここに死霊術師がいると聞いたんですが……」


 町外れの廃墟通りのボロ屋に頭から布を被って顔を隠した女性が訪れた。

 どうやら死霊術師に用があるらしい。

 しばらくしてギィィと音を立ててボロ屋から黒髪の女性が現れた。


「どうぞこちらへ」


 黒髪の女性は来客者をボロ屋の中へ案内した。

 どこもかしこも古ぼけて床は歩く度に軋んでいる。時々鳴る家鳴りにビクつきながら女性は黒髪の女性から離れないように後ろを歩いてついて行く。

 中は薄暗く、時折ある燭台の蝋燭の灯りだけがぼんやりと光っている。

 廊下に飾られた何かの頭蓋骨が気味悪くこちらを見つめている。まさに死霊術師の住処だ。

 突き当たりの部屋の扉を開けその中へ入るように言われ、意を決して女性はその部屋へ入る。


「死霊術をご希望だとか」

「はい……」


 古びた椅子を勧められ、素直に座る。

 部屋は暗くて死霊術師の顔は見えない。


「私が死霊術師カバネでございます。マダム、貴女のお名前を聞いても?」

「私は……エリーズ・アダンです」

「それで、今日はどんなご用事で?」

「シリル・アダンを……私の夫を、生き返らせてください……!」



 音を立てずにカバネとエリーズの前にお茶が置かれる。

 先程の女性だ。そのまま女性は机の上に置かれた燭台の溶けかけた蝋燭に火を灯す。

 すると先程はよく見えていなかったカバネと女性の顔がやっとはっきりと見えた。


「っ……カバネさん、そのお顔は……」


 カバネには左目が無かった。そして無い方の顔は酷く爛れていた。手の色や爛れていない顔の色から素肌は褐色なのだと思う。

 驚愕と少しの恐怖に染まったエリーズの顔を見てカバネは満足そうに笑った。


「ああそうだ。こちらのレディは私の助手、ザフラという」

「ザフラと申します。マダムエリーズ・アダン」


 ザフラと呼ばれた女性はカバネに寄り添った。

 褐色肌に白い髪のかつては美しいと持て囃されたであろう整った顔が半分崩れた死んだ目をした男と、病的なまでに白い肌をした黒髪の光のないオッドアイの美しい女性。

 対称的な見た目の2人は美しく、どこか歪だった。


 2人が顔を見せたことで、エリーズも顔を隠す布を取り払った。

 そこには顔の半分以上をやけどに覆われた齢50前後の女性の姿があった。


「さてマダムエリーズ。私の依頼料はお高いのはご存知かな?」

「もちろんです。いくらでもお支払いします」

「よろしい!では早速依頼の方を詳しく聞こう」


 そう言って死霊術師カバネはお茶を1口飲んだ。


「私の夫は数日前の火事の時、亡くなったんです」

「それはそれは、お辛いでしょう」

「夫は殺されたんです」

「確か……その火事は不審火だったとか」

「……火をつけられたんです!!あの男に!!」

「ふむ……」

「オーバン・モクレール……!全てあの男が仕組んだことなんです」


 これは何かあるとカバネは足を組んでエリーズの言葉を待った。


「モクレールとシリルは旧友でした」


 オーバン・モクレール。確か実家はかなりの資産家だが素行の悪さが目立ち絶縁されたと一時期噂が流れていた。

 金遣いが悪く、酒を飲むと気性の荒さが現れよく通報されては金にものを言わせて釈放されていた。それも絶縁されてからはなりを潜め大人しく暮らすようになりオーバンの名前を聞く機会はなくなっていたが、まさかここで聞くことになるとは。


「学生時代、モクレールは大人しく虐められるような気弱な男の子でした。シリルはよく彼を助けていました。モクレールはシリルに懐き、弟や妹がいたシリルはモクレールを弟のように思っていたのです。……なのに、」

「火をつけた」

「あの男はシリルに借金をしていました。返済の催促に向かったシリルと喧嘩になり、シリルは怪我をして帰ってきました。その日から、モクレールから嫌がらせを受けるようになったのです」


 金絡みの揉め事が人を殺してしまうところまで発展してしまった。

 学生時代は自由に使える金が無かったのだろう気弱な少年が、大人になりいきなり家にある大金を使えることになった。そして気弱な少年はどんどん歪んでいったのだ。

 それでもシリルは信じた。あの時、笑いあった時間は本物だったのだと。きっと自分のことは裏切ることはないのだと、そう信じていた。

 しかし、それは最悪な形で裏切られた。


「最初は些細なことでした。ゴミを置かれたり、落書きをされたり。次第にネズミや猫などの動物の死骸まで家の前に置かれるようになりました。そして――あの事件が起きたのです」

「なるほど。それを証明する手立ては?」

「ありません。嫌がらせの目撃者はいても、絶縁されたはずの実家が出てきてお金を握らせて無かったことにしたのです。絶縁しても息子は息子。実家の評判を落とす可能性のあることは少しでも消したいのでしょうね……」

「私に支払うほどの財産があるのなら、街を出るか……それこそ司法に頼った方がよろしいのでは?」


 エリーズはカバネの言葉に自嘲しながら首を横に振った。手には力が入っているのか、小刻みに揺れていた。


「裁きたいのではありません。借金の返済も求めません。恨むことには、もう……疲れたのです。私は、シリルがいればそれで良いのです」

「けれど、シリル・アダンはもういない」

「だから、貴方に頼みに来たのです。生き返らせることが出来ないのなら、一度でいいからもう一度、話がしたい……!」


 泣きながら懇願するエリーズを見下ろしたカバネはそっと目を閉じて深呼吸をする。

 愛した人の死。そしてその死は、愛した人が信じていた人によって引き起こされた。その痛みは苦しみはどれほどだろうか。


「ザフラ、用意を」

「すぐに」


 ザフラは部屋を出てカバネから言われた用意をしに奥の部屋へ向かう。


「死霊術には大きな対価がいる」

「私に差し出せるものならなんでも渡します……!」

「命でも?」

「はい……!」

「……。よろしい!」


 カバネは椅子から立ち上がり、かかっていた杖を手に取るとザフラの向かった奥の部屋の扉に手をかける。


「死霊術師カバネの御業、とくとご覧あれ」


 手で奥の部屋へ進むことを促されたエリーズはごくりと喉を鳴らし、覚悟を決めてその部屋の中へと足を踏み入れた。



 その部屋の中は窓を黒いカーテンで閉められており四方にある燭台に置かれた蝋燭に照らされている。

 部屋の中央には向かい合うようにして椅子が2つ置かれている。そして椅子の片方にはフードを目深に被った黒い長い上着を着た人が座っていた。

 ザフラが椅子を引きエリーズに座るように指示する。

 それに従い座ると、向かいにいるフードの中が見えた。

 それは人ではなかった。


「人形……?」

「よく出来ているでしょう?死体から作ったんですよ」

「っ!!」


 死体から出来ている。その言葉に恐怖を覚えたエリーズの顔は青ざめていた。口を抑え吐き気を押し込める。


「あは。冗談ですよ。ただの人形です」


「ほら」と人形の腕を外してエリーズに見せる。確かにそれの断面は人工的なものだった。関節の部分は球体になっており、それがこれは人形なのだと伝える。

 そのことにほっとして口にあてていた手を下げる。


「死霊術師ほど、死体を大事にする人はいないでしょうね」

「え……?」

「いえ。シリル・アダンさんでしたね。生き返らせることは出来ませんが、対話をさせることは可能です」

「本当ですか!?」

「ええ。今からこの人形くんに、シリル・アダンさんの魂を降ろします。何かシリル・アダンさんの持ち物は?」

「彼が……生前ずっと付けていた結婚指輪です」

「十分ですよ」


 黒い絹の手袋をはめてエリーズから指輪を受け取ったカバネは、人形の指に指輪をはめる。

 それを見ていると先程は気づかなかった人形の下にある模様が目に付いた。恐らく死霊術に使う陣のようなものなのだろう。

 エリーズに黒曜石で出来たナイフを持ったザフラが近づいた。


「マダムエリーズ。こちらを」

「これは……?」

「そのナイフで貴女の血を頂きたい」


 エリーズは先程のカバネの言葉を思い出した。「死霊術には大きな対価がいる」「命でも?」

 もしかすると、このナイフで自分の首を切らなければいけないのかとナイフを持つ手が震える。


「ああ、指先を少し切るだけで結構」

「あ、ああ……そうなのね」


 エリーズはナイフを指先にあてた。

 ピリッ。指先が切れたことにより痛みが広がる。

 溢れ出た血をナイフの側面で受け止める。数的血を垂らすとザフラがそれを受け取りカバネに渡す。

 傷口の手当をザフラがしている内にカバネは最後の準備に取り掛かった。


 人形の唇がエリーズの血によって赤く染まっていた。


「さぁ。心の準備はよろしいですか?」

「……はい」

「それでは……呼びたい者の名前を」

「シリル……シリル・アダン」


 名前を呼んで数秒。その数秒がエリーズには長く感じた。そして人形が赤い口を開いた。


「エリー……ズ」

「シリル……!」


 まだ馴染んでいないのか言葉がつっかえている。しかし人形から発せられたものは確かにシリル・アダンのものだった。

 言葉を話したことを確認したカバネとザフラは2人から少し離れ壁側に移動した。


「シリル……。ああ……! 本当に貴方なのね」

「エリーズ……」

「ごめんなさい……!私、貴方を殺したあの男を捕まえられなかった!」

「いいんだ、エリーズ」

「それに、1人で逝かせてしまったわ」

「君が生きていて、僕は、嬉しい」


 エリーズは泣きながらシリルが降りた人形と話し始めた。


「顔に……傷が。痕は、残るの、かい?」

「そんなこといいの。残ったっていいわ」

「君が……傷つくの、は、嫌、だなぁ……」


 それから2人は久方ぶりの再会を喜んで話し続けた。


「……自分の何かを対価にしてまで死者に会いたいなんて変わってます」

「そうかい?」

「折角、生きているのだからこのためのお金を新たな人生のために使えばいいのに。どうして……死者を求めてしまうのでしょうね」

「何かに縋らなければ生きていけない。たとえそれが禁忌に触れるものだとしても。それが人というものだよ」

「ですが、それを理性で留めるのが人間ですよ」


 エリーズたちに聞こえないように小声でカバネとザフラは話す。

 これまで幾度となくこのような願いを叶えてきた。死霊術は依頼者はもちろん術者のカバネからも対価を奪っていく。それでもカバネは依頼をこなす。

 愛する人に会いたいという気持ちの強さをカバネは身をもってよく知っていた。


「理想や理屈で人は生きていけない。いや、理想や理屈が崩れた時、人は生きていけないのかもしれないね」

「……私は貴方に再び会えたことを絶望したと同時に喜びました」

「私もそうだ」

「馬鹿だと笑われても罵られても構わないと思ってしまいました」

「うん」

「彼女も、そうなのでしょうか」

「それは、彼女にしかわからないね」


 再び視線をエリーズに戻す。

 スムーズに出来ていた会話が少しずつまたつっかえていく。赤く染まっていた唇が、黒く乾いていく。そろそろ終わりの時間だ。


「マダムエリーズ。別れの挨拶を」

「まだ……!」


 まだ話し足りない。まだ別れたくない。ずっとこのままいられたらいいのに。そう思ってしまうのは、仕方がないことなのかもしれない。けれど、これは瞬きの夢なのだ。


「夢からは覚めなければ」


 そうエリーズの愛したシリルはもう死んだのだ。それをもう一度自覚しなければならない。

 死霊術とはそういうことだ。故人がいなくなるところをもう一度見ることになる。だから死霊術は多くの人に忌み嫌われているのだ。


「……はい」


 エリーズは叶わぬ願いを押し殺し、2度目の別れを受け入れた。

 エリーズにそう告げたあとカバネはザフラを連れて部屋の外に出る。最期の時は2人きりにしてあげようという気遣いだ。


「シリル」

「エリー、ズ……お、わか、れだ……」

「愛してるわ。ずっとこれからもよ」

「ぼ、くも……あ、いし……て、るよ」

「……っシリル、シリル、シリル。貴方がいないと、生きていけないわ」

「、りーず……きみ、が、すき、なよ……に……ぼ、くは……ず……と、き、みの……そば、に…………」

「ああ……っ」


 喋らなくなった人形の唇は黒く染まっていた。

 もうこの人形にシリルの魂はいない。

 エリーズは2度目の別れに声が枯れるまで涙を流した。



「ありがとうございました」

「ご気分はもうよろしいですか?」

「ええ、お恥ずかしい姿をお見せしてしまいました」

「いいえ、ここに来られた方によくある光景です」

「依頼料ですが……」

「ええ。料金300万と貴女の髪を」

「私の髪、ですか……?」


 ザフラが先程使った黒曜石のナイフとは違う銀のナイフと同じく銀のハサミを持ってきた。


「わかりました。私の髪でよろしいのでしたら」


 ナイフを使って切り落としたエリーズの髪をハサミでザフラが整える。

 300万の小切手とエリーズの長い髪を受け取ったカバネはニコリと笑った。


「もう会わないことを祈って」

「……そうですね。こんなこと、2度もない方がいいわ」


 来た時より軽くなった頭に、来た時のように布を被って顔を隠し、エリーズは去っていった。


「お疲れ様でした」

「ザフラもお疲れ様」


 エリーズを見送った2人は部屋に戻りザフラが入れた紅茶を飲む。


()()()

「なんだいザフラ」


 カバネは死霊術師としての名前だ。カバネの本当の名前はワルド。カバネ、屍。この名前を使うようになったのには理由がある。


「髪をどうするのです?」

「ザフラの新しい髪にするかい?」

「そうしたらワルドとお揃いですね」


 お揃いという言葉にワルドは嬉しそうに笑った。

 齢50前後のエリーズの髪はすっかり白く色が抜けており、ワルドの髪色と同じだった。だからワルドは髪を対価に受け取ったのだ。


「ワルド。私にはもう何も必要ありません。貴方がくれた左目だけで十分です」


 ザフラの左目はワルドの残った右目と同じ色をしていた。

 ザフラに断られたワルドはエリーズの髪をシリルの降りた人形の顔と一緒に箱の中で燃やした。後で墓地に埋めるため、燃え尽きたら蓋をして布で包むのだ。


「2度目の命を与えられ、それ以上を望むなんてありません」


 死霊術師カバネは死者を生き返らせる。

 10年前、亡くした恋人を蘇らせた。その女性は今でも彼のそばにいる。


「対価に命を削ってまで私を蘇らせた貴方に、私は少しでも生きていてほしい」


 死霊術師をやることは、きっとザフラを生き返らせたことへの贖罪なのだろう。死者の魂を弄んだ罪は変わらない。ならば、多くの人の心残りを自分が死霊術で少しでも軽くしてあげたい。

 これはワルドの勝手な自己満足なのだ。

 もらった対価は墓地の維持に使われる。少しでも死者が心地よく眠れるように。

 ワルドが管理する墓地には1年中花が咲き誇り、墓石には一切の汚れがない。


「私は……早くザフラと眠りたいよ」


 屍は花を纏いて眠り、花は屍を抱いて咲き誇る。

 

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