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気づかないもの2
私は小さい時に交通事故で母が無くなった。
まだ 小学生2年生の私を抱え 父が仕事をするには
大変だろうと、一人暮らしだった祖母が娘の死を悼む代わりに 私達親子と同居を申し出てくれた。
父は出張なども多い仕事で、やはり今の状況を考えると その申し出に甘えるのが最善と言う事で
それから直ぐに3人で暮らし始めた。
暮らし始めた頃は少し戸惑った。
というのも、母も明るい人ではあったが、祖母はその遥か上をいっていた。
まず朝から旅館さながらの和朝食が用意され
頭の覚め切ってない私達に「1日の始まりやし しっかり食べなアカんよ 、美味しそう!」と
顔を覗き混んで言ってきた。
特に「美味しそう」は 「せっかく作ったのに あんたらが言うてくれへんから 自分で言うてんのよ」だった。
このテンションに父と二人で苦笑いしたのを今でも覚えている。
しかし この明るさのおかげで寂しさを感じることが無く高校生まで迎える事が出来た。