第152話 一億の死体
周囲に広がるシルクのような光の魔力は、遥か彼方の戦場となった範囲まで行き渡る。傷を負った者は癒し、死んだ者はその体が再生されていく。
命を落としていた一人の軍人は、ゆっくりと目を覚ました。
軍人は何が起きたのか分からず、キョロキョロと辺りを見回す。その光景は戦場の至る所で繰り返されていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
【スイス・ジュネーブ 国連本部】
「大変です! マシュー司令、戦場で死んだはずの人間が次々と生き返っていると報告があがっています」
「何!? どういうことだ?」
「分かりません。現場も混乱しているようです!」
その後も、各所から死者が生き返ったという情報が入ってくる。
この戦いが始まってから死んだ人間は数十万人を超えていた。その大部分が蘇ったという報告にマシューはとても信じられなかった。
「いったい、何が起きてるんだ?」
◇◇◇◇◇◇◇◇
うまくいったようだな。最初は敵も蘇るかと思ったが、復活しているのは味方だけのようだ。
レオの左手にも光の粒子が集まり、切断されていた腕は元通りに再生される。レオが肩を貸していた男の怪我もあっと言う間に治っていった。
「五条……お前の魔法なのか?」
「ああ、他のみんなも目を覚ましてるはずだ。一緒に行こう!」
レオと共に、みんながいる場所に戻ると、そこには王やフレイヤ、ノアやエミリー、ルカたちが立ち上がって不思議そうな顔をしていた。
「みんな!」
レオが駆けつけ、起き上がってきた仲間たちと抱き合って喜ぶ。レオがみんなに話をした後、俺の方を指さした。
歓喜に満ちた表情で、全員がこちらに走ってくる。
「五条!」
「先生!!」
一足早く駆けつけて来た王の拳が飛んでくる。
「遅いぞ、五条! もっと早く来い!!」
「あ、ああ、すまない王」
ノアやエミリーも駆けつけ、泣きながら抱きついてきた。俺も子供たちを抱きしめ、助けに来るのが遅れたことを謝った。
「五条! お前が全員を治したのか!? 死んだ奴もいたはずだが…」
ルカが興奮したように聞いてきた。
「一度しか使えない魔法だけど、とりあえず成功して良かったよ」
「五条、これからどうする気なんだ?」
レオの言葉に他の仲間も沈黙する。
「どこかに奴らのボスがいるはずだ。そいつを叩きに行く。みんなは一刻も早くここから避難してくれ」
「やはりいるのか……。分かった、後は任せるよ。頼んだぞ、五条」
「先生! 絶対、無事で帰ってきて」
「五条、死んだら承知しないからな!」
「必ず勝ってね、ゴジョー」
ノアや王、フレイヤの言葉に「必ず帰る」と約束して、みんなと別れた。離れていく仲間の背中を見ながら、無事に避難してくれることを祈る。
そして俺は上空に目を移した。
何キロも先に空に浮かぶ城が見え、そこから凄まじく強力な気配を感じる。一人はアガリアレプトだろう。
そして奴と互角以上に戦っている者がいる。間違いない。
「そこにいるんだな……魔神王」
◇◇◇◇◇◇◇◇
空に浮かぶ要塞の上では、激しい戦いが行われていた。
アガリアレプトの斬撃をウラノスが弾き返し、ウラノスの闇魔法による攻撃をアガリアレプトは紙一重でかわす。
『おら! どうした、当たらなきゃ意味なんてねーぞ!!』
『やれやれ、タフな奴だ』
ウラノスは時間を止める。空中で静止しているアガリアレプトに近づくが、時間を止めたままでは魔法が使えない。
体に密着させた状態で、肉塊の砲門を構える。時間を動かした瞬間――
『ドラゴンブラスト!!』
光が敵の体を貫くが、当たる刹那、ギリギリでかわしている。その反応速度は戦っているウラノスですら感心した。
『あぶねーーー!!』
『……やはり天才というヤツか……。おしいな、お前の力なら私の右腕になれたものを……性格に難がありすぎだ』
『誰がテメーの手足なんかになるかよ。俺こそが魔神王と呼ばれるのにふさわしかった!』
ウラノスは不敵な笑みを浮かべる。
気づけば空間の一部に亀裂が入り、そこから砲門が出てきた。アガリアレプトはとっさに避けるが――
『がっ!?』
アガリアレプトの肩が、ドラゴンブラストによって削り取られる。
『くそっ! セコイ手使いやがって』
空間の亀裂は一つではなく、無数に出現していた。見れば、ウラノスの背中から無数の触手が伸びて、それぞれ空間の亀裂に入り手や砲門に変わっている。
『私は空間も自由に扱うことができる。四方八方から来る攻撃を全てかわすことはできるかな?』
ウラノスの言葉通り、複数個所から闇魔法やドラゴンブラストが撃ち出され、アガリアレプトの体を削ってゆく。
『……しかたねえ、こっちも奥の手だ!』
手を前に伸ばし、指先をそろえてウラノスに向ける。指の先から黒い火花が散り、高濃度の黒い球体が現れる。
それは莫大なエネルギー体である“疑似ブラックホール”だ。
周囲にある物を全て飲み込もうとする黒い球体にドラゴンブラストや黒魔法まで吸い込まれた。球体は巨大化してゆき、魔神王さえ引き込もうとする。
『ちっ!』
時間を止めたが、引力は継続してウラノスを引き寄せた。
止まった時の中を動けるウラノスであっても、引力のように最初からあるエネルギーの影響は回避できない。
『仕方がない』
背中から肉塊を出し、四つの砲門を作り出す。両手も変化させ大砲にした。
時間を動かし、疑似ブラックホールに向かって“ドラゴンブラスト”を放つ。ヒュドラを倒した時以上の光がブラックホールを飲み込んだ。
何とか消滅させることに成功したウラノスだったが――
『この時を待ってたぜ!』
アガリアレプトが振り抜いた一太刀は、とっさに防ごうとしたウラノスの左腕もろとも体を切り裂いた。
大量の血が流れ落ち、その事実が消える気配はない。
『ドラゴンブラストも、時間を巻き戻す能力も体にかなりの負担がかかるはずだ。連続して出せないと思ってたぜ』
『そんなに私に傷を付けたのが嬉しいのか?』
ウラノスの体は急速に再生してゆく。血は止まり、切り落とされた左腕も元に戻っていた。
『お前が何をしようと結果は変わらんよ』
『ほざけ!』
ウラノスとアガリアレプトの戦いは激しさを増す。剣を斬り結ぶ度に衝撃音が遠方までこだまし、いたる所で空気が弾けた。
ウラノスの闇魔法の剣はアガリアレプトの赤い霧を削っていくが、致命傷を与えるには至らない。
そんな戦いが続く中、変化は突然起こる。
アガリアレプトの体から光の粒子が少しずつ漏れ出していた。
『ああ? なんだ、これは!? 今からいいところなのによ!』
『それは……お前、まさか召喚されたのか?』
無言で睨んでいるアガリアレプトを見て、ウラノスは笑いが込み上げてくる。
『ハハハ、これは傑作だ。外に出たいがため、死なない魔神は自ら死を選んだのか……哀れだな、アガリアレプト』
『うるせークソが! テメーさえ殺れればそれでいいんだよ』
『そこまでしてもお前は私に勝てなかった。その光の粒子は召喚の限界時間が来たということだ。終わりだよ』
『………残念だな。テメーをこの手で殺せなかったことが』
『未来永劫不可能な夢だ。お前をテイムした者を見つけだして殺せば、お前も消える。さよならだアガリアレプト』
『本当に残念だぜ……。お前は今日死んじまうからな、ヒャハッハッハ。再戦できないことが残念で仕方ない』
『……何を言っている?』
『分かんねーのか? お前は俺を倒した奴に今日、殺されるんだよ』
そう言ってアガリアレプトは光の中に溶けて、空に昇っていく。
『……残念…だ…本当に……な……』
アガリアレプトが完全に消えた場所を、ウラノスは眺めていた。
『最後の言葉が、ただの負け惜しみとは……情けない魔神に落ちぶれたな、アガリアレプト……』
ウラノスは空を一瞥し、再び地上を見下ろす。何体かの“神託の獣”がいまだに暴れ回っていた。
右手に光と稲妻を集めて複合魔法を作り出す。
『ゲイ・ボルグ――!!』
プラズマの塊が無数の光となり、地上へと降り注ぐ。一つの光はラーヴァナの体を貫き、二つの光はスプリガンとギガスの体を貫いた。
いずれも爆散するように吹き飛び、消滅していく。
更に光は二体の獣にも襲い掛かるが――
『ほお……』
“真紅の猿”と“銀色の獅子”は、既での所でかわし、一直線にアヴァロンに向かってくる。
『あれをかわすのか……まあいい』
ウラノスはそう言うと、背中から肉塊を出す。それはおびただしい量で、溢れ出した肉塊は浮遊する城から地上に落ちていく。
流れるように地面についた肉塊は、その量をどんどん増やしていき、辺りを侵食するように大地に広がっていった。
まるでアメーバ状の生物のように、地上を這って移動していく。
そして肉塊は、向かってくる二体の獣を敵と認識した。
『私は魔神や人間の死体を体の中に吸収することができる。吸収された死体は意思を持たない傀儡となって動く』
二体の獣の眼前に津波のように肉塊が襲ってきた。
凄まじい速度で、四方八方から逃げ道を塞ぐように向かってくる肉塊に二体の獣は攻撃を加えるが効いている様子がない。
肉塊は獣を巻き取るように包み込み、圧殺した。
圧倒的な物量の前に為す術なく光の粒子となって消えていった敵を見て、ウラノスは満足そうな顔をする。
『私の体の中に収納されている死体の数は一億を超える。この死体が暴走し始めたら誰も止められない』
肉塊は広がり続け、魔神の軍勢の死体を取り込み更に巨大になっていった。
『お前たちが悪いのだ。ほとんどの人間は生かしておくつもりだったが、そこまで無駄な抵抗をするなら皆殺しにするしかないな。一度解き放たれた一億の死体は敵を殺し尽くすまで止まらんぞ』
ウラノスは肉塊が暴走すれば、この星の生物を喰らい尽くすのに一週間もかからないことを知っていた。
異常な速度で移動しながら増殖していく肉塊の先に一人の男が立っている。
ウラノスは一目見ただけで、それがどんな男か理解した。
『あの男か……アガリアレプトを倒したというのは』
二人の距離はかなりあったが、五条もまたウラノスをその視界に捉える。
「あれが、魔神王か……」




