第7話 褒賞(ほうしょう)
アイリ・ライハラが強引なイルミ王女に喰ってかかろうとした矢先にまるで先手を打つように王女がソファに歩み寄り腰を上げかかって指差す腕を伸ばしていた少女の手首を握り立たせた。
「いらっしゃいなアイリ」
そう王女が告げ妖しく瞳を耀かせた。
アイリは王女に連れられ廊下に出ると、今度はどこに連れていく気だと眉根をしかめた。そうして松明揺れる廊下や階段を長々と歩かされると、槍の先を天井に向けた2人の近衛兵が守備に立つ重厚な扉の前に出た。
兵達は王女とわかるなり扉左右の袖壁へ移動し直立不動の姿勢に戻ると王女は自ら扉を押し開いた。
その部屋は暗く奥にランプの灯った場所へ少女が視線を向けると四方を彫刻された柱と幾重ものレースのカーテンで飾られたベッドがあった。
「誰だ──?」
しわがれた、だが威厳のある声だとアイリは思った。
「お父様、わたくしです。どうですか御加減は?」
王女が父へと声をかけたと知りアイリは驚いた。まさかウルマス・ランタサル国王の寝室に来るとは。
「まあまあだよ──イルミどうだったか、国境近くの様子は?」
イルミ王女はいつもするようにベッド脇の椅子に腰を下ろしシーツの上に出されている王の手に両手を添えた。
「民は希望を持ち生活しております。お父様が以前のように矍鑠たる姿でこの国ノーブル国をお導きくださるのを」
違う! アイリはそう思った。旅人の噂では辺境は荒み12の町や村から住人達が隣国へと逃げだしているという。理由は様々だったが、荘園領主と国への税の重さから、生活苦の挙げ句、治安の悪化で見切りをつけたものが多いと聞く。
少女が思わず小さなため息をつくと、ウルマス国王が声を振り向けた。
「誰じゃ? イルミと同席しておるのは?」
少女はまた驚いた。ウルマス国王は眼が見えていない!
「このものは、わたくしが帰路で暴徒に襲われたところ助けて頂いたアイリ・ライハラという少女です」
「なんと──イルミ、そなた怪我は?」
「わたくしは大丈夫です、お父様。アイリは将来騎士団を任せられる才覚を持っています」
少女は顔をひきつらせた。近衛兵副長とか騎士団を任せるとかどんどんと運命が自分の手から離れてゆく。
「なんと騎士団をか──アイリとやら、わしの手を──」
そう言ってウルマス国王はシーツから手を僅かに持ち上げた。イルミ王女は傍にいる少女へ顔を向け頷いてみせた。
アイリはベッドサイドに歩み寄り国王の手に自分の手のひらを添わせた。なんとやつれた手だろうかと少女は悲しくなった。国民の多くはウルマス国王は健常であると思っている。国の政策に忙しく長らく姿を見せていないのだと誰もが思っているはずだった。
「なんと華奢な手だ──こんな小さな手で剣を操るのか──アイリ、そちは幾つじゃ?」
「先月15になりました」
「そうか。そちにはまだ国というものがわからんだろうが、どうか多くの民を暴力の嵐から庇護してほしい。そうすれば──」
ウルマス国王が言葉を切ると少女が口を開いた。
「私は──」
アイリははっきり断ろうと思いながら切り出せなかった。病の床につきながらなお、この人は国民を心配し続けている。自分はそこまでのことができるだろうか、と苦悶した。
「──そうすれば、アイリ・ライハラ──そちは珠玉の宝を手にできる」
珠玉の宝──? それは何だろうかとアイリは思った。だが自分1人が何かできるなんて思わない。父と慎ましく暮らしてゆければそれで十分で宝など身を滅ぼすと感じた。
「国王様、私にそのような力はございません。近衛兵副長や先々騎士団を率いるなど、父が聞けば卒倒いたします」
アイリが説明すると国王は己が手に添えられた彼女の手を握りしめた。
「そちの父の名はなんともうす?」
「クラウス・ライハラと申します」
「クラウス──? クラウスだと!?」
ウルマス国王が押し黙ったので、イルミ王女が心配し声をかけた。
「父上、アイリの父親がどうしたのです?」
微かにうなり声をあげ国王がとんでもないことを話した。
「魔法使いは魔力の妨げとなる金属を忌み嫌うと信じられておるが、以前に魔法と剣術に優れ2振りのソードを巧みに操るものが隣国におったと聞いた。その名がクラウスというのは偶然の同姓同名なのか──」
アイリは苦笑いを浮かべた。親父は鍛冶職人という仕事上、打ち上げたソードを器用に試し振りする。時には2本の大剣を確かに操るのが上手だけれども、魔法を使うどころかご飯の支度も満足にこなせない。絶対に人違いだと少女は思った。
「国王様、父はそんなたいそうな人じゃないけれど、わたくしがそばにいないと生活もままならない──」
言い掛けてる最中にウルマス国王がアイリの手を放し両手をパンと叩き合わせた。そのいきなりの動作と音にアイリは両手を振り上げベッドから数歩も逃げてしまった。だが隣にいるイルミ王女が平然としていることに眼を游がせると寝室の扉が開かれ人が入ってきて少女は振り向いた。
「国王様、お呼びでございましょうか?」
入ってきたのは使用人の1人だった。礼節わきまえているのか王のベッドには近づかず離れた場所から遠慮がちに声をかけた。
「ヘンリク、このもの──アイリ・ライハラの住居に遣いのものを出しこのものの父──クラウス・ライハラに娘の城奉公の許可を取ってまいれ。クラウスに国に貢献するものを輩出した褒賞として1億9千8百万デリ(円換算で4800万円)を王の名の下に国から授け、娘アイリの留守中、身のまわりの世話をする若くて美しいおなごを3人住み込ませると伝えよ」
アイリは顎が落ちたように開いた口を閉じられずにいた。いっ、1億9千8百万デリといったら父の年収20年分! しかもダメ押しのように美女3人!
うぁああ! この親にしてこの子あり──国王も言いだしたら曲げない人だったんだ!
少女は逃げだそうと後退りして伸びた自分の服の裾へ視線を向けるとイルミ王女につかまれていた。
ディルシアクト城の異なる場所で松明の灯り揺らぐ廊下を3人の男が歩いていた。1人は黒のケープ姿、2人は紫紺のマントに身を包んでいるがその下から見えるグリーブ(:脛当て)とサバトン(:鉄靴)がくりだす脚に合わせ硬質な金属音を響かせていた。
「本当ですか? ライモ近衛兵長は騎士団の一員ではないが奴の大剣はかなりの破壊力を持っている」
金髪の鎧の男が驚きの声をあげた。
「城内ではその話で持ちきりだ。イルミ王女が連れてきたその少女が新しい騎士団長になると」
ケープ姿でフードを被った男が嗄声で説明すると銀髪の鎧の男が苛ついた声で溢した。
「王女の巻き返しだ。芽を潰さないと蔓のように城壁を覆い尽くすぞ」
「そうだ──君ら騎士団は新たな国の礎だ。それを旧勢力であるウルマス国王の一門の支配下にはできない。そこでだ──国王の手足となっているイルミ王女の武器となるその少女を神の名の下に懲らしめるのだ。腕の一つでも切り落とされれば泣いてどこぞに去るだろう」
2人の鎧を装着した男らが脚を止めた。
「しかし、まだ子どもだぞ。そこまでのことをすれば枢機卿から我々が断罪される」
ケープ姿の男が歩みを止め僅かに振り向き横顔で言い切った。
「問題ない。司祭は我々の側だ。枢機卿には報告されん。なんならその思い上がった少女諸ともイルミ王女を亡き者にすればいい」