第12話
「殿下、さっきのは何ですか?」
「え? ああ、そっか。忘れてるんだっけ? 魔獣だよ。もとは普通の動物なんだけどね、突然変異とか、成長過程で魔法が使えるようになるものがときどきいるんだ。魔力の吹き溜まりみたいになっているところに良くいるね。危ないから魔獣を生み出さないように定期的に魔力を拡散させているはずなんだけど、月に何度か現れるって報告がある」
じゃあ、頻繁に遭遇するわけじゃないんだ。
普通の動物が魔力であんなおっかないのになるなんて驚きだ。
魔力の吹き溜まりみたいになっているところってことはメルセデス先生の屋敷の近くにもいるのだろうか。これはイメージだが、先生の魔力はとても高そうで、あの人の周りはとても濃厚な魔力が漂ってそう。
さっきの余韻なのか、身体は比較的に楽である。しかし力が入らないので、隣に座っている殿下にもたれるようにして座っている。王子様相手に――会って数日の人間に何をやっているのだろう。殿下も満更でもなさそうな様子だし、私たちは以前すごく仲が良かったのかもしれない。
「じゃあ、運が悪かったですね。私たち」
「……どうだろう。そろそろ、君たちの領地に入るんだけど、この辺りの作業はここ最近終わっているはずなんだ。だから、変だなって思って。さっきも言った通り、月に数度現れるにしても頻度が激しい。祭りの影響で手が回らなかったとかならいいんだけど」
「国から派遣される人じゃなくってその領地の人がやるってことですか?」
「いいや、国から派遣された駐在している人がやるんだよ。この前滞在した領地にもいただろ? 治安部隊の人たちが。あれは現地の人と混在していてその中にいる国から派遣されている人が執り行う作業だよ」
国家公務員と地方公務員が一緒にいるみたいな感じだろうか。
「君が攫われた件と良い、お父様が領地に引き戻された件といい、少し心配だね」
「……はい」
ディアルムドさん本人はケロっとしているに違いないんだけど、領地のことまでは知らない。この世界の私の故郷のようなものだろうが、感情移入もできない。殿下に肩を借り、馬車に揺られながら、私は適当な返事をした。
*
「おかえりなさいませ。巫女様」
出会う人すべて、私の姿を見るたびに、頭を下げる。ただ単に領主の娘だから頭を下げられているわけではないようで、皆一様に崇めるような目で見てくる。人によっては私の姿を見た瞬間、お祈りを始めてしまった。
何とも言い難い、もやもやとした感情が生まれる。なんせこの世界で目覚める前、神を呪いながら死んだ身なのだ。そんな私を“神の使い”として扱われているのは複雑な気分だ。けれど、祈っている彼らが純粋な気持ちで祈っているとわかる分何も言えない。そして、そうされるような立場であることがこの世界での私の役割でもある。
馬車から降り、人々に跪かれ、時々崇められながら、よたよたと歩き、ようやく自室だと言う部屋にたどり着いて椅子に座り、息をついた。
領主の娘と言うだけあって広い部屋だ。前の私の部屋の6倍はあるのではないか。
「お疲れ様です。お加減はいかがですか?」
「随分いいよ。帰ってきたからすごく調子がいい」
「それはようございました」
家に入ってから部屋まで付き添ってくれた使用人はほっとしたように息を吐いた。道中共にした殿下は、私を屋敷の前まで送ると、用があるからとそのまま馬車に乗ってどこかへ行ってしまった。ありがたいことに、ちゃっかりと私に治癒魔法をかけてくれたので随分と楽だった。
「ご無事のお帰り、使用人一同を代表して心よりお喜び申し上げます」
「……ありがとう」
仰々しく頭を下げる使用人に戸惑いながらお礼を言う。すると、なぜか使用人さんは今にも泣きそうになっている。
「巫女様は初陣を果たしてから多くの武勲を挙げてきましたが、いつもメルセデス様のもとで療養なさっておりました。戦場にて追う傷は戦士の誉れ――――とはいえ、今年は八年に一度の戦神の祭りの年。戦はこの前終わったばかりで巫女様には無理をさせることも出来ません。どうなることやらと思っていたのですが、まさか帰ってきていただけるなんて……」
「いえ、そんな大げさな」
他人から与えられた仕事はきちんとする人間である。例え異世界に飛ばされて、急に違う人生を歩まされようとも。
「今は戦の最中。前線に出ないとは言え私もいつ死ぬかもわかりません。そんな中で誉れ高い巫女様の晴れ姿を見られるなんて人生最大の幸運です」
「大げさな……」
人生最大は言い過ぎではないだろうか。
慄いている間に、使用人は「何かあったらお呼びください。失礼致します」と言って出て行った。
ポツン、と一人残されたが、一体私は何をしていればいいのだろう。
この世界で暮らしているときの知識がないというのは不便である。私はいつもどのように過ごしていたのだろうか。
あ、そうか。この家でなくメルセデス先生のもとに居たからこの家での過ごし方はどっちみちわからないんだ。
窓から外を見る。
祭事があるからか屋敷の中を色んな人が行き来していた。
この身体になってから戦士としての審美眼がついたのか、この屋敷の人が皆ただの使用人ではなく全員戦士、または戦士と同じ信念を持っていることがわかる。
さっきの使用人がいい例だ。あの使用人が自分で言っていた――『いつ死ぬかもわかりません』。まさに明日死んでもいいようなそんな生きざまがここに集う使用人からは窺える。
お陰様で、なんだか落ち着かない。
殿下の魔法の効果もあって身体はそこそこ動く。頭もそれなりに動く。やっぱり精神的に喜怒哀楽は希薄だけど、確かに感じられる闘争心がうずいて仕方がなかった。調子が悪い時、今食べたら確実に腹を下すとわかっているのに脂っこいものを食べたくなるような、そんな感じがした。
「ちょっとだけなら、いいよね……」
頭の中で「無理をするな」というメルセデス先生に謝って立ち上がった。