第11話
「ディアマンテ、我が領地で少し問題が起きたらしい。私にできる事なんて本当に少ないが、それでも領主の裁量が必要なようだ。悪いが先に帰らせてもらうことにするよ。君はあとからゆっくりおいで」
知らせを受けたのが早朝のこと。ディアルムドさんはその知らせを知るや否や身支度を始めた。起きたばかりの私は寝ぼけ眼でその様子を見ていたが、ふと、昨日の少年がディアルムドさんの後ろにいることに気づく。
「ああ、殿下が君に付き添って下さるらしい。うちの御者が来るまで君にはここに留まってもらおうと思ったんだけどね。せっかくの申し出だ。無碍にするのも失礼だしお世話になりなさい」
言い残すと、風のようにディアルムドさんは出て行った。
私と彼が残される。
「……王室の方だったんですか?」
「うん? そうだよ」
この国の貴族なら知っていて当然なのかもしれないけど、私は記憶が無いのだ。言わなかったっけみたいな空気は止めて欲しい。
*
ディアルムドさんが居なくなったら私はどうなるんだ。動けないから移動もできないじゃないか――――という問題は少年もといヴェゼル殿下がどうにかしてくれるらしい。
確かに、この人の魔法はバファ●ンみたいで身体は楽になるけれど、ずっと魔法の効き目があるわけではない。ずっと聞き続ける魔法というのは一部の例外を除いてあり得ないらしい。そのため、メルセデス先生の薬に合わせて、朝・昼・晩とヴェゼル殿下のお世話になることになる。
「君の父君が先に戻ったのは、君が自分と一緒に領地に戻ったって見せかけるためでもあるんだよ。まだ目的はわからないけど、君は狙われているからね。ローゼン候の娘への溺愛っぷりは有名な話だから誰も彼が娘を誰かに任せて自分だけ領地に帰るだなんて思わない」
手配してくれた馬車に背を預けながら彼の言葉を思い出した。
体のだるさはなくならないものの、景色を楽しむ余裕はあったため外を眺めていると、不意に殿下が話し出す。諭すような口調が気になったため、視線を向けると、申し訳なさそうに笑っていた。
「彼は必要ないって言ってたんだけどね。君は国にとっても大事な人だから、何かあったら国の問題になってしまうんだ」
お父様と引き離してしまってごめんね。
真剣に謝られたから何か失礼な事でもされたのかと思ったけど違う。しばらく考えて合点が言った。
「あの、殿下」
「ヴェゼルでいいよ」
いや、父親のディアルムドさんが“殿下”って呼んでいたのに娘の私が呼び捨てはまずいでしょう。
「ヴェゼル殿下。私、別にお父さんと引き離されたから怒っているわけではありません」
「え?」
「私、そんな子供じゃありません」
「あ、な、そ、そうだったんだ。ごめん……俺、てっきり……」
私がファザコンだとでも思っていたのだろう。
このディアマンテ・サン・ローゼンは16歳の少女だが、私自身は成人を過ぎた大人である。ファザコンでもないし、父親と引き離されて悲しむ年齢ではない。それに、まだ私はディアルムドさんに親しみを持てていない。お世話になっているから感謝はしているけど。感謝と親しみは別問題だった。非常に申し訳ないとは思うけど、メルセデス先生に対してもそうだし、ヴェゼル殿下に対してもそうだった。
黙っている私に、ヴェゼル殿下はますます機嫌を損ねてしまったと思ったのか焦った様子だ。
王子様ってもっと女慣れしていると思っていたけど、現実は違うらしい。
そう言えば、昨日も私との仲を勘繰られて耳を真っ赤にしていた。私を殿下が領地まで送ると言う提案は彼からの様だし。どのようにディアルムドさんに切り出したのだろうか。さぞかし揶揄われたに違いない。
「その、俺、えっと……」
ゴホンと彼は咳払いをした。
「もうすぐ、宿場町につくから今日はそこで休もう。少し遅いけどお昼を食べて、あとはもうゆっくりと疲れを癒してくれ」
「お気遣い、ありがとうございます」
私の身体を気遣ってのことだろう。
私が国にとって有益な存在であることを考慮しても彼はとても優しい。どうも、思い込みが激しいところがある気がするけど、それもご愛嬌といえる。王室においてどんな立場なのかは知らないけど、随分と庶民染みた人だと思う。国民や使用人たちはさぞ親しみを持っている事だろう。
国民、使用人……。
「そういえば殿下、お付きの人は誰もいないんですか? 王子様なら誰かしら付き添っているものだと思っていたのですが……」
「いないよ。今回はお忍びだからね」
お忍びで王子様が単身飛び出せるのか。
小説なら、王様が隠密に後をつけさせているのが定石だけど、実際はどうなんだろうか。辺りを見渡してみるが、当然、私には探すすべがない。
「どうせ祭りでは堅苦しいから道中でくらい自由にさせてもらおうと思ったんだけど、こんな風に君と一緒な一人くらい女中を連れてくればよかったね。同性の方が君も気兼ねなく過ごせただろうし」
いや、そんな私一人のためにお城の人を動かさなくていい。
いい人なんだけど、立場故か人を使うのに慣れているのが良くわかる。
「今、喉乾いてたり、どこか痛かったり、苦しかったりしない?」
「いいえ、大丈夫です」
「そっか。横になりたくなったり、喉が渇いたりしたら遠慮しなくていいからね」
「はい」
一通り彼が言い終わったのを聞いてもう一度外を見る。
ガタゴトと揺れる馬車はとても心地よかった。だんだん瞼が重くなってくる。
睡魔に誘われながらふと思った――――本当の本当に良くしてくれる王子様だけど、この人と記憶をなくす前の私は会ったことがあるのかもしれない。
*
グラリ――――馬車がまるで自身のように大きく揺れ、目が覚めた。
身体が燃えるように熱かった。苦しい。身体が苦しいし、息も苦しい。動機も酷くて胸が苦しい。無意識には歯を食いしばっていたのか、顎の付け根も痛かった。
「うぅ……」
どうやら馬車が急に止まったことによる揺れの様だった。
目の前がちかちかする。胸がざわつく。
「大丈夫?」
揺れの所為でずり落ちそうになった私の身体を支えようとヴェゼル殿下は向かい合わせの席から私の隣に来た。手に触れた私の身体が熱かったせいか殿下は顔をしかめた。
「身体が熱いね。ちょっと横になろうか」
身体を支えられながらゆっくりと横になる。
「今、楽にしてあげるからね」
そして、私の手を握って何かの魔法を発動した。しかし、昨日のように痛みは和らぐことはなく、むしろ頭痛が増していく。
「少しマシになった?」
首を振る気力もなく、苦痛から漏れ出た唸り声が返事になった。彼の目が無力な自分を嘆くように伏せられた。
「ごめんね。何もできなくて。ちょっと外に出て様子を見てくるよ」
止まったまま進まなくなった馬車が気になったのだろう。私を置いていくことを少しためらうようなそぶりを少し見せたが、彼は馬車の外へと言った。
違う。
そうじゃない。
頭の中でガンガンと警鐘が鳴る。
この感覚、ディアルムドさんが近づいていた時に似ている。
ディアルムドさんにしては随分荒々しい気配だ。
嫌な予感がする。
ぐるぐる回る視界の中、滑り落ちるように馬車の椅子から降りる。
ドクリと心臓が脈打ち、胸の痛みが酷くなった。
「ぅっ――――」
声にならない悲鳴をこらえながら立ち上がる。
めまいで視界は真っ白になったが必死に馬車の入り口を開けて外へ出た。当然、少し段差があり、うまく降りれなかった私は二転、三転と転がった。
「ッ――――――」
やっとのことで顔をあげて息をのんだ。
雷獣を知っているだろうか? ハクビシンとも呼ばれる東京でもよくいる哺乳類。
その姿を30倍くらいにして、大きな爪と牙を持った獣と対峙する殿下と殿下に守られている御者がいた。
状況を理解したのと身体に力が入ったのはほぼ同時だった。
刹那、殿下を威嚇していた獣と目が合う。
あんな獣に言葉は通じない。
このままじゃ殺されちゃう。
心と体のスイッチが切り替わる様だった。
敵意をむき出しにして立っている相手を無視することなんてできない。
獣も私の敵意に気づいたのだろう。目が合い、完全に対峙する相手を私へと切り替えたのがわかる。睨み合い、牽制し合ったのはほんの一瞬。
「ディアマンテッ!!」
獣の異変に振り返った殿下が私を見て叫んだ。視界はとても良好で焦る殿下の滴る汗までよく見える。視界の端で殿下を捉えつつも、向かい合う獣の筋肉の細かい筋の動きまですべて手に取るように分かった。
足に力を込めて地面を蹴る。
たった一回の跳躍で私の身体は殿下と御者を越えて獣の元までたどり着き、勢いそのまま回し蹴りを食らわせた。
人間と凶暴な獣とはいえ生物同士の衝突だと言うのに車同士の衝突くらい音がでた気がする。
力が拮抗し、一瞬私は獣の額に足を置いた滑稽な姿のまま空中で停止した。数秒に満たない時間そのままで、すぐに重力に従って下へ落ちる。
いつもでは考えられないほど上手く着地した。
数秒獣と睨み合う。
まだ、動くのだろうか。
幸いにもまだ立っていられるし、反撃されても防ぐことができるだろう。警戒しながら立っていると、獣はゆっくりと倒れた。
「……君はやっぱり強いね」
獣が倒れて、戦闘態勢を解いた殿下が私の方へ歩み寄りながら呟いた。自嘲するようなニュアンスで、独り言なのか、どうなのか判断がつかない。
振り返って、顔を見ると、悲痛に満ちた顔をしていた。
一体、何を嘆いているのだろうか。
彼が何に対して悲しんでいるのかがわからない。
ただただ、悲しそうな顔をしているとしかわからない。
わからないから、言葉の掛けようがない。
この身体になった影響がここにも出ている。
彼が今、何を考えてそのような表情をしているのか想像もつかなくなっている。
何か言おうとして、丁度いい言葉が見つからなかったからやめた。
めまいがする。さっきまで横になっていたのに、急に動いたせいだろう。目を伏せてもう一度顔を上げると、さっきまで悲しそうにしていた殿下の顔は心配そうな顔になっていた。
「大丈夫? 無理したでしょう?」
そんなことありません、大丈夫です――――と告げようとして叶わなかった。視界がグニャリと歪み、足元から崩れ去る。まるで地震が起きたみたいだ。私が死んだときの、あの、ときの……。
殿下が顔を覗き込む。彼はやっぱりバファ●ンなのか力が入らなくなって怠くなった身体が少し楽になった。
そして少し鮮明になって思い出したのはやはり自分を殺した地震に対する恐怖と怒りだった。