第10話
久しぶりの投稿です。
この世界に来てから寝てばかりである。
寝て起きて、寝て起きてずっとその繰り返し。働く時間が一切なく、睡眠時間ばかりが長いこの生活、どうにかならないものか。
あれから、もう一度起きるとちゃんと宿の部屋に戻っていて、次の日の昼になっていた。
私が起きたとき丁度ディアルムドさんがいて、この領地の治安部隊の人たちに色々話を聞かれた。
とはいえ、私は怒りに任せて殴ったり蹴ったりしただけなので話せるほどの情報を持ち合わせていない。唯一わかることと言えば誰かの指示であの人たちが私を攫ったことくらいだ。
なんとか話を聞き出そうとする治安部隊の人たちをディアルムドさんが追い払ったり、話は全てつけてくれたらしい。面倒なことをしてくれた上に「よく頑張ったね」なんてほめてくれた。そして、本当は今日この街を出発するはずだったのにもう一泊することになった。私の所為で申し訳ない。
宿の中庭にある気が風に揺れるのを眺める。いつもなら、ディアルムドさんが居ないときの状態で外に長時間いると体調が悪くなるので必要以上に外には出ないけれど、昨日攫われた先で酷い空気を吸ったせいか外の自然な空気を吸いたくなったのだ。幸運なことに宿の人は快く引き受けてくれ、私を中庭にあるベンチまで運んでくれた。自然の風に当たるなんていつぶりだろうか。ここに来る道中も風はあったけれど、ゆっくり風を感じることはなかった。
「隣良い?」
心地よい風を感じながら、ベンチの背もたれに体重を預けてうとうとしていると、背後から声を掛けられた。
戦士だったらディアルムドさんの時のように気配でわかるけれど、わからなかったので、たぶん戦士ではない。従業員でもないだろうし、他の宿泊客かと思い振り向くと、満月のような黄色い瞳と目が合った。
見覚えのある目だ。
昨日、気を失う前に駆け寄ってきた少年と同じ目。おそらく気を失った私をここまで運んでくれたのもこの少年。断る理由がないので、座ったまま身体を動かし、椅子の端に動かして隣に座れるスペースを開ける。「どうぞ」と声を掛けると、少年はお礼を言いながら隣に座った。
「昨日、私をこの宿に運んでくれたのは貴方?」
「そうだよ。そのままにもしておけないし、君は有名人だからね。この宿に泊まっていることはこの街に入ったときに耳にしていたんだ」
「そうでしたか。運んでくれてありがとう、おかげで助かった」
「気にしないで。それより、ここには一人で来たの?」
「ううん、ディ――父と一緒に来たの」
ディアルムドさんと言いかけて改める。慣れないからディアルムドさんと呼んでいるけどあの人は私、ディアマンテ・サン・ローゼンの父親なのだ。人前では父と呼ぶように注意しなければならない。
「……そう、父君と」
少しだけ顔が曇る。しかしそれは一瞬で、1回瞬きをしたらすぐに柔和な笑みを浮かべていた。
「体調は大丈夫――――そうには見えないね……」
「大丈夫。今日はかなり調子がいいほうだよ」
「そうなの?」
それで? という心の声が聞こえた。はい。“これで”なんです。いつもなら周りに漂っている空気に劇物でも混ざっているんじゃないかと言うほど苦しいのに瞬き1つ苦痛なく行えるほどに楽なんです。
あまりにも心配そうな顔をするから、大丈夫と言う意味も含めて身体を背もたれから離した。体制が変わり空気がさっきより多く肺の中へ入っていく。急に変わった吸気の量に思わず咳が出た。
「大丈夫?」
慌てて少年が私の背をさする。身体が近づいたことでさっきよりもすぐそばで目が合った。昨日、助けてもらった時も思った――――彼は、とても優しい目をしている。
そこでふと気づいた。
いつもなら咳が出始めたら、咳が止まらなくなって、息苦しくて仕方がなくなっている。なのに、今はとても楽だった。少年の手が触れているところから暖かい波が身体中にいきわたるようで、とても心地いい。
「ちょっとは楽になった?」
「うん、これは……」
「治癒魔法の一種だよ。といっても君はどこかが悪いわけじゃなくて極端に身体が弱いだけだから一次的に痛みや苦しみを和らげているだけなんだけどね」
「バファ●ンかよ」
「え?」
「いや、ううん。ありがとう。すごく楽」
転生前にもお世話になった早く効いて胃に優しい鎮痛薬を思い出した。本当に身体中にあったジワジワとした痛みや苦しさは弱くなり、今なら少しくらい動き回れそうだった。
楽になったと言った私に、少年は「よかった」とホッとしたように言った。
「ありがとう。すごい魔法だね」
「そうかな? こんな気休めの痛み止め、戦じゃ大して役に立たないよ」
「あはは、戦って……。魔法は戦いのためだけものじゃないでしょ? 特に今停戦中なんだから関係ないよ。私は日常生活でどれだけ役に立つかって重要だと思うけどな」
特に女子は生理があるし。あれは男にはわからない苦しみだろう。
思わず笑うと、少年は驚いた顔をしていた。青天の霹靂と言わんばかりに目を見開いている。
「本当にそう思うの?」
「え? うん。嘘じゃないけど……」
変なことを言っただろうか?
「戦で勝つよりも重要なことがあるって?」
「……そもそも、戦ほど不毛なことって無いのでは?」
「ふ、不毛……」
疲れるし、怪我するし、そりゃあ、降りかかる火の粉は払うけど、殺したとか殺されたとか平和な日本に育っていた私には重すぎる。
けど、戦巫女であり、戦うときしか動くことができない私は戦争がなくなればいよいよ必要なくなるんだろうな……。
「そっか、君は強いのに、そんな風に思ってたんだね――――いや、むしろ強いからこそくだらないと思えるのか」
「え、うん。まあ……」
その言い方だと、私が「雑魚の分際で頑張りおる!」とか言って見下してるRPGのボスキャラみたいだ。
しかし私は戦士の一族でも強いほうに分類されるらしいので一応肯定しておく。もっとも私のこの価値観は平和な国で育っていてこそできたものだろうからここ数年ずっと戦争をしているこの国では理解しがたいものだろう。
「君は戦いが嫌いなの?」
「嫌いというより、」
何だろうか。急にこの世界に放り込まれて今は停戦中でつい先日まで行われていた戦争で貴女は活躍していたんですと言われても、実感が持てない。ただ、身体は戦いに恐ろしく順応している。昨日だって、考えるまでもなく体は動いた。それに、昨日、相手を地に伏したときのあの感覚。言いようのない達成感。正当防衛とはいえ人を傷つけたのにとても満たされた。今までの自分ではないようだった。
「よくわからない」
「そっか……ああ、君にも立場があるのに失礼なことを聞いちゃったね」
立場上、戦いを否定するのは良くないと考えた所為で答えに困っているとでも思ったのだろう。少年は申し訳なさそうに言った。
「部屋まで送るよ。そろそろ日も落ちて冷えてくるだろうから」
*
ゆっくりとベッドへ横になる。ディアルムドさんが居なければ、いつもは誰かに抱きかかえてもらわないといけないのに、この少年の魔法のお陰かゆっくりなら歩くことができた。
ベッドに入った私を見て少年は安心した顔をしている。
「苦しいところとかない?」
「大丈夫だよ。心配性だなぁ」
「そうかな? 普通だよ」
君こそもっと気にしなよと言う少年にわかってるよと返した。昨日私が目の前で倒れたせいもあるけど、部屋までの道中何度心配されたか。メルセデス先生もディアルムドさんも慣れているのか私の動きに対してまったくそう言った言葉を掛けないから新鮮だった。
「ここまで付き添ってくれてありがとう。それから、昨日のことも、ありがとう」
「それはさっき聞いたよ」
柔らかく少年が笑う。黄色い満月の目がやんわりと弧を描いた。とてもお人好しだ。
少年は私の掛布団を丁度顔の下あたりに来るようにして掛け、几帳面に整えていた。
布団の温かみを感じながらまどろみそうになったとき、ピリッと肌が泡立った。
頭は一気に覚醒し、体中に力が入る。
「どうしたの?」
急に体を強張らせた私に少年が首を傾げた。どうした、というほどのことはない。いつも通り、ディアルムドさんが来たのだ。
扉が開く音がする。
「失礼するよ、ディアマンテ――――――おや」
一瞬空気が固まる。
ベッドの上にいるのでよくわからないけど、おそらくディアルムドさんは少年のことを見ている。
娘の部屋に来たら若い男の子が居たのだ。父親として気まずいはず。
「お父様、」
「ああ、いいよ。夕飯でもどうかと誘いに来ただけだから。そういうことなら、少し遅らせてもらえるように声をかけておくから」
思っていたよりも楽しそうなディアルムドさんの声がする。
「違います! ローゼン候!!」
慌てて少年が大きな声で否定した。
ベッドから見えるアングルではとても顔は見えないが、耳はとても赤い。
「私はただ、庭にいたご息女をこの部屋までお運びしただけです!!」
「わかっておりますとも」
「その言い方、絶対に分かっておられません!!」
こういう場合、否定すればするほど怪しく見える。ディアルムドさんも年下の可愛い男の子をからかっているだけだろう。ここ数日私以外の人間と接するディアルムドさんを見てうすうすわかっていたが、彼は相手を困らせたり焦らせたり怒らせたりすることが大好きな人である。声は楽しそうだし、今浮かべている笑顔は輝いているに違いない。
「夕飯でしたか? お父様がこの部屋に来た理由」
あまり続くとディアルムドさんの煽りはヒートアップするので会話に割って入る。
「そうだよ、可愛い娘。食べられそうかい?」
「はい。少しなら」
「それはよかった」
「……俺は、そろそろ退散させてもらいますね」
「おや、ご一緒してくださらないのですか?」
「せっかくの親子の時間です。俺は失礼させていただきます」
足早に少年が出て行った、代わりにディアルムドさんがベッドそばに寄ってくる。
視界に見えたディアルムドさんの笑顔は案の定、とても輝いていた。
「あまりからかったら可哀想ですよ……」
思わずつぶやくと、「えーそーかなー」と間延びした返事が返ってきた。これは常習犯だ。今回だけでなく色々なところで思春期の男の子を揶揄って遊んでいると見た。被害者の皆さん、ご愁傷さまです。