第9話 綺麗な満月
担がれること数分、どさっとどこかに降ろされた。床だろうか、固いところに下ろされたので痩せ細った自分の身体では骨の出っ張っている部分が床と当たって痛い。
顔を覆っていた布団が取り払われ急に明るくなったため思わず目を瞑る。
酒の匂いと、たばこで空気が酷い。呼吸が苦しくなった。
「おい、連れて来たぞ!」
私を連れてきた男の人が声を上げた。
すると、前髪を掴まれ、グイと上を向かされた。
頭皮が引っ張られてすごく痛い。薄目を開けると、粗雑そうな男の顔があった。寝起きに一番見たくないくらいむさくるしい顔だ。
「確かに、戦巫女だな」
「マジで? こんな貧相なのに?」
「この目の色。間違いない」
目?
確かに、メルセデス先生は紅くて、ディアルムドさんは紫だったから人によって違いがあるのだろうか。
ぱっと手が離されて頭から床に落ちる。
痛い。
さっきから、すごく痛い。
今床でうった頭も痛いし、床と擦れてる身体も痛いし、この部屋の酷い空気で喉が痛い。
ゴホッゴホッと咳き込む。
「どうするつもりなんだろうな?」
「ンなこと知らねぇよ。俺らはただ依頼されただけだ」
「そうそう、レンファスト王国の戦巫女を攫え、ってな」
瞬間、身体が軽くなった。
朦朧としていた意識もはっきりとし、苦しかった息も楽になる。
男たちの会話がとても不愉快なものに聞こえた。
意識することなく、さっきまでの体調不良が嘘みたいに私は立ち上がっていた。
急に立った私に男たちが反応する。部屋は高校の教室くらいの広さで、机やいすがあり、そこに男たちが屯っていた。部屋には私と私を連れてきた男の人の他に、5人の男が居る。5人とも戦士なのか腰に剣をさしていた。さっきまで弱り切っていた私を見ていたせいか警戒心は薄い。剣に手を掛けることもなく、私を見ている。
なぜだか、それがとても腹立たしかった。
「舐めてんじゃねぇぞ、クズども」
一番近くにいたさっきまで私の近くにいた男に殴りかかる。男は距離を詰めた私に追いつかず、ノーガードで男の顔面に右手の拳が入った。
床に倒れて痛みに悶絶している。
「立て。人拐いなんて戦士のクセにこそこそしやがって。その腰にさしているもんは飾りか?」
「あぁ!? そっちこそ、舐めた口きいてんじゃねぇ!!」
男の1人が私に向かって鞘から抜いた剣を振り下ろす。
「遅い」
身体の重心を僅かにずらして避け、左手を鳩尾にのめり込ませた。時間差で反対方向から来た男には身体を低くして足払いをかけ、倒れたところで腹を踏みつける。
起き上がれない男たちを見て気分が高揚する。
とてもいい気分だった。
残る2人の男を見ると、ひとりは腰を抜かして、1人は立ったまま剣を構えている。
腰を抜かしている方の体たらくに思わずため息をつくと、腰を抜かした男はビクリと肩を震わせ「ひぃ!」と情けない声を出しながら扉の方へ向かった。私の丁度正面に扉がある。近くに落ちている剣を足に引っ掛けるようにして蹴り上げて、柄を私に背を向けて逃げようとする男の後頭部にぶつけてやった。短い悲鳴と共に男が倒れる。
残り1人。剣を構えていた男が他の仲間を倒されたところを見てどう行動するのか、見ようと先ほどまで男がいた場所を見ると誰もいなくなっていた。代わりに、左の方から殺意を纏った気配を感じた。
一心不乱に首をとろうとする殺意に無意識に笑みをこぼした。その殺意はとても心地よかった。
振り下ろされる剣を最低限の動きで避けて男の剣を持つ手を掴む。手に力を込めて剣の柄頭で喉元を突く。男の腕の動く範囲を無視して力づくでやったせいで腕から酷い音がしたが、喉の方は無事そうだからたぶん生きているだろう。
私はとても満足した気分になってため息をついた。
ふと、後ろから身じろぐ音がして振り返る。
そこには呆けた男の人が座り込んでいた。
私と目が合ってビクリと肩が跳ねる。
「あ、あの、俺……ただ、言われた通りにしただけで」
なるほど、確かに。この人の姿を見たのが灯りのない部屋で薄目を開けて見ただけだったためよくわからなかったけれど、体つきが他の人たちとはまるで違う。
男の人であり、あの宿で力仕事をしているだけあってそこそこいい体つきはしているが戦士には及ばない。
本当に、深く考えずバイト感覚で加担したんだろうな心のどこかで思いながらも身体は動く。
見逃すなんて選択肢は頭の中になかった。
腕を振りかぶって頬を殴り、鈍い音がして、男が吹っ飛ぶ。
とてもスッキリした。
息を吐いて、座る。
脈が速くて少し苦しい。でも、いつも力が入らなくて使い物にならない体はとても軽くて、息は切れて苦しいが、我慢できる範囲だ。少し落ち着いてからもう一度立ち上がる。
ここにはもう用はない。
動けなくなる前にディアルムドさんのところに戻らなきゃ。
立ち上がれたが戦っていた時よりも足取りはおぼつかない。
ふらふらと壁伝いに外へ出る。
外はすっかり真っ暗で人通りはなく、空には月があった。
綺麗な満月。
この世界で初めて見た夜空だった。
上を見ながら歩いていたから足がもつれて倒れる。
「ディアマンテ!」
私を呼ぶ声がした。
メルセデス先生でも、ディアルムドさんでもない声。
地面に倒れ、肩で息をしながら振り返ると、少し癖のある黒髪をした少年が慌てたように駆け寄り、私を抱き上げた。
「しっかりしろ! 一体何が……?」
少年が私の拳についた血を見て息をのむ。
それだけで何かを察したかのように黙った。
この子も私の知り合いなのだろうか?
足に金属があたるような感覚があり視線をやると、少年が携えた剣の鞘に足が当たっている。
この子も戦士なのだろうか?
それにしてはなんか違う。どちらかというとディアルムドさんよりもメルセデス先生ような雰囲気を持っている。
「酷いことはされてない?」
泣きそうな声をしているから、「大丈夫」と言いながら顔を上げて、思わず固まった。
綺麗な満月。
彼の目は、さっき見上げた空にあった月よりもずっと綺麗で美しい、優しい光を宿した目だった。
不思議ととても安心して、身体から力が抜けていく。
疲れていたからか、そのまま意識を失った。