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Apologize  作者: 和水
9/11

9.夏の嵐



 鏡台に向って座るフレイヤの髪を丁寧に櫛でとかしながら、ゾーイが目を細める。


「姫様、幸せそうですね」

「そうかしら?」


 鏡の中に映るゾーイに向かって問うと、穏やかに頷かれる。


「はい」

「……そうね。とても、幸せよ」


 自分でもかつてないほどの充足感に満たされているのが分かった。

 フレイヤはお腹に手をあて、目元を緩ませる。


「とっても幸せ」


 ゾーイが我がことのように嬉しそうに顔をほころばせると、フレイヤの髪に手を入れては更に輝きを増させる。


「エウシェン様が早くお帰りになられるといいですね」

「ええ。でも、そう我がままは言えないわ」


 ゾーイに笑顔で同意しながらも、フレイヤは小さく首を振る。


「遊びに行かれたんじゃないんですもの」

「……ミッラレスとの戦も近いのでしょうか?」


 健康的な若い娘の表情には不釣り合いの陰りが出来た。


 エウシェンとイーヴァルはいま軍をひきつれ、フレイヤの故郷ギゼーラに向かっている。

 ミッラレスの軍隊がギゼーラに向かって進軍しているという情報が入ったのだ。

 たとえ、それが真実でないにせよ、ギゼーラとは今一度ミッラレスの脅威を前にどう立ち向かうか改めて話合う必要がある。

 エウシェンの話では数日は帰らないということだったから、その顔を見て話をするのにはもう少し時間がかかるだろう。もし戦になれば、更に時間がいるはずだし、再びまた会えるとは限らない。

 不安だったし、寂しくもあったが、主のいない城を預かる女主人として、フレイヤは気丈にふるまわなければならない。弱音は吐けなかった。


「ジアスはどこにいるの? もう少し詳しい話が聞きたいわ」

「それが探しているのですが、姿が見えないのです」


 フレイヤは眉をひそめる。

 こんな時にと思うが、彼女の間諜はふいに姿を消すことがある。もしかしたら、イーヴァルの兵たちにまぎれ、フレイヤの父の元に向かっているのかもしれない。

 それなら、それでいいだろう。父の味方は一人でも多いほうがいいのだから。


「……姫様。ご心配なのは分かりますが、どうぞお健やかにお過ごしください」


 ゾーイのゆったりとした口調で、自分が随分険しい顔つきをしていたのが分かった。


「エウシェン様も、きっとそう望んでいらっしゃいます」

「ええ……。そうね」


 鏡越しにではなく、ちゃんと振り向いて、ゾーイに微笑みかける。


「ありがとう」


 恥ずかしそうに頬を少し染め、ゾーイが真っ白な歯を見せて笑う。

 フレイヤは目を細めて顔を正面に戻す。

 鏡に映る女の顔はもう何も知らない少女の顔ではない。愛しい男のすべてを受け入れ、そのために何をすべきかを知っている一人の女の顔だった。

 朝日が差し込む部屋の中、鏡に映る自分を見つめながら、フレイヤは改めて思った。幸せだと。




◇◇◇




 暴雨と木々が奏でる凶暴なざわめきが、堅固な城内にいるフレイヤには不思議と子守唄のように耳に響いたが、エウシェンはどうだろと考えると不安が胸をかすめた。

 あの人が、この嵐に遭ってないといいのだけど。

 今頃、フレイヤの家族とともにギゼーラの城にいるだろうとは分かっていても、身体を冷やしていないか心配でならなかった。


「あなたは一緒に行かなくてよかったの?」


 艶やかに白くやわらかな腿の内側に唇を這わせていたネルニィアが顔をあげて、笑顔を見せる。


「私の役目は貴女の側を離れず、お守りすることです」

「こうやってね」


 フレイヤはくっと笑い、男の顔を両膝を立てて挟みつける。


「いけないワンちゃんね。主人の居ぬ間に何をしようというのかしら?」


 からかうように頭を軽くかき回すようにして撫でると、ネルニィアが額に掛かった前髪をかき上げながら半身を起こす。


「エウシェンからも、貴女の側に付いているよう言われました」

「……あなたとエウシェンは本当に仲がいいわ」


 手を伸ばして、男の裸の胸に指を這わすと、ネルニィアが顔を近づけてきた。


「ええ」


 ついばむような口づけを繰り返しながら囁く。 


「兄弟同然です」


 熱情を抑えることなく、より深く、激しいものになってきた口づけを、フレイヤは押しとどめるように、ネルニィアの肩をそっと押す。

 それだけで健気なほど主人に忠実な飼い犬のごとく、ネルニィアは大人しく身を引いた。


「ごめんなさい。今日はその気になれなくて」


 そう言うと、ネルニィアに短いキスしてから目を覗きこむ。


「でも、朝まで側にいてくれない?」

「……言ったでしょう。貴女の言うことなら何でも聞きますよ」


 やわらかな微笑をたたえ、フレイヤの頭を撫でると、はだけたガウンを重ね合わせて目に眩しい若々しい蠱惑的な肢体を隠させる。


「夜は寒い。夏とはいえ気をつけなければ」

「母親みたいね」


 ガウンに包んだ身体を更に布団で首元まで覆い、寝かしつけようとする男の姿に口をとがらせる。


「貴女は大事な人なんです。私にとっても、エウシェンにとっても」


 傍らに横たわりながら、フレイヤの頬を手の甲で宝物のような愛おしさで撫でる。


「……今日の貴女は一際綺麗です」

「幸せなの」


 フレイヤは赤ん坊のように屈託なく笑うが、すぐにその表情を引き締める。


「エウシェンは大丈夫かしら?」

「大丈夫です」


 すぐに、ネルニィアが安心させるように頷くが、その眼差しの厳しさはエウシェンたちが出て行ってから緩むことがなかった。


「私の代わりにアスティンが側に付いているし、エウシェンはそう自分で望んでいないにも関わらず戦人としての才があるのですよ。何の心配もありません。……心配するとしたら」

「なに?」


 迷うような口調にネルニィアの顔を覗き込むと、無言の攻防戦の後やんわりと首を振られてしまった。


「なんでもありません」


 またフレイヤの頭を撫でると、ネルニィアが子供に言い聞かせるように優しく言う。


「フレイヤ様。貴女はどうぞそのままで」


 目元を和らげたその表情をエウシェンと重ねながら、フレイヤは小さくうなずき、その先を促す。


「ですが、どうかお願いします。私と……、いえ、エウシェンを信じてください」


 フレイヤの額に優しく口づけを落とすと、寂しげにも見える笑みを浮かべた。


「私の願いはそれだけです」


 泣きたくなるほど優しく、情熱を秘める瞳に陰りが宿る。

 もう少しその目を見ていたかったのに、ネルニィアは頭を枕に落とし仰向けに寝ると、あとは祈るように瞼を閉じてしまった。

 その横顔を見て、フレイヤはふと思った。

 ネルニィアは全て分かっているのかもしれないと。




◇◇◇




 フレイヤは一つ理解したことがある。 


 結婚式の祝宴にも使われた大広間で玉座に座り、集まった家臣たちの視線をいっしんに集めることはこの上なく優越感に浸れるのだと。

 イーヴァルが権力に執着するのも無理のない事の様な気がした。

 しかし、内心の思いを押しとどめてフレイヤは出来るだけ威厳ある表情を作りながら、家臣達の言葉に耳を傾けることに集中する。

 主人のいない城で、例えお飾り的な役割とはいえ、フレイヤがこの国の要である必要があった。

 幸い、ネルニィアが常に側に付いていてくれていたし、イーヴァルの右腕であるハリエスが城に残り、ほとんど全てのことをフレイヤの代わりに仕切ってくれた。 

 フレイヤはそれを侮辱と受け取らず、謙虚な気持ちでハリエスの言動の一つ一つをよく観察し、出来る限り吸収しようとする。

 今は脇に甘んじるが、近いうちに自分が必ず上に立つと決めていた。エウシェンもきっとそう望んでいるだろう。


「――フレイヤ殿下。実は、わたくしどもから贈り物があるのです」


 滞りなく会議という名の茶番が終わると、ハリエスがほがらかに笑いかけてきた。


「……何でしょう?」


 いきなりの事に訝しく思うが、フレイヤは毅然とした顔つきで、ハリエスの作ったような笑顔を見つめ返す。すると、更に大きな笑みが返された。

 つい眉をひそめたくなるのを我慢する。

 間諜という疑い以外にも、紳士的ではあるが胡散臭さが消えないこの男が、どうしても好きになれなかった。

 視界の端に、ネルニィアが周囲を警戒するようにそっと動くのが見えた。


「贈り物とはずいぶん突然ですね」


 ハリエスに話しかけながら、フレイヤは広間に集まる家臣たちに注意深く視線を走らせる。

 ほとんどの者は、ハリエスのその“贈り物”とやらを知っているのだろう。

 フレイヤの眼差しを射抜くような目で返す者もいれば、そっと視線を外す者もいた。そして、自分同様に不思議そうな顔をしている者達も何人かいた。


「今、お持ちします」


 ハリエスが恭しくお辞儀をすると、鋭く手をあげる。

 すると出入り口が開き、ハリエスの護衛でもある騎士が一人、お盆のようなものに赤い布地をかけたものを持って入ってきた。

 一瞬、騎士の方に気を取られたが、扉がすぐに閉められると扉を守る衛兵の数が先程より多くなっていることに気づいて愕然とする。

 それだけではない。玉座近くにある左右の扉まで兵で固められている。


「……ネルニィア!」


 フレイヤの口から小さな悲鳴が上げられるのと、騎士が布地を取ったのは同時だった。

 剣を抜きながら瞬時に駆け寄ってきたネルニィアの腕をつかみながら、フレイヤは銀の大皿に乗ったモノを見て叫び声を上げる。


「ジ、アス!?」


 それは姿をくらましていた彼女の間諜のなれの姿であった。

 首を切り取られた男は苦悶の表情を浮かべながら、大皿に乗せられ、感情をむしり取られた瞳で彼女を見つめていた。


「ああっ……! あ、あっ!!」


 玉座から立ち上がり喘ぐように胸を上下させるフレイヤを背中に庇いながら、ネルニィアが叫ぶ。


「ハリエス! どういうつもりだ!?」

「……お前こそどういうつもりだ?」


 ハリエスの口が不敵に歪む。


「この間男が。陛下が何も知らないとでも?」


 コツコツと足音を響かせながら、ネルニィアの背中に隠れ、震えているフレイヤを覗きこむように首をかしげる。


「フレイヤ様。夫の居ぬ間に、その側近と逢瀬を重ねるとは可愛らしい顔をして、随分と大胆なお方だ」

「……私は」


 蒼白な顔をして、フレイヤは唇を震わせる。


「おまけに間諜まで我が城に放ってくれた。その情報をどこに売ったのですか? やはりミッラレス?」

「ち、違います!」

「何が違うのでしょう。貴女が来てからというもの、我が軍はミッラレスにしてやられてばかりだ。唯一つ、いい事を教えてあげましょう」


 ハリエスがにっこりと笑う。


「貴女の国にミッラレスの軍が近づいているという話は嘘です。どうですか? 安心なされたでしょう」


 にこやかに笑いながらハリエスが一歩一歩近づいてくる。

 玉座を背にしてネルニィアの背中に隠れるフレイヤだが、周囲を見回して自分に味方がいないことを痛感する。

 全ての扉は当然のごとく塞がれ、兵たちは一人残らず剣を抜いているし、ハリエスの思惑を知らなかった僅かな家臣たちも今はフレイヤに不信の目を向けてきた。


「……でも。だったら、どうして軍を」


 そこで、フレイヤははたと口を閉ざした後、絶望的な悲鳴を上げる。


「そうです。賢明なお方ですね」


 ハリエスが目を細めて、フレイヤの様子を満足げに眺める。


「イーヴァル陛下は裏切りを許しません。決してね」

「いやよ……。お願い」

「以前、私の故国の裏切りを知った時、あの方はどうしたと思います?」


 フレイヤは瞳に涙をたたえながら、力なく首を振る。

 両親に兄弟。その家族。みんなの笑顔が浮かんでは消えていった。また悲鳴が漏れる。どうしようもない悲しみを伴って。


「ネルニィア。お前の父を殺した時、陛下が何をしたかお前は知っているだろう?」


 唯一の支えである背中が強張るのが、すぐ目の前で感じられた。


「殺された。みんな殺された。お前一人残してな」

「……ご、誤解です。ジアスはそんな……」 

「だが、陛下はお優しい方だ」 


 フレイヤを無視して、ハリエスは先を続ける。


「必ず一人は残し、手元に置かれた。私やその男のようにね」


 くいっと顎をあげて、剣を抜いたままフレイヤを守るネルニィアを指し示す。


「しかし、どうやら飼い犬は主人を別に変えたようだ」

「……ハリエス。誤解しているようだが、私の主人はただ一人。エウシェン殿下だ」


 ネルニィアの声は落ち着いていて、フレイヤからはその表情は計り知れなかったが、エウシェンの名前にハッとする。今回の計画に、エウシェンは関与していないのだろうか。

 どちらにせよ、エウシェンの名前を聞いただけで力が湧いてくるのが不思議だった。溢れかけていた涙も止まった。

 気がつくと、ネルニィアが少しだけ振り返り、自分を見ていた。この男のどこか憂いを含んだ自分を見つめるまなざしが、いつだってフレイヤは好きだった。

 フレイヤの視線を捉えると安心させるように頷き、すぐまた前に戻す。


「ハリエス。自分の足元に火が付いていることも気がつかぬ愚か者よ」


 ネルニィアが剣を持っていた腕を動かすと、集まった兵たちがいっせいに詰め寄ったが、彼はその反応を楽しむようにゆっくりと剣を鞘に戻した。


「俺の事はいくらでも好きにするがよい」


 広間を見渡しながら声を張り上げる。


「だが、この方を指一本でも傷つけてみろ。この命がある限り、戦い抜く」

「……負け惜しみを」


 ハリエスがくっと口をゆがめると、片手を軽く上げる。

 無抵抗のネルニィアに兵士たちがいっせいに押しかけ、無理やり床に抑えつけるのを見て、フレイヤは悲鳴を上げるのを必死で抑えた。

 ただ、人の山に押しつぶされそうになるネルニィアの姿から目を離さず、その瞳を今一度見ようとした。


「フレイヤ様」


 玉座の前に立つフレイヤに手が差し伸べられる。


「一緒に来ていただきたい。先程も言った通り、陛下はお優しい方だ。貴女を殺すつもりはありません」


 ようやく人の山が崩れ、手足を縛られたネルニィアが顔を出した。

 殴られたのか鼻から血が垂れ、頭からも血が流れている。


「陛下は寛大にも、貴女を自分の妻にと望んでいらっしゃる」


 ハリエスはしゃべり続けるが、フレイヤはネルニィアから目を離さない。


「もはや、エウシェン様には期待出来ますまい。兄上方と違って柔なお方だ。側近ごときに己の妻を寝取られた」


 無理やり引き立てられていく最中、ネルニィアがなんとか首をひねって振り向くのが見えた。


「今頃、貴女の家族と共に永久の眠りに付いていることでしょう」


 その瞳をフレイヤは見た。覗きこんだ。それをネルニィアも分かっていた。


「……さあ。フレイヤ様。どうぞ私と一緒に。大丈夫。手荒な真似はしません」

「私は」 


 フレイヤは差し出された手をピシャリとはねのけると、ハリエスへと微笑みかける。


「夫を信じております」


 一瞬、ハリエスがたじろいだのが分かった。

 フレイヤはまた大きく微笑むと周囲にいる兵士たちを見回して、気やすく話しかける。


「さあ、連れて行ってちょうだい。自室に監禁? それとも地下牢かしら?」

「……自室に監禁だ」


 フレイヤに叩かれた手を抑えながらハリエスが乾いた声を出し、この凄惨な場に不釣り合いな輝くような笑顔に一瞬頬を染めた若い兵士を睨みつける。


「わかりました。では、みなさん行きましょうか」


 フレイヤは鷹揚に頷くと、兵士を引き連れ自ら先に立って歩き出すが、すぐに足を止めて顔だけ振り向く。


「ああ。それと」

「なんでしょう?」


 渋々フレイヤの後を付いてきていたハリエスが苦い顔を返す。


「私の侍女は無事でしょうね?」

「牢に監禁していますが無事です」

「結構」


 出来の良い生徒を褒めるように笑顔で頷くと、フレイヤはまた歩き出す。

 そして、もう後ろを振りかえることはなかった。



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