6.疑惑の眼
元々、北の大地は複数の小国が寄り集まって構成されている。
互いに結束しあい、北海から吹いてくる強風を前に寄り添っていればよいものを、昔から大小の争いを絶えず繰り返してきた。
その影で西の騎馬民族を祖とするミッラレスは着実に力をつけ続け、気がつけば強大な軍事国家となっていたのだ。
次々と周囲の国々がミッラレスに取り込まれていく中、このアッティラ国が持ちこたえているのは、ひとえに国王イーヴァルの功労といえた。
ミッラレスの脅威に弱腰だった実兄を玉座から引きずり落とし、謀反によって王になった男へ王冠を授ける任を拒否した当時の大祭司を殺し、自らの手で王冠をかぶったその足ですぐさま国境付近にまで進軍していたミッラレスの軍を蹴散らしたイーヴァルは時に恐ろしいが、頼もしくもある。
彼が目指すのは北部の統一であり、最終的な視野にはミッラレスの実り豊かな土地さえも入っているであろうという話だった。
「……恐ろしい人ね。でも、彼こそ北の戦士に相応しい」
フレイヤは長い睫をふせ、イーヴァルの強大さに身震いする。
「陛下も同様の事をおっしゃっておりました」
ジアスが草花の手入れをするフリをしながら、声をひそめる。
「そして、信用しておりません」
「ええ。北部統一が目的である以上、我が母国ギゼーラはもっとも邪魔な存在でしょうから」
庭師は無言でそれに頷く。
フレイヤは名ばかりの花園に腰を落ち着け、花々を愛でる。いや、愛でるフリをしている。
花園というにはあまりにお粗末だが、全て戦用に作られた城内で唯一花が咲く中庭は、元々今は亡きイーヴァルの妻が作らせたものだという。
フレイヤが唯一自室以外で落ち着ける場所であった。
その傍らで庭仕事に勤しむ男が実はフレイヤの父が密かに忍び込ませたギゼーラの間諜であることを知るのは、フレイヤとゾーイの二人だけだ。
ジアスはフレイヤの耳であり、父親からの結婚祝いの一つでもあった。
今まで様々な噂や情報が、このジアスによってもたらされてきた。
「……そういえば、間諜がいるのではと陛下が怪しんでいたわ」
ジアスがちらりとフレイヤに目を向け、何でもない事のように言う。
「それは、私とは別の者のことでしょう」
「では、本当にいるのね?」
フレイヤの声が思わず高くなったので、ジアスが目顔で制してきた。
「……あなたは誰か知ってる?」
「いいえ」
声を押さえながら聞くと、ジアスが残念そうに眉をひそめ首を振る。
「ただ、いくつか目星はつけております」
ジアスは中背で朴訥そうな顔立ちの中年男だが、その瞳の奥には常に鋭い光が宿っていた。
その鋭さが増したのを見て、フレイヤは目だけ動かして、ジアスの視線の先を追う。
視界に入ってきた背の高い中年の男ハリエスは、イーヴァルが特に信を置いている人物だった。
いつものごとくイーヴァルに用でもあるのか、ハリエスが中庭を足早に抜けて城内に入っていくのを確認してから、フレイヤは囁く。
「彼?」
ジアスが草木の手入れを没頭するフリをしながら、口を動かさずに答える。
「元々、アーヴァス人でありながら、イーヴァル陛下にその才を認められた者。お気をつけください」
そう言うや、本当に草花の手入れをしながら、さりげなくフレイヤの元から離れた。
「フレイヤ様」
何事かとジアスの姿を目で追いかけているところ、唐突に声をかけられて肩が飛び跳ねる。
「失礼」
笑いを含んだ声で謝罪されるが、嫌な感じはしない。相手に悪意がないからだろう。
「ネルニィア」
少し離れた場所に立っていた男の名を咎めるように呼ぶフレイヤ自身も微笑んでいる。
「あなたは気配を消すのが上手なのね。きっと、よい間諜になれることよ」
先ほどの会話の尾が引いて間諜などという言葉が出てきたが、ネルニィアは気を悪くする事なく飄然と立っている。
実際、周囲からの高い評価の割には気配が薄い男だった。
「申し訳ありません。お名前を呼ぼうとは思ったのですが、心あらずという風情だったので。つい気が引けてしまいました」
「ごめんなさい。ぼおっとしていて」
「謝罪は必要ありません」
ネルニィアが優しく首を振る。
「何か憂い事でも?」
フレイヤが黙っていると、申し訳ないように眉尻をさげる。
「出すぎた真似をして申し訳ありません。ただ、あまりに貴女の最近のご様子が」
「いいえ。いいのです」
フレイヤは慌てて言う。
あの夜以来、自分の様子が目に見えて変なのはみな気づいているはずだ。
だが、分かっていても指摘されると辛かった。
「なにもありません。大丈夫です」
まだ心配そうなネルニィアに向けて、無理やり微笑みかける。
「ただ、家族が恋しくて。……子供みたいなので、誰にも言わないでくれるかしら?」
苦しい言い訳なのは分かっていたが、ネルニィアはそれに乗っかてくれた。
「もちろんです。それに、ちっとも子供みたいとは思いませんよ。当然のことです」
まだ立ったままだが、少しだけ距離を縮めてきた。
「……そうかしら」
フレイヤの呟きは宙に浮いて消える。
側に立ったままネルニィアも有難いことに無言を貫く。この沈黙の時間は、フレイヤにとって心地よかった。
「ネルニィア。あなたのご家族は?」
風が花を揺らすのを見るとはなしに眺めながら、フレイヤは前を見つめたまま問いかける。
「私に家族はおりませぬ」
沈黙の間いっさいの気配を感じさせなかったのに、打てば響くようにネルニィアが答える。
「しがない独り身。楽なものですよ」
「いいえ。あなたには家族がいるでしょ?」
口を閉ざしたネルニィアの表情が見たくて、フレイヤは顔をあげる。
「従兄弟と、叔父が」
挑むような眼差しを気にすることなく、ネルニィアは気取りなく肩をすくめて白い歯を見せる。
「そうですね。でも、私は一人です」
「何故? イーヴァル陛下はあなたの叔父だし、エウシェンはあなたの従兄弟なのでしょう。家族だわ」
気色ばむフレイヤに返ってきたのは、戸惑うほどあたたかな笑顔だった。
「貴女の家族はとても仲がよいのでしょうね。羨ましいです」
「そんなことは」
エウシェンと似たようなことを言われ、フレイヤは戸惑う。
そして、日頃似ていないと思っていた二人だったのに、目元をやわらげた時の笑顔がエウシェンと同じだと今日初めて気づいた。
「そうなのですよ。私とあの二人の関係を知っているのなら、私の立ち位置も分かっているはずだ」
そこで少しだけ注意深い表情になる。
「私のことを誰から?」
「噂話よ」
素っ気無く答えてから、フレイヤは廻りを気にする様子をフリしながら、無言で先ほどから土いじりに没頭する男に視線を走らせる。
ジアスは慎重に二人から距離を置いていた。会話は聞こえていないはずだ。ネルニィアもそれを確認してから、また喋りだす。
「私の父は、前国王。それを、叔父上が謀反を起して玉座を勝ち取りました。……周知の事実ですね」
ネルニィアはうんざりした様子で溜息をこぼすが、フレイヤが噂話で聞いたと疑っていないようなので安堵した。
事実、ジアスを通して聞かなくても、いずれ耳に入っていたことであろう。
「あなたのお父様もご兄弟もその際、殺されたとか」
残酷な話だ。しかし、よくある話でもある。
「ええ。ただ、私は妾の子だったし、まだ赤子だという理由で運よく生き残れました」
運がいいと言えるのだろうか。ふと疑問に思うが、その真意はネルニィア自身にしか分からない。
「何故、陛下は……」
言いよどむフレイヤの後を、ネルニィアが引き継ぐ。
「父は保守的路線だった。しかし、刻一刻と変る戦時状況の中、敵軍が悠々と攻めはいってくることに陛下は納得出来なかったのです。そして、そのように考えている者が大勢いた」
「だから、謀反がつつがなく成功したのね」
「ええ」
そこで、くっとさもおかしそうにネルニィアが笑う。
「まあ、全て後から人に聞いた話ですけどね」
「あなたはまだ小さかった」
「ええ。今は亡きウルリカ王妃にはよくして頂きましたよ」
フレイヤの瞳を捉え、離さない。
「エウシェンとは年が近いこともあって、実の息子同然に分け隔てなく育ててくれた」
探るような眼差しに、ネルニィアが核心に近づいてきた事を知る。
「……あなたと、夫は仲がよいわ」
「ええ。そうですね。だが同等ではない。自分の立場は理解しています」
苦い笑みに、ネルニィアの控えめな態度の理由が分かる気がした。
イーヴァルは、ネルニィアを警戒している。それだけ、彼は優秀な男だった。
「エウシェンとは兄弟のように共に育ちました。彼を補佐し、支えることが私の役目」
「あなたはそれでいいのね」
「はい」
気取らぬ態度は、真実そう思っているように見えた。
「だからこそ気になります。貴女の……そのご様子が」
最後、口を濁すが言いたいことは伝わったが、真実を言いかねた。
「もし、私でよければ」
「よいのです」
ネルニィアの言葉を、ピシャリと遮る。
続けられる言葉は予想できたが、それを受ける訳にはいかない。
まったくの善意で言っているのかもしれないが、簡単に信用することはできなかった。
「話せて楽しかったわ。ありがとう」
エウシェンの自分への振る舞いに理由があるか聞いてみたい気もしたが、ネルニィアは何も聞かされていないかもしれない。そうだった場合、恥をかくのは自分の方だ。
言外にこれ以上話すことはないという意味をこめて、座ったまま故郷で多くの男達を虜にしつづけた庭園に咲き誇る花々にも負けない笑顔を向けると、ネルニィアは一瞬何か喉につまったような顔をした後、すぐに表情を正し目礼すると音もなく足早に去っていった。
その背中を追っていると、ふと視線を感じたような気がした。
反射的に振り向くと、視界の中にエウシェンを捉えることができた。城内の入り口脇に立っている。
ただ、その視線はフレイヤを追い越し、去っていくネルニィアの方を向いていた。
フレイヤが自分に気づいた事を知ると、厳しかった表情がゆるむのが遠めでも分かった。フレイヤが控えめに手を振るのを待たずに、エウシェンはまたネルニィアの方に視線を向けるものの、すぐに顔を伏せる。
そして、今度はフレイヤを見ずに城内に入っていってしまった。
エウシェンの振る舞いに、何か引っかかりを覚え、エウシェンが消えた空間を見つめていると、ふと疑問が湧いた。
エウシェンはいつからあそこにいたのだろう。
自分がネルニィアと話していたのをずっと見ていたのだろうか。それとも、ジアスといたところからだろうか。
途端に動悸を覚え、胸を押さえる。
ジアスを探すが、もうその姿を花園から消していた。
不安に感じ、左右に視線を走らせた後、エウシェンの後を追ったほうがいいかと考えながら中庭に面した夫婦の部屋を見上げると、ちょうどエウシェンが窓辺に立った。
いつかのフレイヤのように中庭の様子を眺めている。
エウシェンの視線を追いかけるように、フレイヤも中庭に目を走らせる。
中庭で相変わらず兵士たちの鍛錬が行われていた。ネルニィアがその中に交じり、まだ年若い従士たちに剣の指導をつけていた。いつも通りの光景だ。
そして、鍛錬場の脇を歩く、イーヴァルとハリエスの姿があった。
彼らはひそひそと顔を近づけ話していたかと思うと、先ほどのエウシェンと同じように鍛錬場に目を向けた後、二人そろってフレイヤを射止めた。
まだ、間者の存在を疑われているのかもしれない。
どうしようもなく、自分は余所者なのだとフレイヤは下唇をかみしめる。
不安な心を抑えようと、フレイヤはエウシェンの姿を追って窓辺に目を向けるが、もうそこにはいなかった。




