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Apologize  作者: 和水
5/11

5.拒絶


「何を読んでいらっしゃるのです?」


 その夜、珍しく早い時間に部屋に戻ってきたエウシェンの背中へと問いかけると、柔らかな声が返ってきた。


「スレイルスの書だよ。ずっと待っていたのが、ようやく手に入ったのだ」


 蝋燭の明かりに照らされた顔は、新しい玩具をもらった子供のように輝いている。

 別室へと続く戸口に立ち、遠慮がちにエウシェンの様子を伺うフレイヤを見て、エウシェンは一度深く微笑むと目元をゆるめる。


「こちらへおいで。フレイヤ」


 フレイヤの頬がほんのり上気する。

 元々、別室への扉は付いておらず、自由に出入りできる立場ではあったが、忍んだ夜以外入ったことは今までなかった。

 こうして改めて見ると、夫婦の部屋よりはずっと手狭ではあるが、居心地のよい空間が作られていることがわかる。

 エウシェンの大柄な身体がようやく入りそうな寝台に、机と椅子がそれぞれ一つずつ。壁には大きな本棚が備え付けられており、隙間なく本が飾られているのを見て、フレイヤは目を見開く。

 以前は夜だったこともあるので気づけなかった。

 だいたい、自分のこれからすることにしか意識がいっていなかった。


「本が珍しいかい?」

「はい」


 フレイヤは素直に頷く。

 本そのものは珍しくなかったが、ここまで大量の本を個人が所有していることに驚いた。

 ましてや、アッティラは無骨な戦士たちで形成された国。戦時下では逞しい彼らだが、教養面でいえば赤子にも等しい。あのイーヴァルでさえ字が読めるかは怪しかった。


「君にも見せてあげよう」


 フレイヤが片腕を伸ばし、フレイヤの腰を引き寄せてきた。

 自然、椅子に座るエウシェンのすぐ隣に立ち、身体を密着させる体勢になった。

 どうしても意識して身体が固まってしまうし、エウシェンも気づいているとは思うのだが、何も言われなかった。


「ごらん」


 開いたままの本を指差し、フレイヤの顔を見上げる。 


「これは、スレイルス。ユハリ・スレイルスという東方の学者なのだが、彼が今まで見聞きした国々の珍しい風習やその国の政情などが書かれている」


 紙面に視線を走らせるフレイヤの姿を見て、心なしか満足そうな表情を作る。


「字が読めるのだね?」

「はい。兄達と一緒に教師に教わりました」


 その後ですぐに付け加える。


「父はあまりいい顔をしませんでしたが」

「御母上は学んだ方が良いと?」

「そうです」


 エウシェンの顔を見ると、おもいのほか真摯な眼差しが返ってきた。


「でも、その母も文字が読めることは人にはあまり言わないようにと」


 そこで少しためらった後、付け加えた。


「特に夫には」 


 二人の交差した後、エウシェンが片ほうの口角をあげる。


「賢い御母上だ」

「私もそう思います」


 迷うことなく同意するフレイヤに、エウシェンの瞳が面白そうに輝いた。


「私の母も賢い人だった」


 椅子の上で体勢を変えて、フレイヤに真っ直ぐ向き直る。


「賢く、美しい人だった」


 座ったまま、フレイヤの腰に両腕を回してやわらかく包み込む。


「とても愛情深く、しなやかな強さを持っていた」


 フレイヤを下から見上げてくる顔はいつもより幼く見え、幸せそうだった。


「そんな女性になっておくれ。フレイヤ」

「……そうすれば、あなたは」


 エウシェンが続きの言葉を待つが、乾いたように声が張り付き、その先は上手く言えなかった。


「もし……。もし私が、そんなじょせいに」

「フレイヤ?」


 ぽたりと涙の粒を額に受けたエウシェンの顔に驚愕が走る。


「どうしたんだい?」


 慌てて手を伸ばし、涙に濡れるフレイヤの顔を包み込んで己の肩に引き寄せる。


「何か、父上に言われた?」


 幼子に接するようにフレイヤの頭を撫で、耳元で囁く。


「いいえ。いいえ!」


 どうして分からないのか。フレイヤは駄々をこねる子供のように頭を振る。


 自分自身に腹がたち、フレイヤの顔が悔しさと屈辱で歪む。

 自分が今すべきことは、このような愚かな振る舞いをすることではなく、何故夫としての義務を果たしてくれないか問い詰める事である。エウシェンにはその務めを疎かにする権利などないはずだ。

 それを無視するということは、故郷ギゼーラばかりではなく、ひいてはフレイヤ自身が軽んじられているということだ。

 泣くものではない。堂々とするべきではないか。そのはずなのに、フレイヤは涙を止めることはできなかった。


「……違うんです」


 違うんです、と繰り返し、しゃっくりを上げながら泣くフレイヤを見て、エウシェンは困ったように眉尻を下げる。

 しばらく無言で様子をうかがっていたが、やがて泣き続けるフレイヤを恐る恐るという風に膝の上に抱き上げ、小鳥のように震える身体を撫で続けた。


「フレイヤ。困った子だね」


 フレイヤの頭の上に顎を乗せ、やわらかい溜息を落とされる。

 決して嫌味な感じではなかったが、子供扱いされている事には違いない。

 これ以上呆れられる前に己を律しようと努め、フレイヤは少しずつ落ち着きを取り戻していくが、顔を上げるとまた笑われる。


「なんて顔だい?」


 その言葉に耳まで赤らめ逃れようとするフレイヤの顔を押さえ、片手で濡れた頬を拭かれる。


「……誰のせいだと思ってるんです?」


 涙目で睨みつけるが、やんわりとした表情を返されるだけ。

 本当に赤ん坊のようだ。フレイヤは首筋まで赤くなるのを感じる。そんな彼女の様子を見守るエウシェンにしても、その瞳に宿るあたたかさは保護者そのものだった。


「ご家族に愛されてきたのだろうね」


 羨ましそうに呟かれた。


「そんなことは……」

「そうなのだよ」


 羨ましい、と実際に言葉にされた後、幾分表情が険しく引き締まった。


「君を不幸にするのは私の本意ではない」


 涙の後が残る頬を指先で撫でる。


「でも、不幸にするのだ。間違いなく」


 ああ、とフレイヤは溜息とも判断つかぬ声をもらす。


「……酷い人」


 それに対するエウシェンの答えは、苦い笑みだけ。


「あなたは酷い人です。エウシェン」


 手を伸ばして、髭の剃り跡が残る頬に手の平をそっと当てる。


「憎らしい旦那様」

「うん」 


 エウシェンは子供みたいに邪気のない顔をして目を細めると、頬に当てられたフレイヤの手に己の手を重ねた。

 やわらかく指を交差されたかと思うと、唇へと引き寄せて手の平に口付けられる。おもわずもれた溜息はどちらのものだったろうか。

 エウシェンが長い睫を伏せ、フレイヤの手をまた頬にあて頬擦りをし、その高い鼻をこすりつける。

 無言でそれを見つめるフレイヤに気づき、薄く笑むと、軽くかがみこみんで唇を重ねられた。結婚式以来初めてのことである。

 すぐ間近で互いの吐息が感じられた。眼差しが交差し離れない。

 エウシェンは膝の上に座るフレイヤをしっかり抱き寄せると立ち上がり、すぐ側の寝台にゆっくり横たわらせる。この状況に、大人しく身を任せるフレイヤを見つめながら上着を脱いだ。


「……怖い?」

「いいえ」


 フレイヤの答えに、エウシェンは顔を傾げて白い歯を見せる。


「私は怖いよ。とても」


 と言って、フレイヤの手を取ると自分の胸に当てる。

 フレイヤは睫を瞬かせる。何者をも恐れる事なく、全ての脅威から守ってくれそうな男の胸がいま激しく打ち付けているのが手の平を通して伝わってきた。

 エウシェンを見ると、少年のような笑みを頬に残したまま小さく頷かれる。フレイヤは瞳に涙を浮かべながら笑う。自分より七つも年上の男が愛おしくて仕方なかった。

 両手を伸ばすと、エウシェンが身をかがめる。

 その首に腕をまわして抱きつくと、自分の耳に、頬に、首筋に、エウシェンの熱を感じた。胸に移動する頭を抱え込み、髪の間に指を入れ、フレイヤは歓喜の息をもらす。

 エウシェンが上体を起き上がらせ、やっと訪れた幸せに浸るフレイヤを見て眩しそうに目を細めた。寝台に広がる銀髪に手をいれて一筋すくって髪先まで滑らせたかと思うと、フレイヤの激しく上下する胸の上に両手を置く。

 服の上からでは、ただでさえ低いエウシェンの熱を感じることはできない。フレイヤはねだるように、エウシェンの片方の手首を両手で掴んで、自分の胸に押し付ける。

 しかし、エウシェンは凍りついたように動かない。

 フレイヤが不審に思い顔を上げると、エウシェンは固まったままの体制で、押し黙っている。その瞳には確かにフレイヤが映っているのに、何も見えていないように思えた。

 まるで、フレイヤを透かしてその先の虚空を追い求めているようだ。


「……エウシェン?」


 名前を呼んでも答えは返ってこない。

 ただ、苦しげに唇を歪ませた。

 広い額に雨粒のような汗が浮かんでいるのに気づいて、フレイヤは驚く。唐突に手が離された。と思う間もなく、飛び跳ねるように身体が動く。


「エウシェン!?」


 フレイヤは手を伸ばすが、拒絶されるように広い背中を向けられて寝台の端に座られた。


「エウシェン。……どうして?」


 取りすがるようにもう一度背中に伸ばそうとするが、突然の行動を前にして迂闊に触れることは躊躇われた。


「……私には、やはり無理だ」


 老人のようにしわがれた声で突き放されたかと思うと、エウシェンは振り返りもせず別室を抜ける。

 そのまま部屋を足早に出て行くのを感じながら、扉が荒々しく閉められる音が、まるでフレイヤそのものを拒絶したかのように胸に響いた。


 フレイヤの唇が戦慄き、震えるような泣き声がその口から漏れる。


 今はもう悔しさは感じられなかった。屈辱さえも消えた。一国の王女としての立場を忘れ、僅かに残っていた誇りも手放した。

 まるで、ただの物を知らない田舎娘にでもなったかのようだ。



 どうしてこんなに胸が苦しいの。今にも張り裂けそう。



 涙を拭うこともせず、フレイヤは寝台に倒れこむ。

 エウシェンを呪い、それでも求める言葉を吐きながら、置いていかれたエウシェンの匂いが染み付いた上着を胸に抱き、声を押し殺して泣いた。




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