4.戸惑う思い
フレイヤは窓辺に座り、見るとはなしに中庭で繰り広げられる鍛錬の様子を眺める。
当然と言えるだろうが、みな強い。
特に、エウシェンの側近であり、祝宴の際に微笑みかけてきた男ネルニィアの強さは群を抜いていた。
事実、エウシェンには及ばぬが、戦場で数々の功績をあげているらしい。
けれど、決してそれに驕ることなく控えめな性格らしいことは、この半年で知るにいたっていた。そう。フレイヤがこの国に嫁いできてから半年経ったのだ。その間、夫婦の契りはなし。
長い冬が終わり、ようやく色鮮やかに咲く花々が顔を出しはじめたというのに、フレイヤの気分が晴れることはなかった。
「フレイヤ様。お茶をご用意いたしました」
「ええ。ありがとう」
ゾーイの言葉通り、卓上にはお茶と共にお菓子が用意されていた。
一輪挿しの花が傍らに置いてある。どれも、フレイヤの好きなものばかり。
あまり態度に出してないつもりだったが、この国に来てからというものフレイヤの気分が沈みがちなのが伝わっているのだろう。
ゾーイの心遣いは嬉しかったが腰を上げる気にはなれず、また顔を窓の外に戻すと、ちょうどエウシェンの姿が目に留まった。
ネルニィアや近しい側近達と楽しげに話している。
「……ねえ。ゾーイ」
「はい」
「私は美しい?」
ゾーイの顔を見て問いかけると、確固たる自信で宣言される。
「もちろんですとも。フレイヤ様ほど美しい方はおりません」
単純明快な答えだといわんばかりの口ぶりだ。
「フレイヤ様さえその気になれば、どんな殿方とて夢中になりますわ」
美しいか否か。善か悪か。ゾーイの世界は簡潔だ。
実際、故郷の男達は、あの手この手で、フレイヤの気を引こうと必死だった。
「でも、今はもうエウシェン様お一人で十分でございますね」
室内を見回して感嘆の息をはく。
「お優しい立派な殿方です。姫様は幸せ者ですわ」
この半年の間に、エウシェンから贈られた品々で溢れかえる部屋はまるで宝石箱のようだ。
わざわざ東方の商人から買い寄せたといううっとりするほど手触りのよい布地に、エマール人の手による細工が施された宝飾類の数々、目を見張るほど大きな石がついた指輪。舌がとろけそうなほど甘いお菓子を口に入れない日はない。
フレイヤに対しても常に優しい。
フレイへと語りかける睦言は詩的で、まるで愛の歌のようだ。時には、本当に歌ってくれることさえある。満月が浮かぶ夜、楽器を片手に歌う姿に胸の高鳴りを覚えながらも奇妙にも思った。
エウシェンはいつ、このような教養を身につけたのであろう。
エウシェンから発せられる言葉は確かな知識に裏打ちされたもので、その仕草は洗練されている。
いくら王族とはいえ、世界に見捨てられたような北の大地で身につけられるものではなかったが、それを問いかける親密さはまだ持てないでいた。
「私が幸せ者……。本当に、そうなのかしら?」
何故なら、フレイヤ自身がエウシェンの愛を誰よりも疑っているからだ。
「そうですとも」
力強く頷く娘に、曖昧な笑みを返すことしかできない。
この半年、夫婦は一緒に寝所を共にした事がない。
エウシェンが寝るのは夫婦部屋の続きの間にある別室で、大抵はその部屋に篭りきって出てこないか、フレイヤが寝る時間を見計らったように夜遅く戻ってくる。または、帰ってこない日もあった。
ある夜、勇気を出してエウシェンの寝床に忍んでみたが、敵襲にでも間違われたのか、起き上がりざまにおもいきり弾き飛ばされ、その勢いで床に倒れてしまった。
さすがに、エウシェンも慌てて打ち付けてしまった身体を労わり、謝罪してくれたが、何故フレイヤが忍んできたのか特に追求することはなかったし、フレイヤも諦めた。
フレイヤを敵と勘違いした時の獰猛な様子に怯えたのもあったが、エウシェンの内から頑なな拒絶を感じたからだ。
謝罪とともに頭を撫でてくれた時の手の平のあたたかさと、壁に打ち付けた背中の痛みが、しばらく相反したものだ。
この事は誰にも相談できないでいる。
ゾーイはもちろんの事だし、他の者達もフレイヤたちを仲のよい新婚夫婦だと見なしている。
秘密を胸に抱えたまま、エウシェンたちがいる中庭に目を戻すと、ちょうど揉め事が起こったらしい。
騒動の主はまだ年若い従騎士の青年で、何か不手際でも起したのかエウシェンが青年の胸に指をつきつけ激しく怒鳴りつけている。
何事かとフレイヤが身を乗り出すと、エウシェンが勢いよく青年の顔を殴りつけた。
その激しさに、おもわずフレイヤは身を強張らせる。
青年の姿が、拒絶された夜の自分と重なった。
更に、エウシェンは青年の頭を掴み、その腹を殴る。
勢いは止まらず、今度は膝から崩れ落ちた青年の腹を容赦なく蹴りつけた。青年は芋虫のように身体を縮ませるが、エウシェンは止まらない。
無抵抗の身体を蹴り続ける姿から逃れるように、フレイヤは目を反らした。
時に、エウシェンにはこうした暴力的なところがあった。
ああなると、もう止まらない。暴力を奮う理由は、フレイヤから見るとどれも些細なことに思えるのだが、エウシェンが躊躇することはない。
周りもそれを黙認している。今だってそうだ。みな、遠巻きにして二人の様子を見ている。
唯一、ネルニィアだけが意見するし、エウシェンもそれを受け入れる。現に今、ネルニィアが間に入って、エウシェンを留めるような仕草をした。
エウシェンがそれをあっさりと受け入れる様子を見て、フレイヤは安堵の息をつく。
同時に不可解にも思う。エウシェンは優しい。
元々、持っている性根が優しいのだ。それがわかるぐらいには、エウシェンという人を理解していると、フレイヤは思っている。
彼が必要以上の暴力をふるうのは、自分を優位に見せるための小芝居のではないかと、この頃のフレイヤは疑っていた。
現に、青年を殴りつけていた時の、エウシェンの顔はひどく冷めて見えた。
力ある男性が優位に立ち、称賛される地域だ。
不必要な暴力は嫌いだが、これもまたエウシェンなりの処世術なのであれば、自分がとがめる権利はない。
フレイヤは、ゾーイに気づかれないよう、密やかに息を吐く。
「……外の空気を吸ってくるわ」
鬱屈した気分を少しでも晴らそうと立ち上がるや否や、部屋を横切って扉へと向かう。
「姫様。お一人ではいけません」
慌ててゾーイが追いすがるが、眼差しだけで押し留めた。
一人廊下を歩いていると、ちょうど広間の戸が開いた。イーヴァルだ。会議の後なのか、家臣達に囲まれて楽しげに談笑している。
フレイヤはその場に立って一礼する。
すると、たしかハリエスという側近の男と話していたイーヴァルが話を切り上げ、フレイヤに話しかけてきた。
「フレイヤ、どこに行かれるのかな?」
「周辺を散策しようかと思いまして」
フレイヤは用心深く答える。どうも、この義父が信用できなかった。
「一人は危ない。私も一緒に行こう」
愛想のいい口ぶりに反して瞳は冷徹だ。有無を言わせぬところがある。
「もちろんですとも」
正直一人でいたかったが、フレイヤはできるだけ感じよく微笑む。
イーヴァルも無言で口角をあげた。
途端に、目元がやわらぐ。その様子が、エウシェンとひどく似ていて、胸が苦しくなるのをフレイヤは感じた。
「お忙しそうですね」
「ああ、ちょっとね」
鼻の上を指でかき、思案するように眉をひそめる。
フレイヤに言うまいか否か迷っているようだったが、イーヴァルは深く考える男ではなかった。
「実は、間諜がいるのではという疑惑が出ているのだ」
「……間諜」
自然、フレイヤの声がひそやかなものになった。
「そうなのだ。どうもこちらの動きを読まれている」
と、そこでフレイヤへの方を向く。
「まさか、心当たりはないだろうね?」
「まさか!?」
驚きで目を見開くフレイヤを見て、イーヴァルは声高らかに笑った。
「まさかだよ。いや、すまんね。この所、そなたの顔がうかない。そして、どうも情報が漏れているらしいのは、そなたが嫁入りしてからだ」
目尻に涙をためて、くつくつと笑って冗談口調にしながらも、その瞳はフレイヤの様子を一挙一動見張っていた。
「だから、つい疑ってしまった」
「……我が命と父の名にかけて、決してそのような事はありません」
青ざめたままフレイヤは厳粛な表情で宣言する。
「いやいや。もちろんだとも。分かっているよ」
イーヴァルは可笑しそうに笑いながら、フレイヤの細い肩を撫でる。
そして、その手を肩に置いたままフレイヤの顔を見つめた。それは、先ほどとは違い探るような眼差しではなかったが、もっと粘りつくような執拗さがあった。
疑われたのだという動揺からフレイヤはようやく立ち直るが、イーヴァルは一向に肩から手を離さない。
肩に置かれた手を横目で見、もう一度イーヴァルに向き直る。そして、その表情に浮かんだものを察して、背筋に悪寒が走る。
「あの……」
「分かっているとも。そなたはもう私の娘なのだから」
ようやく、イーヴァルが手を離した。
「そうだろう?」
「ええ。……お義父様」
自分でも呆れるほどか細い声が出た。
出来れば、イーヴァルとはもう一緒にいたくなかったが、それが許されることはなかった。
仕方無しに取り留めない会話をしながら歩いていると、騒がしい城の喧騒がいつの間にか消え、人気のない木立の中で二人だけになっていることに気づく。
いや、むしろ二人の姿に周囲の人間が身を引いたというほうが正しいかもしれない。
会話が宙に浮き、フレイヤは左右を見回す。
その様子を、イーヴァルが無言で見ていることを悟って、フレイヤは決まり悪くなるのを感じながら顔を戻した。
それを確認してから、イーヴァルがやわらかく問いかけてくる。
「先ほども言ったが、最近浮かぬ顔が多い。何か悩み事があるのかね?」
「いえ、そんなことは」
途端に騒ぐ胸を押さえながら、フレイヤは睫を伏せた。
この先の話が予想できた。
むしろ、イーヴァルの本来の目的はこれだろう。何しろ、結婚して半年経ったにもかかわらず懐妊の兆しがないのだから。
「フレイヤ。そなたは、我が国に咲いた花なのだ」
その瞳を捉えようかというように、イーヴァルが顔を覗き込んでくる。
「私が息子を三人亡くしているのは知っているね?」
「はい」
度重なる戦で、エウシェンの兄三人は亡くなっている。
どの兄も父親譲りの勇敢な戦士だったと、フレイヤの国までその名が聞こえてきていた。
「エウシェンは私に残された唯一の息子なのだ」
フレイヤの全身を眺め、満足そうに微笑む。
「そなたには、二人の兄と二人の弟がいるな」
「はい」
「御母上には、五人の兄弟がいたとか」
「二人の姉妹もおりました」
イーヴァルの目尻の皴がいっそう深くなる。
「実によい」
エウシェンと同じ薄い水色の瞳が、フレイヤのほっそりとしたウエストから緩急のついた腰周りをなぞるように上下し、最後に豊満な胸の上に止まる。
「早く私に世継ぎの顔を見せてくれ。我が娘よ」
「はい。お義父様」
先ほどとは違って確固たる声で返事をすると、後は薄い唇を噛み締めた。
強くあろうとする思いに反して、こころなしか顔色が悪くなるのが自分でも分かる。
けれど、それはフレイヤの高貴な顔立ちに、朝靄のような儚げな美しさを与える効果があった。
そんなフレイヤの反応を楽しむように、イーヴァルは視線をたっぷり沿わせてから、ようやく離した。
「エウシェンの奴が大切にするのもよく分かる」
そっと呟くと、手を伸ばしてくるのを見てフレイヤは反射的に身を強張らせる。
イーヴァルの顔に、再びあの表情を見たのだ。
故郷の男たちが自分を我が物とせんと驕り高くも望み、不遜な考えに囚われた時のあの表情を。この執拗な眼差しには見覚えがあった。
イーヴァルの指先が、肩先にこぼれた後れ毛に触れる寸前、茂みをかき分けて来る音と共に力強い声が二人の間を割って入ってきた。
「フレイヤ」
救いの手を差し伸ばされたような気がした。
顔を上げたフレイヤは、イーヴァルの肩越しに、エウシェンの姿を認めて肩の力を抜く。
エウシェンは険しい顔をして、二人から少し離れた場所に立っていた。その後ろには、ネルニィアと先ほど殴られていた青年が控えている。
「フレイヤ、父上」
もう一度、フレイヤの名を呼ぶと、エウシェンは大またに歩き、イーヴァルを押しのけるようにして二人の間に入るとフレイヤの身体をその腕に包み込んだ。
「こんな所で何を?」
父親に詰問調で問いかけると、イーヴァルが可笑しそうに肩を揺する。
「別に。ただの話だよ」
そして、半ばエウシェンの胸に顔を押し付けるような形でいるフレイヤへと微笑みかける。
「そうだろう?」
「は、い」
息が詰ったような声しか出せなかった。
それだけに、エウシェンの腕の温もりと確かな鼓動に慰められた。そんなフレイヤを宥めるように、エウシェンは大きな手で彼女の背中を幾度も優しく撫でてくる。
この手で、あの青年を殴り、剣を持って戦うのだ。その事実に恐怖すると同時に愛おしくも感じる。
フレイヤはぎゅっと目をつぶった。
決して熱いとは言えないエウシェンの体温に、父や兄弟たちにも感じたことがない安らぎを感じる自分に戸惑いを覚えつつも、この瞬間がいつまでも続けばいいと思った。




