3.初夜
「皆、嬉しいのだろう。可愛らしい姫君が来て、興奮してしまったようだ」
薄暗い廊下を、エウシェンの後を追うようにフレイヤは歩く。
「いえ、とんでもない。助かりましたわ」
意図せず、華やいだ声を出てしまうのは仕方がないことだった。
「元々、傭兵だけで作られた国。粗忽者ばかりだ」
エウシェンが長い睫を伏せると、彫りの深い目元に影が落ちた。
「許してくれ」
「そんな……。もう気にしないでください」
フレイヤは首を振るが、傾いていた天秤が徐々に上がってくるのを感じていた。
「……あの、まだ用意が」
「よい」
二人が用意された夫婦の部屋に入ろうとするのを見て、フレイヤのために夜着の仕度を調えるつもりで付いて来た侍女のゾーイが慌てる。
「早く、二人きりになりたいのでね」
まだ何か言いたそうなゾーイに、まるで悪戯っ子のような顔で微笑みをかける。
ゾーイが頬を赤く染めるが、それはフレイヤとて同様だ。
大人しくゾーイは引き下がるが、最後にフレイヤをちらりと見てきたので、安心させるように小さく頷き返してあげた。
事前に暖炉の日で暖められた部屋に、フレイヤを先に入れ、扉を後ろでに締めると、エウシェンが戸口の前に立ったままフレイヤを見た。二人の目が絡みつき、離れない。
「さあ、フレイヤ」
エウシェンがにっこりすると、誘うように片手を出して簡潔に言う。
「服を脱いで」
真っ赤になって直立するフレイヤを余所に、エウシェンは手近な椅子に座り、机の上に置いてあった酒瓶を手にとり飲み始める。微かに蜂蜜酒の匂いが鼻についた。
事前に教えられていた初夜の手順とは随分違うと思ったが、フレイヤは大人しく服に手をかけた。
最初は戸惑いと恐れで手が震えたが、すぐにそんな自分を振り切るように勢いよく服を一つ一つ脱ぎ捨てていく。
時に、こうしたフレイヤの振る舞いをゾーイは大胆だと心配するが、単に考えなしなのだと思う。それに、夫には従順になれと、母親から教わった。
ついに、下着ドレス一枚になったところで逡巡するがすぐに迷いを断ち切り、フレイヤは生まれたままの姿をエウシェンの前に晒した。
じっと、冬の夜空に瞬く星のような瞳を見つめる。
これだけが、フレイヤに許された唯一の武器とさえ思えた。対するエウシェンが何を感じているかは分からなかった。ただ、彼は飲み続けた。
まだ足りないのかと思い、フレイヤは頭に刺していた金細工の髪飾りをとり、床に投げ捨てたドレスの上に無造作に放る。エウシェンの反応を伺いながら瞳と同じ紫紺の輝きを放つ石がついた櫛もとり、二本目もとる。途端に、腰まである長い髪が広がった。
それでもエウシェンは飲んでいる。
そして、最後の一滴がなくなり、フレイヤが寒さに身震いした頃ようやく立ち上がり、緩慢な足取りでフレイヤの元まで歩いてきた。
「フレイヤ、君は美しい」
蝋燭の火に灯された花嫁の姿をじっくりと観察しだす。
「神話に出てくる白銀の花嫁。梟の娘にして、狼王の母……」
白銀に近いプラチナブロンド。紫色の瞳。新雪のような肌。細身だが緩急のついた肢体。人形のように整った高貴な顔立ち。フレイヤの容貌は時に恐れられるほど美しい。
そう幾度も言われてきたが、フレイヤ自身は気にいっていなかった。
例えば、ゾーイのようなそばかすが浮いた健康的な肌や、先ほどいた南国の香りが漂う男のような容姿、エウシェンの漆黒の闇のような髪に、フレイヤは心惹かれた。
しかし、夫である男が自分を美しいと言ってくれたのだ。
まだ、エウシェンに対しての不安は消えないが、先ほど広間で見せた態度から見ると嫌われているという訳ではないようだし、自分の取り越し苦労だったのかもしれない。
そう改め、淡い期待を込めながらエウシェンを見つめると、嫌悪感に溢れる眼差しが返ってきたので思わず怯む。
小さく息を飲んでしまったのが、エウシェンにもきっと聞こえただろう。
だが、彼は花嫁を労わるような素振りを見せるどころか、その大きな両手を伸ばしてフレイヤの顔を包み込むと、逃れようとする視線を無理やり捉える。
「あの……。どうぞ」
その後の言葉が続かない。
本音では恐ろしくて指一本触れられたくなかったが、それではこの婚姻が意味をなさない。かといって、自分から誘うような言葉を言うのも気がひけた。
と、その時フレイヤの小さな顔を包み込んでいた手がゆっくりと動き出した。
頬から首筋へ、なだらかな肩へと移り、鎖骨の線を親指の先でなぞる。しかし、そこで止まった。
彼女の細い首筋は、エウシェンの手にかかれば簡単に折れてしまいそうだと考え、フレイヤはゾッとする。エウシェンからはそう思えるだけの憎悪が感じられたのだ。
「……美しい。ただ、それだけだ」
エウシェンの手が離された。
フレイヤは言葉の真意が分かりかねて、エウシェンの表情を伺うように首をかしげる。
「あまり、私に期待しないように」
エウシェンは苦しそうに唇を歪ませたかと思うと、フレイヤの裸体から顔を背け、唐突に踵を返し部屋から出て行った。
後に残されたフレイヤは呆然とするだけだ。
控えめに戸が叩かれる音がする。ゾーイだろうが、何も返すことができない。
戸外から名前が呼ばれ、それで多少持ち直したが声が出ない。
かといって自ら戸をあける気力もないため、仕方なしに初夜のために用意された寝台に裸のまま腰掛ける。思考の渦が激しく回転していた。
この婚姻は失敗だったのか。
いや、それでは駄目だ。夫婦仲はともかくとして、世継ぎをなさねば。
エウシェンはイーヴァルにとって唯一残された一人息子だ。子を産まぬ妻になんの意味があるというのか。
その思いは、フレイヤの父とて同様だろう。いつ、ミッラレスが攻め入ってくるかもしれないという状況下なのに。
フレイヤは自分の体を見下ろす。この体を美しいと言ってくれた。
それなのに、首から下は触れてくれなかった。美しい以外取り得がない娘はどうしたらいいのだろう。
フレイヤは困惑するが、何ひとつ答えは思いつかなかった。




