2.結婚式の二人
大国ミッラレスならいざしらず、この北国の文化はまだまだ原始的で、祝い事も大地に根ざしている。
その昔、春の訪れを知らせる豊穣神が降り立ったという、丘の上に建つ質素そのものの聖堂には人が入りきれず、せめて花婿と花嫁の姿を一目見ようと入り口には人が溢れかえっていた。
昔の戦で壊されたという屋根は半分崩れ落ちたままになっており、壁にもそこかしこに穴が空いていて隙間風に皆が震える。
天井画はすすで汚れ、壁に描かれたモザイク画の天使が新郎新婦を唯一残った片目で見守っていた。
北風の寒さを直に受けながら、祭事をつかさどる大祭司の前で結婚の契りを交わし、聖堂から夫となったエウシェンと共に屋根なしの馬車に乗って城下町に入り、城までの道のりを二人の登場を待ち構えていた民衆たちに手を振る。
城に着けばすぐに大広間で祝宴がはじまり、みな年若く美しい花嫁を笑顔で迎えてくれた。
その間、エウシェンは常に微笑を絶やさず、花嫁を気遣ってくれたが、時折見せる値踏みするような眼差しに、フレイヤはどうしても落ち着くことができなかったし、好きになれそうにもなかった。
フレイヤは不安になり、今日一日の言動を振り返るが、取立て問題がないように思えた。
そもそも嫌われるだけの交流がない。誰か相談できる者はいないだろうか。
父と兄の姿を探すと、イーヴァルと両者の家臣達と共にお酒を片手に顔を突き合わせて話し込んでいた。
国境沿いのミッラレスの軍がまた怪しい動きをしだしたのは、フレイヤも聞いている。
この結婚は間違っていない。
むしろ、私は感謝すべきだ。役に立てるのだから。フレイヤは気持ちを新たに引き締めた。
隣席に座る花婿をそっと盗み見る。
エウシェンは儀礼的に話題を振ってくれたり、フレイヤの故郷の様子を聞きたがったが、基本的にずっと難しい顔でお酒を飲み続けている。
唇に零れた僅かな水滴を長い指で丁寧に拭う仕草は、やはり神経質そうな印象を人に与えた。
確か、二十四歳というから、十七歳になるフレイヤからみると七歳年上になる。エウシェンと同じ年ではないが、フレイヤには兄が二人いるし、下には弟が二人いる。
寒い冬から逃れるようにいつもくっ付きあっているので、兄弟間の仲は良く、それなりに男性というものがどういうものか分かっているつもりだったが、エウシェンの態度は腑に落ちない。
それに、時折見せる瞳の陰りは彼を二十四歳の若者というよりも、八十歳の老人のように見せていた。
「……あなたと兄上は似ておりますね」
エウシェンが唐突に口を開いた。
「そうでしょうか?」
慌てて瞬きを激しく繰り返しながら問うと、目尻を細めて頷かれる。
視線の先を追うと、兄のスヴェンがいた。
確かに、銀に近いプラチナブランドはフレイヤと同じものであり、その美貌を若い頃から称えられてきた母に二人は兄弟の中で一番似ていた。
「ええ。横顔の輪郭なんか特に」
エウシェンが口の端を上げながら、フレイヤの横顔の輪郭をなぞるように指を動かすが、すぐにお酒を飲むことに専念しだす。
フレイヤは気づかれぬように小さく息を吐く。
先ほどからずっとこんな調子だ。ぽつりぽつりと会話が宙に浮いては途切れ、消える。
その時、台座の席に座るエウシェンからは少し距離を置いているものの、呼ばれればすぐに駆けつける位置に立っている男にふと目が留まった。
結婚式の時にもいたし、城までの帰り道もずっと馬車の後ろを馬に乗って付いてきていたから、エウシェンの側近なのだろう。エウシェンが男と親しげに話していた時見せた笑顔こそ、本物だという確信が何故かあった。
人懐っこくて少年のような無垢な笑顔を、自分に見せてくれる日が来るだろうかはまだ分からない。ただ今でなくても、この先でもいい。
兄二人も政略結婚だったが、それぞれ妻との関係は良好だし、幸せそうだ。
可愛らしい子供達も次々生まれた。次は自分の番だ。愛らしい甥っこと姪っこたちの姿を思い出し、フレイヤの表情がいくらか明るくなった時、エウシェンの側近と思われる男と目があった。いや、彼の方は最初からフレイヤを見ていた。
フレイヤの視線に気がつくと微笑を返してくる。
感じのいい男だが、異国的な顔立ちや浅黒い肌は北の大地にそぐわない気がした。痩身だが、服の上からでもよく鍛えられているのがわかった。弓のようにしなやかな体つきだ。
男の笑みに釣られて、フレイヤもおもわず微笑を返したが、それがちょうどエウシェンの目に入った。
フレイヤと男を交互に見つめ、すぐに苦い表情を作る。
何事かと思うと、いきなりフレイヤの手をとった。疑問を思う暇もなく、無理やり引き立てられる。
二人の動きに気がつき、イーヴァルたちも顔をあげた。
「ああ。とうとう花嫁の美しさに我慢できなくなったか」
父と兄がいる前で、そのような物言いはして欲しくなかった。フレイヤの頬がさっと朱に染まる。
「さあ、早く部屋に行くがいい。本当の夫婦の契りを交わすのだ」
フレイヤの気持ちとは裏腹に、イーヴァルは止まらない。
周囲の者達も同様だ。
酔いと場の勢いに任せて、あからさまに卑猥な言葉を吐く者もいた。それを咎めるどころか笑いが生まれるあたり、この国が荒くれ戦士を中心にして形成された男社会だからだろう。
フレイヤの国とてさしたる違いはないが、さすがに父と兄は気まずそうな顔をしている。
今すぐ外に飛び出して、火照った顔を雪の中に埋めたくなった。
「父上、嫉妬はいけませんよ」
エウシェンが快活な笑い声をたて、フレイヤをその腕の中に囲う。
「いくら美しいとはいえ、彼女は私の花嫁」
男の熱い胸板や、力強い抱擁を間近に感じ、フレイヤは別の意味で耳まで赤くなった。
「この北国に咲いた初々しい雪花なのです。からかうような物言いはやめてください」
激しく胸を打ちつける鼓動に翻弄されるフレイヤを、エウシェンはいっそう強く抱きしめ頭に頬擦りする。
「せっかくの花が枯れてしまうではないですか」
笑いを誘うような口ぶりだったが、唯一その瞳だけは冷徹な光を湛えるエウシェンの様子に、周囲も笑いまじりに謝罪しながら大人しく口をつぐんだ。誰かの乾いた笑い声の後、僅かな静寂が生まれた。
その様子を前に、エウシェンが満足そうに小さく頷くのを、フレイヤは胸を手で押さえながら見つめた。
「では、皆様ごきげんよう」
フレイヤを入り口までつれてくると、エウシェンは大きな背中に花嫁を隠して、まるで貴婦人かのように広間にいる者達にマントを翻してお辞儀する。拍車と喝采が広間から返ってきた。
先ほどまで消え入りたいような思いだったが、フレイヤは感謝の念をこめて、頭を下げたままのエウシェンの背中をじっと見つめた。




