1.雪原の花嫁
冬の太陽は気まぐれそのものだが、今日という特別な日にはさすがに贈り物を届ける気になったらしい。
この日、表面をまばゆいほど白く光らせた雪原は地平線の先まで続いていており、まるで世界の半分を覆っているかのように見えた。
雪という、偉大なる冬の無慈悲なる支配者は人々を身の内に閉じこめ、白い王国を作る。
恐ろしい事にこの地方では、その王国は年の半分近くもの間、人々から大地を奪いとり、彼らはようやく訪れたわずかな夏の日差しの中、半年分の深呼吸するのが常だった。
その真っ白な世界の中で、唐突に現れる崩れかけた石造りの建物の出現に大抵の者は驚く。
半ば雪に埋もれ、神にさえ見捨てられたような建物は、世を嘆いているようにも見えるが、伝統ある聖堂であった。
その聖堂の前に、トナカイにひかせたそりを取り囲むようにして花嫁の一行が到着した。
フレイヤは結婚式の日に、初めて夫となる男の顔を見ることになった。
期待と不安。半々だった気持ちは、途端に不安の方に天秤が大きく傾いた。
それだけ自分を見つめる花婿の眼差しが冷たさに満ちていたからだ。まるで、最北に位置するこの王国の冬のようだ。
薄氷のような水色の瞳を持つ男は背が高く、少し鷲鼻のところを除けば端正な顔立ちをしていたし、胸板があつく肩幅も広い骨格は荒々しい冬の戦士に相応しいものの、どこか神経質そうな印象が拭えなかった。
ーー私はこの人を愛せるだろうか。
しかし、フレイヤはすぐにそんな消極的な不安を打ち消した。
愛せはしなくても、努力をしなくては。
この結婚によって両国間の同盟が結ばれる。このアッティラ国の王であり、花婿の父であるイーヴァルは粗暴だが、恐れを知らぬ戦士であり、よき指導者だ。
度重なる隣国ミッラレスの襲撃にも耐え、幾たびも国土を守ってきた。
今回、フレイヤと息子との婚姻により更に力をつけ、大国ミッラレスと力量を競りあいたいところだろう。それは、フレイヤの父とて同じだった。
フレイヤの故郷ギゼーラもまたミッラレスと隣り合わせた小国で、強大すぎる隣国からの侵略の恐怖に常にさらされてきたのだった。
生きる事に精一杯な二つの北の大地は、常に貧困と度重なる侵略に耐えてきた。今この時、力を合わせなくては。
「おお。美しい花嫁ではないか」
周囲の助けをかりながら、そりから降り立った花嫁姿のフレイヤを見て、イーヴァルが喜色を浮かべる。
フレイヤの父ブルーノと長兄スヴェンも満足そうだ。周りの家臣達とて同様。
しかし、肝心の花婿だけが薄い唇を歪ませるのを、フレイヤは見逃さなかった。その事に、花婿も気づいた。
「……ようこそ、アッティラへ」
今までの無表情が嘘かのように、花婿が白い歯を出して微笑む。
「わたくしは、イーヴァル・アッティラの息子エウシェン・アッティラ。幸運にも、貴女の夫となる男です」
フレイヤ同様、結婚衣装の上にトナカイの毛皮であしらったマントを着込んだエウシェンは軽く一礼をすると、フレイヤの手をとる。
途端に、手を通してひやりとした冷たさが伝わってきた。
季節は真冬。
二人共、幾重にも着込んでいるが、唯一手だけは出していた。
寒い中、花嫁の到着を戸外で待っていたのだ。冷たくて同然だが、その冷たさは最初に受けた眼差しと同質のような気がして、フレイヤは上手く微笑むことができなかった。
「噂に違わぬ美しさ。目がつぶれそうです」
フレイヤの指にはめられた紫光石の指輪に口づけを落としながら、さらりと世辞を述べるが、どうも寒々しく響いた。
顔を上げて、フレイヤの様子を伺うようにこころもち顔を傾げて微笑んだ顔は、遊び人という評判に相応しく享楽的な印象を人に与える。
最初とは違い、もうその薄い瞳からは冷たさは感じないものの、傾いた天秤がもとに戻る事はなかった。
「まったくだ! 私があと二十年若かったら」
「父上、あと五十年の間違いでは?」
イーヴァルが子供のように地団太を踏み、ワザとらしく悔しがったと思ったら、間髪いれずエウシェンが返した。
フレイヤは引きつった笑みしか作れなかったが、どことなく緊張感にあふれていた空気が途端になごやかになり、微笑みが周囲に広がった。
これがこの男の魅力か。
イーヴァルの様子に、フレイヤは感心する。
イーヴァルは例え味方であろうと容赦がなく暴力的な君主と言われるし、実際そうなのだろうが、ただそれだけではこの北の小国を守っていく事はできなかっただろう。また、エウシェンもしっかり父の血を引いているようだ。
尊敬すべき人間であるが、生真面目すぎるところがあるフレイヤの父と兄では、この雰囲気は作れなかったであろう。
「さあ、エウシェン。花嫁の手を取れ。神の前で誓うのだ!」
既に酔っ払っているかのようなイーヴァルの陽気な声に、それまで聖堂の前で留まっていた面々はようやく動き出す。
実際に神の前で誓うのは両国間の結びつきであり、二人の結婚は表向きの理由に過ぎない。フレイヤは改めて気を引き締める。そんな彼女へ大きな手が差し出された。
横を見ると、エウシェンが無言の微笑を返してきた。
フレイヤもまた黙って己の手をぎこちなく置く。身も凍りつくような冷たい手の平だった。
フレイヤが手を重ねるのを確認すると、エウシェンはついっと前を向きなおる。その顔はもう笑っていなかった。
何の感情も感じられない。もう目を合わすこともしない。せっかく二人だけで話す機会というのに、長旅をしてきた花嫁に労わりの言葉もない。
故郷では常に賞賛の言葉がかけられ、温室の花のように大切にされてきたフレイヤにとってはかつて経験のないことだった。
十七歳のフレイヤは、エウシェンが理解できず困惑する。
ただ、僅かに残っていた期待が泡のように消えていくのがわかった。
一言も言葉を交わすことなく、二人は聖堂内に入っていく。周囲で見守る人々とは対照的に、二人には笑顔がなかった。




