第二十六話 嘘
「貴方には感謝しているわ」
感謝なんていらないのに。
「おれ、ずっと貴方のこと見てました。やっと貴方のこと好きだって気がついたのに」
「ありがとう」
彼女は驚きもせず答える。
「しあわせですか?」
これでいいんだ。自分に言い聞かす。
「たぶん、これが幸せっていうのかな。でも、これで安心して一日一日が送れる気がする」
彼女は幸せになったんだ。
だけどなぜだろうか、この幸せを壊したい感情は。
この指輪さえなkれば。
そう思った瞬間、指輪を口に入れていた。
「かまわないわ」
彼女の声に我に返ると、その指輪を飲みこもうとしていた。
そう気づいた瞬間、彼女の顔は近づき唇が触れたと思うと、舌が入ってきた。舌先に転がり込んだ指輪を彼女はそのまま取り出した。
僕は彼女の首を優しく包んだ。
白くて細い彼女の首は、触れただけ折れてしまいそうだった。
「死にたいって言っていたよね」
そう言いながら彼女の顔は涙で霞んでいたけれど、確かに頷いていた。
「約束したわ」
手に力を入れると、彼女は小さくうめき声をこぼした。
「駄目だね、私って。自分が幸せになった途端、約束忘れちゃって」
小さく掠れた声で彼女は答える。涙は僕が首から搾りだしたように流れる。
何故こんなことをしているのだろうか。
何がために何を失おうというのだろうか。
殺したいんじゃないのに、ただ消したいだけ。
何を?
違う。消したいのでもない。ただ悲しみから、そして苦しみから逃げ出したいだけ。
僕の行動は。
彼女の涙が僕の手の甲を刹那的に暖める。
「生きたいですか?」
彼女は頷く。
手から力が抜ける。
いつの間にか足首まで海に浸かっていた。
「生きたいなら生きたいっていえよ」
怒鳴りながらも、もう何に苛ついているのか解らなかった。
ただ、彼女に触れることはもう出来ない気がした。
「ねえ」
彼女が呼びかけた。細い声は消え入りそうなのに、どこか力強い。
「ごめん」
僕は先に謝る。
「いいの。私のほうこそ」
そう言っていつも着けている銀のリングを指から抜き、
「私は今日これを捨てに来たの」
そう言って舌に乗せた。
「海に捨てようと思ったけれど」
彼女は指輪を乗せたままの舌を引っ込めて、飲みこんだ。
咽が大きく揺れた。
「あなたに教わったわ」
僕は頷く。
「どんな味がしましたか」
「ちょっと苦かったかな」
おかしくなって笑った。
笑って少し冷静になると、めでたい話なのに二人で悲しい顔をしていた。
「ちょっと待ってて」
そう言って上着を彼女に被せ、急いで通りにあった酒屋に向かった。