第十二話 父親殺し
「まだ死にたいのですか」
彼女がこちらを向くとモスコミュールの氷が崩れる。そのモスコミュールに彼女は口をつける。
「別にそこまでしにたいわけじゃない」
「そいつはよかった」
僕はグラスに残ったビールを空ける。
「ただ退屈なだけ」
「退屈」
ただのオウム返し。
「昨日、海に行ったんです」
話を変えようとそう言って軟骨のから揚げを食べるとこりこりとした触感が気持ち良かった。彼女はやっとシーザーサラダに手をつけた。
「うみ、いいわね」
そう言ってリングに降れた。陽樹が父親殺しを再び思い出す。
「あなたは不思議な人ね」
彼女はハウスワインののデキャンタを頼んだ。
「そうですか」
何だか照れた。
「あなたの彼女になる人はきっと幸せよ」
今度は悲しくなった。
「不幸ですか」
「そうでもないわ。きっと」
ワインが置かれ、それぞれのワイングラスにワインを注ぐ。
「私は彼氏に愛されているから」
「愛してはいないんですか」
彼女が答える前に、失礼します。と店員が空いた皿を片す。
彼女のワインを飲むペースが上がる。
「私は人を愛せないから」
何だか卑怯だと思った。愛されているのに愛せないという彼女は、汚くて臆病で悲しい人だと。
「父親殺し」
ワインのを再び注ぎながら彼女は突然そう言った。
「私の少し前のあだ名」
あだ名じゃないんじゃないかと思いながらも、僕は黙ったままワイングラスに口をつける。薄い甘さと渋さとアルコールが口の中に広がる。
どう言葉を返せばよいかわからなかった。
彼女は笑う。