第十話 陽樹
救急車を呼んだのは陽樹だった。
電話近くのメモ帳には、タクシーの会社と家の電話番号、そして住所が書いてあったらしい。
病院まで着き叔父さんに病院名を言い、叔父さん達が来るのを待った。僕が出来たのはこれだけだった。ほとんどの事は陽樹がやってくれたし、叔父さんが来てからは全て叔父さん達にやってもらった。
おじいちゃんは早く運ばれたため大きな問題もなく一命を取り留めた。
僕はなんだったのだろうか。うなだれる僕に陽樹は何事も無かったかのように大変だったね。と言葉をかけてくれた。大変だったのはむしろ陽樹のほうだったのに。そう思いながら、僕は小さく首を横に振った。
「ありがとう」
なんとか声を出すと
「何言ってんだよ」
なんて陽樹は答えた。
陽樹がいてくれて良かった。
陽樹はしばらく僕の目を見ると、
「僕のじいちゃんは死んでしまったから」
と言って悲しく笑った。その言葉に少し救われた気がした。でも、その経験がおじいちゃんを助けたのだと思うと、複雑な気持ちになった。
夜の病院はやけに静かで心を沈ませる。月の光すらたまに途切れる雲間から廊下を僅かに照らすだけだった。
「おれ、おじいちゃんっこだったんだ」
叔父さん達から少し離れたソファーで陽樹が話し始めた。
「じいちゃん家は、僕が中学校の頃までずっとおれん家から近くてよく遊びに行ってたんだ」
僕は黙って頷く。
「高校に入ってから、親父の仕事の関係で東京へ来ると、なかなか会いに行かなくなって高校二年の夏休み、一年ぶりにおじいちゃん家に家族で行ったんだ。一日目は何てこと無かったんだけど、いや、そういう風に見えただけなのかな。二日目の夜にこれから寝るって時にじいちゃん急に倒れて」
陽樹の顔は暗い廊下でシルエットとなりその影は唇だけ動き、時折瞬きしているのがわかった。視線は前に向けられたままだった。その頬には唯一影を作らず透明な液体が流れていた。
「そのまま僕は何もしないまま立ち尽くして、親父やお袋がばたばたと電話をしたり、呼びかけているのを見ていたんだ。おばあちゃんだけには何となくこうなることが解っていたんだと思う。救急車が来るまでにおじいちゃんは心停止してしまったけれど、その間ばあちゃんはずっとじいちゃんの顔を見て、手を握っていたんだ」
陽樹はそこまで言うと鼻をすすった。
「ばあちゃん、心臓マッサージをしようとする救急隊に、もういいんです。って、俺には何が起きたのか気がつくのにだいぶかかったよ。もういいんですって言葉はじいちゃんが煙になるまで解らなかった」
ふいに陽樹が僕の方を向いた。両目から流れた涙はあごまでの道筋を作っていた。
「そして今日やっと、その時じいちゃんにしてやれなかったことを出来た気がするよ」
陽樹はそう言って微笑んだ。
それにつられて僕も微笑むと、何だか可笑しくなった。声を少しだけ漏らし、堪え泣く様に笑った。陽樹といっしょだったならば、どんな悲しいことでも少しは滑稽に感じ、ちょっぴり幸せになれる気がした。