1-1「カエル王子と異形の姿」
不定期更新です。
「時に助手さん。好きな人っています? 恋愛的に」
「もっちろんいますよ。せんせーです」
「……おおう」
と、まあこのように(ちょっぴり予想外)。ファンタジーだろうがノンフィクションであろうが、知的生命体の営みと恋愛は切っても切り離せないものなのです。
かつては種族の違いや立場の違いで涙を呑んだ方々もいらっしゃったようですが、種族の自由平等化が叫ばれている現代、後者はともかく前者で恋愛を規制されることはほぼ無くなったと言ってもよいでしょう。
流石に親指サイズの妖精族と巨人族のまぐわいは物理的にダメですけれどね。裂けるどころか恐らく潰れてしまうでしょうし。いや、何がとは言いませんけれども。
「せんせー。患者さんいらっしゃいましたっすよー」
「はーい。今行きますー」
だがしかし、種族間を超えた恋愛とは得てして何らかの障害が立ちふさがるものなのです。生活様式も身体能力も価値観も全く異なる種族同士が繋がるには、やはりそれ相応の努力を必要とします。その障害を乗り越えた逞しいカップルのみが初めて異種婚という幸せを勝ち取ることができる、なんともロマンチックなものです。
さて、お察しの通り、今回の患者さんは恋について悩まれています。
ですが、若人が良く罹る恋の病とかいう歯が浮くような代物ではなかったのです。ってかもしそうだったら蹴飛ばしてます。
寧ろ、そんなのよりずっと重い病なのでした。
第一幕『カエル王子の不健全恋愛事情』
診療所を開設してから三度目の冬が過ぎ、四度目の春が訪れました。自室の開け放たれた窓から、爽やかな潮風と花の香りがとろりと流れ込んできます。冬の静寂と冷風もなかなか乙な物ですが、やはり私には春の朗らかな日和の方が性に合っているようでした。
「おや」
頭上でかさかさと音がすると思えば、ハルツバメが軒先に巣を拵えていました。流線型に伸びた桃色の翼が、玻璃の板を渡したように透き通る青空に溶けてしまっているようです。
春を運んでくるという言い伝えを持つハルツバメが訪れたのですから、これから冷え込むことはなくなるのでしょう。急な気温変化で体調を崩す方々が増えていましたから、当分仕事が減りそうでうれしい限りでした。
「せんせー。起きてますー?」
「はあい、なんでしょ」
春の訪れは空気だけでなく、私達にも訪れていました。やったら眠そうに間延びした助手さんの声が、ノック音と共に部屋に響きます。
「ぐっもーにん、せんせー」
「はい、おはようございます」
どこで覚えたのか舌っ足らずな言葉を並べて、助手さんは優しく微笑みます。
吹き抜ける春風に当てられて、青灰色の三角耳と細い尻尾が仄かにそよいでいました。新調したばかりだという深緑色のチョッキが少しばかり眩しいです。
そして左手のトレイには、ほうほうと湯気を立てるカップが二つ。微かに甘酸っぱい匂いがするところから察するに、柑橘系の果物の皮を使った紅茶のようでした。
「まあ、初物ですか」
「うんにゃ、採りたてもぎもぎのサンフルーツっす。初物は砂糖漬けにするのがいいって聞いたっすけど、ボク甘いの苦手でして」
「なるほど。おお、結構いけますね、これ」
透明度の高い液体を啜った瞬間、おくちの中に優しい味が広がります。柔らかな甘さと尖った酸っぱさが上手く重なり合って、なんとも……凄く素敵でした(語彙力の限界を否めません)
「どうでした?」
「助手さん大好き!」
ぐっとサムズアップ。美味しいものは私のキャラクターを上滑りさせる効用があるようでした。
「……ところで」
とまあ、持ち上げるのはこれでおしまいです。
私は先程から触れぬように気を配っていた箇所を、教育係兼先輩として助手さんに伝えねばなりません。褒めて伸ばすがモットーの私ですが、流石に看破できないものだってあるのです。
「助手さん、あのですね」
「はい、なんでしょ」
コンマ以下三秒、助手さんの問題となっている箇所に目をやります。そしてすぐ目を逸らしました。また目をやります。すぐ逸らします。というか、体が自然にソレを見ぬようにインプットされているのでした。なけなしの乙女心はもうずったずたです。
「あのですね、助手さん。せめてズボンぐらいは履いて下さい」
助手さんの下半身、つまるところパンイチ。
容姿そこそこ淡麗、めっちゃ気が利く、しかも料理上手。私より低身長なのは目を瞑るとして。
そこだけ見れば非常にデキた男なのです。がしかし、「何故かズボンを履きたがらない」という現代社会に対して反旗翻しまくりやがりの癖を持つことによって、私の中では一気にマイナス評価なのでした。
「履きましょ、ね?」
「……」
あ、一瞬露骨に嫌そうな顔した。違う一瞬じゃない、引き続いてる!
「だめっすか」
「ええ、だめっすな」
「一応、お仕事のときと女性の前ではきちんと履いてるっすよ。……たまに」
「今たまにって言った!」
しかも遠まわしに私が女性じゃないみたいな発言を頂きました。いやまあ、年がら年中白衣を着回してる女子力もへったくれもない私は女性に映らなくて当然なのでしょうけど、それでも……それでもお……!
「で、なんで履かないんです?」
「しいて言うなら……なあんでですかねえ」
ナチュラルに質問を質問で返されました。どうやら助手さん本人にも分かっていないようです。
「あれっすかね、アニマ的な」
「絶対違います」
ここまでくると深層心理的なものが関わっているような気がしなくもありませんが、お生憎さま精神部門は私の専門外でした。そうでなくともズボンを履きたがらない青年の悩みなんぞ金輪際突き詰めたくありません。
柔らかな表情で確固たる拒否の意思を見せる助手さんに対し、私はこれ以上どうすることも出来ずに肩を落としました。ぶっちゃけこの論争は二十八回目ですし薄々更生は不可能であることには気づきつつありましたが、毎回毎回会うたびに助手さんが異性であることを物理的に認識させられるのも辛いものなのです。
「……まあ、患者さんが来るまでには履いておいてくださいね」
「はいっすー」
多分履かないんだろうなあ、と思いました。
ですが、それなりに眉目秀麗な助手さんの裸見たさにいらっしゃってる壮年のおばさまも居るには居るので、あまり強く言えないのが現状です。衛生的にはどう考えても駄目なんですけど、「勤務中にズボンを履いていなければならない」という法律があるわけでもなし。なんというエキセントリック屁理屈。
「あ、そういえばせんせー。バトラフォスさんから予約のお手紙が来てたっす」
バトラフォス。その言葉を聞いた瞬間、私のカップを持つ手が止まりました。
「……せんせー。そんな嫌そうな顔しなくても」
「うう、すいません」
「気持ちは分かるっすけど……ね」
そうこうしている内に勤務時間がやって参りました。
紅茶の代わりにため息が溜まったカップを助手さんに押し付けて白衣を纏います。
洗いたての白い布から、花のような蜜のような街の香りがふわりと漂ってきました。
「さて、行きましょうか。助手さん、バトラフォスさんは何時に」
「あー……今から来るそう、っす」
言いにくそうに頬を掻きながら、助手さんは苦い笑いを浮かべました。
反射的に、私は全力で窓の傍へ駆け寄ります。見下ろす表通りはまだ人も疎らですが、深緑色のローブを羽織った小さな人影がこちらへ向かってきていました。
「……こころのじゅんび」
できそうにありませんでした。ああ無常。
「取り敢えず助手さんはズボン履いて下さい。お仕事ですから、しゃあないです」
前半を助手さん、後半を自分の心に言い聞かせつつ階段を降ります。
ちなみに、一階が診療所で二階が居住区となっているのです。この診療所に限らず、自営業型の商売を営んでいる方々はだいたい自宅をお店にするのでした。その方が楽なんですね、いろいろ。
無情にも呼び鈴が鳴って、入り口の扉が開かれます。気合を入れるべく髪を後ろに束ねて、深呼吸。
微かに腐臭がしました。いえ、ナガミミ族の鼻とバトラフォスさんの体表から発せられる臭いの相性が悪いだけなので、厳密にいえば悪臭なのでした。が、いずれにせよ嫌な匂いには変わりありません。
「朝早く失礼。予約を入れたバトラフォスだが」
「仕っております。どうぞ、おあがり下さい」
深く被った新緑色のフードの奥から、落ち着いた低い声が聞こえてきました。以前に逢った時よりも、僅かに音が掠れています。
「病状はどうでしょうか」
「……あまり、芳しいとは言えぬな」
すっかりしぼんでしまった肩をさらに落として、バトラフォスさんは続けます。廊下に響く足音は粘性の強い液体を垂らした時のようなそれで、嫌が応にも異形化が進んでいることを予感させます。
「ローブを預かるっす」
「すまんな」
身を隠すために纏ってきたのでしょう深緑色のローブは、秘密を知ってしまっている私達には何の意味合いも持ちません。手練れた手付きで前留めを外すと、助手さんはバトラフォスさんの外套をするりと脱がせます。
ローブの下には、何も身に着けていませんでした。というか、身に着けることが出来ない状況なのでした。
「……っ」
抑え込められていた異臭が、服を剥いだことで診療所全体に広がります。
本来はウサヒト族である筈のバトラフォスさんですが、異形化によって体毛は抜け、緑色に化した体表は薄く粘り気を帯びています。黄と茶の縞模様も無くなり、代わりに焦げ茶色の斑点がそこらに見えるようになっていました。
「以前までは辛うじて面影があったのだがな。今は、全身緑色だ」
自らの醜悪さを嘲るように、バトラフォスさんはくつくつと笑います。もはや異形化に対して反抗する意思もないのか、静かに落とした顔には深い絶望が広がっていました。
差し込む朝日に照らされて、バトラフォスさんの体表がぬらりと脂ぎった輝きを放ちます。それと同時に、胸元に身に着けていた何かが対比的な凛々しい光を放ちました。
「……それ、身に着けない方がよいのでは」
「ああ、そうだな。だが、まだ忘れられぬのだ。すまない」
「いえ、こちらこそ。……すいません」
胸元に輝くのは、一等青水晶のペンダント。
――つまるところ、王族の証でした。
バトラフォスさんは「クロノトリガー」のカエルをイメージして頂ければ幸いです。
ちなみに、各種族の見た目ですが
ナガミミ族→エルフ
ネコヒト族→ネコ
ウサヒト族→ウサギ
を二足歩行にした感じです。獣人とも言いますね。