捕食 三
それからレイは、低位種を選んでスキルの実験を重ねた。そのおかげで、現時点で可能なことはおおよそ把握できたと言っても良いだろう。
結論から言えば、同時展開可能なのは二つの属性までだった。
だが、多重属性魔法を展開させた後、融合した後の魔法術式をキープしておくことは出来た。術式を完成させてしまえば、たとえそれが解放されていなくでも、新たに魔法を練るときには属性としてカウントされないらしい。つまり、完成させた術式を待機状態にしておけば、レイが考えていた身体強化魔法を使いながら複合属性魔法を発動するというプランも、疑似的に再現可能だということだ。
とはいえ、術式を待機させておく場合の魔力ロスは大きい。
術式を固定しておくのに魔力を消費するため、実用性を考えるならあまり使える手ではない。奥の手としては有効だとしても、だ。
一縷の望みをかけて他の属性も使えないかと試しては見たが、やはりレイが生まれもった属性以外は発動させられなかった。これはもともと期待していなかったので、予想通りの結果ではあったが。
後は訓練を積んで、スキルを使いこなせるようになるしかない。
特に気を付けるべきは魔力配分だ。レイの保有魔力量は、はっきり言って並だ。一般の魔術師よりは少し上、といったところか。決して多重属性魔法を撃ち続けられるほどのキャパシティは、レイには無い。本当の意味での奥の手、最後の手段するしかないと考えた。
何度か魔物を相手に経験を積み、レイは自分が持久戦に不向きなことを痛いほど自覚していた。まだまだ魔力コントロールが甘く、魔法を行使するときのロスが大きい。
そのため、レイは一通りの実験を終えた後は、魔力を節約する戦い方を模索していた。
「やっぱり放出系は魔力消費が痛いか。なら、循環系を使っていくしかないのかな……」
実は、活属性とは非常に燃費のいい魔法が揃っている。
基本属性魔法は、属性にそってエネルギー変換された魔法を、そのまま対象に向けて放出する。そのため、魔法の発動に使用した魔力は丸々消費されることになる。これに対し、活属性魔法は魔力をほぼ原形のまま使用し、体内を循環させる自己完結型の魔法だ。熟練の魔術師なら、一か月は効果を持続させることができるという。
ならば、レイも活属性を積極的に使っていくしかない。
魔物との連戦で疲れた体を岩陰にもたれさせ、肺に溜まっていた空気を吐き出した。疲れも一緒に出ていってくれればいいのに、と詮ないことを考えながら体を休める。
魔力を使い切らないように気を付けてはいたのだが、不測の事態はいつでも起こりうるもの。思いがけず魔物と連戦するハメになってしまった。レイは自分の魔力が底を尽きかけていたために、こうして身を隠して休息を取っているのである。
腰にぶら下げていた水筒を開ける。泉で汲んだ水はまだ残っていた。フレアウルフを倒してからもう十日は立っているだろう。迷宮内は一日中明るいけれど、わずかに明るさが変化する。レイは薄暗くなっている時間を夜だと考えて、日数をカウントしていた。
あれから一度も泉を見つけられていない。
水場というのはよほど希少であるらしい。泉はなくとも川ならあるのではないかと思っていたが、それも見つけられていなかった。地面が乾いている訳でもないので、地下水は流れているのかもしれないが。
レイは貴重な水をちびりちびりと舐めながら、ほとんど休まずに迷宮内を探索していた。不思議と喉の渇きや空腹を感じることはなかった。水を飲むのも、今では魔力を回復させることが目的となっている。迷宮に迷い込んだ当初、あれほど食料や水の心配をしていたというのに。
――なんだか……別の生き物にでもなったみたいだ。
そんな思いがレイの心を支配していた。
疲れや眠気、食欲に喉の渇き。人間が感じて当然の感覚が、少しずつ、遠のいていく。その代わりにレイの中で大きくなっていくのは、闘争心だった。魔物を見ると、戦いたいという思いが湧きあがってくる。死ぬかもしれない、敵わない強敵を前にしても、容赦なくレイを駆り立ててくる。
あるいは、闘争本能こそが他の欲求を浸食しているのかもしれない。
今はまだ抑えられている。暴れ出しそうな体を押さえつけていられる。だが、それもどこまでもつのか分からなかった。日に日にレイの心を喰らっていく衝動に、いつまで耐えられるのか。
身体よりも先に精神がやられてしまいそうだと、溜め息がこぼれた。レイは膝を抱えて顔をうずめる。完全に塞がっている右腕の傷に、爪をたてる。ピリリとわずかな痛みが走るそこには、治りきってはいない傷が確かにあった。
それは生きている証だ。
いくら生物としての欲求が薄れても、怪我は一瞬で治ったりはしなかった。レイにはその傷が、自分が人であることを証明するモノのように思えた。
――いつになったら迷宮から出られるんだろう。
いまだに次の階層に降りる道を見つけられていない。そのことが殊更重い現実として、レイの前に立ちはだかっていた。
レイが迷宮に足を踏み入れたのはこれが初めてだったし、カテンダや村長の話から聞きかじった程度の知識しかない。だから、レイには迷宮を攻略するための知識と経験が圧倒的に不足していた。何を手掛かりに探索していけばいいのかさえ、見当もつかない状態だ。レイは自分を慰めるように、己の身体をぎゅっと抱きしめた。
魔力が回復してくると、探索を再開するために武器の手入れをしておく。といっても、まともな道具など持ち合わせていないから、魔物から取れた素材で代用している。意外なことに、ワーム系の甲殻は砥石代わりに使うとこができた。新しく武器を入手できる当てなどないので、かなり助かっている。
短剣を鞘に戻し、腰に巻いているベルトの具合を確認する。一見するとただの動物の皮にしか見えないベルトは、実は魔物の皮からつくられた物だった。カテンダが自ら狩りに出て素材を手に入れ、村の職人に頼んで作らせたものだ。
レイは、つうっとベルトに指を這わせる。
懐かしい思い出に力を貰いながら、彼は再び歩き出した。
身体強化魔法を脚部にだけ部分展開する。魔力コントロールの練習も兼ねているそれは、威力よりも正確さを重視して発動させていた。それでも、レイは滑るように森の中を疾走している。
途中、魔物を見かければ素早く接敵し、できるだけ一撃で仕留めた。
フレアウルフとの戦いの記憶が、彼に先手必勝の戦い方を強いていたのだ。迷宮に住む魔物たちのことを何も知らないという事実も、レイが焦燥感に駆られるに十分な理由だった。相手に攻撃する隙を与えない。その前に倒す。
このスタイルは、思ったよりもレイに合っていたらしい。
最初は仕留め損ねて反撃さてることが多々あったものの、次第にどこを攻撃すべきかが分かるようになった。屠った魔物の数が百を超える頃には、ほとんど一太刀で勝敗が決するようになった。
レイがメタルワームを見つけ、頭部と胴体の接合部に剣を振り下ろす。まさに一瞬の出来事であった。頭を切り落とされたメタルワームは、最後までレイの存在に気が付かなかった。自分が死んだことさえ、理解できなかったかもしれない。
村にいた頃のレイでは考えられない、鮮やかな太刀筋だ。
もともと、レイは自分が思うほど弱くはなかった。
魔法とて、四種も属性を持って生まれる子どもは滅多にいない。せいぜいが一つ二つだ。それに魔力は並でも、術式の構築速度は誰よりも速く、魔法の連続使用が得意だった。剣術も、サギには力負けしていたが、技を覚えるのはレイの方が早かった。
なぜ、レイは役立たずと呼ばれていたのか。
その原因は彼の性格にあった。レイは基本的に臆病で気が弱い。小さな物音にも過剰に反応してしまうため、森を歩くときは絶対先頭にはならなかったし、訓練のときも、剣を持ったカテンダを前に怖気づくのが常であった。
それがここにきて躊躇いなく剣を振るうことができるようになった。
これが大きい。
レイは殺すことへの恐怖を、殺されることへの恐怖で上塗りした。彼は臆病である。死の恐怖を感じれば、その原因を取り除くことに躊躇しない。
進行方向に彼を阻むものがあれば、脅威となりうるものが存在すれば。レイは容赦なく、慈悲も与えず、すべて一太刀でその命を刈り取った。
レイは走り続ける。
すると突然、頭上から大きな影が降ってきた。
彼の胴よりも太い八本の足に、びっしりと体毛に覆われた赤黒い体。飛び出ている巨大な二つの眼球は、ギョロリとレイの姿を捉えている。カチカチと音を鳴らす歯からは、どろりと紫がかった液体が垂れていた。液体が地面に落ちると、草だけではなく土も溶かし出した。相当強い毒だろう。
奇襲に成功したベナムタランチュラは、己の勝利を確信しながらレイに向かって粘糸を噴射した。
「ギギギ――!」
勝ち鬨を上げたのは蜘蛛。
糸にからめ捕られた哀れな獲物に止めを刺すべく、巨大な毒蜘蛛は大きく口を開けた。
「ギギギ……ギギ?」
獲物に食らいつく直前。ベナムタランチュラの脳天に剣が生えた。
鋼のような体毛で守られた身体は、生半可な攻撃はきかないはず。なのに、確かに今、蜘蛛の頭を剣が貫いている。
「脳天がガラ空きだ……!」
レイは粘糸が届く前に樹上へと跳んでいた。そこで頭の一部が体毛に覆われていないことに気が付く。おそらくは空気中の魔力を取り込むための器官がそこにあるからだろうが、そんな些細なことはどうでもよかった。
彼にとって重要なのは、むき出しになっている部分であれば剣が刺さることだからだ。
巨体はズシンと重い音を立てて崩れ落ちた。死んでいる。巧みな死んだふりをする魔物もいるが、この蜘蛛は完全に沈黙していた。
レイは剣に纏わりついていた血を拭う。何の感慨も持たず、レイは再度魔法を展開させた。あの蜘蛛は奇襲が成功したと思い込んでいたらしいが、そんなもの、迷宮においては日常茶飯事である。全方位を警戒するのは至極当然のことであって、あんな、何の意外性のかけらもない奇襲などもはや奇襲たりえない。
数えきれないほどの襲撃にみまわれながらも、レイはそのすべてを無傷で迎撃していた。自分から仕掛けるときは、相手が気付く前に終わらせていた。
だからか、レイの恐怖心はあまり自己主張しなくなっていた。確かに存在しているのに、心の奥の方へと潜り込んでいるような感じだ。
ある意味で当然の慢心であり、油断である。戦闘に慣れてきた、という感覚もある。それが悪いことだとは一概には言えない。自信がついてきただけ、とも言えるからだ。
ただこの時に限って言えば、悪い方へと転がった。レイの中に生まれた余裕が、やつらの発見を遅らせてしまった。
「ワオ――――ン!!」
漆黒の毛並をなびかせ、音もなく疾駆する魔物たち。レイが遠吠えの意味を理解したのは、ウルフの群に囲まれたときだった。
「仲間を呼ばれた――!」
影に潜む、いや、影そのものを体現した巨狼。
――シェイドウルフだって!? なんて厄介な……。
彼らのもつ影属性は、かなりたちが悪い。全属性中もっとも隠密性に優れ、なおかつ敵の影に干渉することができるのだ。影は己を映す。影を操作されるということは、体の自由を奪われるも同然である。
そして、もっとも警戒すべきなのは……。
「……『呪い』まで使われたら、詰みだな」
影属性の上位にあたる闇属性魔法にのみ存在する『呪法』。これは一言で表すなら遅行性の毒だ。自らが死んだ後でも効果が持続する上、呪いの解呪法が分からなければ光属性魔法で強引に解呪するしかなくなる。迷宮内で呪いを貰ってしまえば、じわじわと嬲り殺しにされるのを待つようなものだ。
レイと対峙しているのはシェイドウルフだ。闇属性にまで進化していなければ「呪い」を使えないだろうが、油断は禁物。
感覚を研ぎ澄まし、魔力を活性化させる。強化魔法を発動させたレイの身体は、淡い光を放っていた。ゆらゆらと踊る魔力の残滓が、蛍の光のように見えた。
不思議と心は凪いでいる。
――できる。やれる……!!
シェイドウルフの接近を察知できず、仲間を呼ばれてしまったとはいえ、レイはいたって冷静だった。
湧き上がる闘志。冷徹な思考。
今の彼は、負ける気がしていない。敗北のビジョンが浮かぶこともない。
魔法を重ねがけし、知覚領域を一段引き上げた。急激に世界が広がる感覚に少し酔った。脳に届けられる情報量が一気に増えたことで、一時的に処理が追いつかなくなったのだ。しかしそれも一瞬のこと。レイはすぐさまシェイドウルフ達の数と位置関係を把握した。
次にスキルを発動させ、風魔法を全身にまとわせた。
高速立体軌道をもって戦うときには、風魔法で補助をすると身体への負担が軽減される。主に加速と減速の面で、非常に有効な手だ。
ここまでで二秒と掛かっていない。
シェイドウルフとレイが動き出したのは、ほぼ同時だった。
基本的な速力でいえばシェイドウルフに軍配が上がる。だが、魔法込の機動力ならレイが上。
迷宮における絶対法則、それは弱肉強食だ。
だが、戦いにおいては必ずしも強者が勝つとは限らない。勝利した者が強者となるのだ。迷宮という閉鎖空間においては、その掟が露骨なほどに守られる。
初めは弱くても、勝ち続ければ強者となる。敗者は勝者の糧となり、勝者は積み上げた骸の数だけ力を手に入れる。それがルール。
そのための箱庭が迷宮だ。
レイは無心で剣を振るう。一匹残らず狩るために、脅威を取り除くために。
地を蹴り、木々を蹴り、跳んだ。軽やかなステップは曲芸師のそれにも似ていたが、彼が動くたびに血が舞っている。
決着がつくまで長い時間はかからなかった。
敵が自分たちよりも強いことを悟ったシェイドウルフたちは、戦場から離脱しようとした。影属性の特性をフルに活用し、木々の影に紛れる。
最悪の事態は群れが全滅することだ。そう判断した彼らは、仲間をおとりに使うような形で逃走を図った。
「――――させない」
疾風のごとく駆けるレイの刃が、確実に狼たちを追い詰めていった。
逃亡を許さず、徹底的に。
風が吹き荒れた跡には、レイ以外動くものはいない。赤に塗れた森があるだけだった。