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捕食 二

 無我夢中だった。

 危ないとか、死ぬとか考える前に、レイの体は勝手に動いた。生きるために、本能の叫ぶままに行動した結果だ。

 爪の軌道を避けるように身をよじり、ゴロンと地面の上を転がった。回転の力を利用し、手足を突っ張ってそのまま横に飛ぶ。

 そこでフレアウルフは獲物を仕留め損ねたことを知った。憎々しげに呻くのもつかの間、フレアウルフは次の攻撃を仕掛けてきた。

 こうなってしまえば、レイは逃げに徹するしかない。

 体勢を立て直すひまは与えられず、無様に地を転がりながら、どうにか敵の追撃をかわしていた。逃げるにしろ、撃退するにしろ、何とかして隙をつくるほかない。せめて敵の注意を反らすことができれば。

 レイは必死に術式を編んだ。

 フレアウルフをまともに相手にしようと思うなら、身体強化魔法を発動させねばならない。しかし、そうすれば他の属性魔法は使えなくなる。例えば、さっきレイが放った「ブラスト」のような魔法だ。しかもフレアウルフは火の属性もち、火属性の魔法はまず効かないと思った方かよかろう。

 と、なれば使える手札は限られてくる。

 火と相克する水。レイの最も得意とする属性は風だが、それはフレアウルフに打ち消された。もしヤツに効果的なダメージを与えられるとしたら、水属性の魔法だ。


「水はあんまり得意じゃないけど」


 --やってやる。

 レイは心を決めた。

 完成した術式を待機させ、レイはタイミングを見計らう。フレアウルフがレイを本気で殺しに来た瞬間、できれば魔法を放った瞬間が望ましい。ヤツにとって予想外であればあるほど、きっとレイの一撃は効果を発揮するのだから。

 ほどなく、フレアウルフはしびれを切らしたかのように吠えた。

 ウルフ系の魔物は本来、群れで行動する。一匹でうろついていたはぐれ(・・・)個体は、群れのボス争いに負けたヤツで、総じて強いがプライドも高いと相場が決まっている。だから短期戦を好む個体が多い。

 フレアウルフの様子をじっと観察していたレイには、ヤツが焦りはじめていることを察していた。

 ――もう少し、

 ときには爪が掠り、レイの柔らかい皮膚を引き裂いた。血が噴き出た傷もあちこちに見受けられる。傍から見れば、追い詰められているのはレイの方だ。

 ――もう少しだ。

 しかし、レイの瞳に絶望の色はない。

 目の前の敵に集中し、好機を窺う。彼は戦士の目で戦場を観察していた。


「グルルルルル――……」


 フレアウルフは頭上に魔力を溜めた。先ほどは気付かなかったが、その魔力量ははるかにレイのそれを上回る。威力だけなら完敗だ。

 それでもレイは焦らなかった。

 敵の実力を、戦力を、知力を――――力を計る。

 ふっと肺に溜まる息を吐きだした。

 なかなかどうして、フレアウルフの魔法も燃料は豊富であるくせに、燃費の方は悪いらしい。編まれた術式は、まだ見習いの域を出ないレイの目から見ても少々粗が目立つ。

つけいる隙は底にある。

 そう判断したレイは、フレアウルフの魔法の射出に合わせて自らの魔法も解放した。少しばかり術式に手を加えて。


「アクアランス!!」


 ごうっと空気をうならせ迫る炎。迎え撃つ水撃。

 ただし、レイの放った水は回転しながら円錐形を保っている。術式の精緻さに欠ける点を利用するため、レイは破壊力よりも貫通力を優先させた。

 ぶつかり合った魔撃は、爆発的なエネルギーを生み出す。瞬時に熱せられた水は水蒸気となるも、勢いを失わないレイの魔法によってふたたび冷やされ靄となった。

 結果、局所的に霧が発生したような状態になった。

 レイは一目散に逃げ出した。この程度、目くらましにしかなるまいが、稼いだ時間は貴重。なるべく障害物が多い方へと走った。

 フレアウルフが追ってくる気配はない。それに、ヤツにぶつけた水魔法。レイは確かに手応えを感じていた。さすがに倒したとは思わないが、少なからずダメージは与えられたのではないか。そう考えたのだ。

 レイはそこで緊張の糸を緩めてしまった。

 視界の隅に影が走った。音もなく、レイと並走するように駆けていた。


「――――えっ?」


 気づいたときにはもう手遅れ。レイが己の油断を知ったのは、抉られた右腕から噴き出る赤が見えたときだった。

 痛みを感じる時間さえなかった。すべては一瞬だ。

 ――死ぬ。

 レイは己の運命を、残酷なまでに悟ってしまう。覚悟もなく、ただ純然たる事実として、死ぬ。

 そう思った、そのとき。何かが弾け飛ぶ音がした。

 知覚の外にある事象というのは、実はふとした瞬間に知覚の中に降りてくるものだ。魔法もその一つ。

 奇跡、と言うほかない。

 身体が崩れ落ちる直前。

 レイはとっさに二つ同時(・・・・)に異なる属性の魔法陣を展開させた。そればかりか、うねる風と水の飛沫を強引に一つの魔法(・・・・・)にしてしまった。それはまったく無意識のうちに成された作業であり、偉業であった。もう一度同じことをしてみろと言われても、彼には再現できないだろう。

 風が水を巻き込み、渦巻いた。

 微細に分断された滴たちは激しく踊り狂い、とある反応を発現させた。弾けたそれは蛇のようにのたくって、フレアウルフに咬みついた。

 轟音がレイの聴覚を麻痺させ、閃光が彼の視覚を奪う。

 雷だった。

 死をもたらす電撃は、計ったようにフレアウルフの脳天に落ちた(・・・)。炎を操るオオカミの脳を焼き、肉を焼く。しゅうしゅうと煙をあげているその体は、もはや炭だ。肉の焼けた臭いが鼻につき、ほのかに伝わってくる熱が肌を炙る。

 レイはすとんと地に尻をつけた。自失呆然という言葉がふさわしい。フレアウルフの死骸を眺める彼には、先程起こったすべての事象が理解の外にあった。

 ――ありえない。

 そう。自分がやったことなのに、ありえないと否定することしかできなかった。今の魔法を発動させた者は別にいるのではないかと疑った。きょろきょろと辺りを窺う。何もいなかった。ここにいるのはレイとフレアウルフの死骸だけだ。


「今のは……雷? でも、さっきのは雷属性の魔法じゃなかった」


 最初から雷属性の魔法として術式を構成したのではなく、風と水の属性を同時に展開させて雷を発生させたのだ。

 人間が魔法を使うとき、同時に処理可能なのは単一の属性のみだ。魔法を重ねがけしたり、異なる属性を連続使用したりするのは、熟練の魔導士であれば可能である。しかし、全く違う属性の魔法を同時展開、そして融合させてしまうなど。

 人間という種は、そこまで器用にできていない(・・・・・・)

 雷属性は、火・水・風・土からなる基本属性をよりあわせてつくられた複合属性のうちのひとつだ。高位魔族や精霊たちの多重属性魔法にヒントを得てつくられたもので、もともと二つの属性からなる魔法を半ばムリヤリ一つの属性として処理する。だから、必然的に威力はオリジナルに劣っていた。これに対して、レイが発動させたのは多重属性魔法の方だ。

 そんな、人間の限界を突破してしまうような魔法が使える。レイはいまだに自身のなした所業を受け入れられていないが、考えられる可能性があるとすればひとつ。

 ――オリジナルスキル……?

 常識とか、種の限界とか、そういうものをぶち破ってしまう、神が与えた「可能性の種」。誰しもが何かしらのスキルを持って生まれるが、それを発現させられるかどうかは本人次第。発現できたとしても、スキルの内容は玉石混交もいいところだ。

 レイはスキルを発現できていなかった。彼が役立たずと言われてきたのは、何も彼の弱さだけが理由ではない。力が無くても、スキルを活用して村に貢献している村人たちはたくさんいた。そんな中でスキルの発現さえしていなかったレイは、弱いうえに使えないというレッテルを張られてしまったのだった。それが――。

 なぜ今になって、と思った。

 もっと早く、スキルを使えるようになっていたら、変えられた過去があったんじゃないか。あの不可視の壁をぶち破って、襲撃者と相対することも、できたのではないか。レイの心を支配していたのは、スキルを発現した喜びではなく、遅すぎたことへの後悔であった。

 無意識のうちにスキルを使った。いとも簡単に使えてしまえたことに、拍子抜けしてさえいた。命の危機を感じたことも些末事に思えて仕方がなかった。それぐらい、レイにとって衝撃的だった。

 しばらくその場に座り込んでいた。

 心の整理もつかないままではあった。しかし、いつまでも休んでいる訳にはいかないと思い直した。ゆるゆると立ち上がって、短剣を鞘におさめる。なけなしの傷薬を右腕にすり込んだ。当然しみて痛むが、今はその痛みがレイに現実を知らしめてくれる。そでを引きちぎり、傷口に巻き付けた。フレアウルフの爪に裂かれてボロボロな布だったけれども、ないよりはマシだ。

 ――今は余計な事を考えちゃいけない。

 そうでなければ、先に進めそうにないから。

 レイは先ほど発現させたスキルについて思考をめぐらす。

 多重属性魔法を使えるスキルとみて間違いなさそうだ。これが高位魔族や精霊が持っていたのであれば無用の長物であろうが、人間であるレイにとってはかなり強力なスキルである。どこまで使いこなせるかは別の問題だが。

 レイが生まれもった属性は四つ。基本属性の風・火・水と、特殊属性の活だ。活は主に身体を強化したり、魔法攻撃に対する耐性を上昇させたりできる。戦闘においては必須の属性ということもあり、義父のカテンダに教わっていた。

 レイのスキルはいくつの属性を重ねられるのか。このあたりを検証する必要がありそうだ。もし三つの属性を同時展開可能なら、魔力消費を度外視するとして、身体強化魔法を使いながら自在に複合属性魔法を発動させられる、ということになる。

 魔法の術式のオンオフ、展開速度、連続使用の巧みさに重点がおかれる対人戦において、圧倒的なアドバンテージを得ることは間違いない。実用性に欠けていた魔法剣士スタイルもレイであれば可能だ。


「あまり強くなさそうな魔物を探して、試してみるしかないか」


 フレアウルフと対峙したとき、ここが迷宮だという事実を失念していた。相手が魔法を使わない種だと思い込んでしまった。しかし、実際はあのフレアウルフは異常個体で、通常種とは異なる能力を得たか進化を遂げたものだった。

 これが危機的状況を招いてしまった要因だ。


「思い込みは捨てる。これから会うヤツ全部、異常個体だと思って進まなきゃ」


 すでに右腕から流れ出ていた血は止まっていた。


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