捕食 一
レイは体力を回復させるために、短い仮眠をとるつもりで目を閉じた。
それが、本人が自覚していたよりもずっと疲労がたまっていたのか、夜が明けるまで熟睡してしまったらしい。どこからか射し込んでいる淡い光が、レイの身体を照らしている。
「もう……朝?」
目を覚ましたレイは横たえていた体を起こし、おもむろに立ち上がった。腰に下げていた荷物と、立てかけていた短剣を確認する。そろそろ洞穴の外に出ようかと歩きだしだ足は、すぐに止まってしまった。
出口が見当たらない。
「あ、あれ? 確か右手側から入ってきたはずだよ……ね」
いくら身を隠すためとはいえ、それほど奥に入ってはいないはず。少し歩けば出口が見えるのが道理であるのに、この状況はどうしたことか。右にも左にも薄暗い穴がずっと続いているばかり。
そこでレイは不思議なことに気が付く。出口が見えないのに、洞穴内を照らす光はどこから射し込んでいるのか?
答えはすぐにわかった。洞穴のいたる所から突き出ているクリスタルのせいだ。壁一面に張りついていたり、剣状に突き出していたりするクリスタルが淡く光を放っていた。そのおかげで、本来は真っ暗闇に覆われる洞穴の中で、灯りを持ち運ばなくても視界を確保できている。
レイはクリスタルの表面をさっと撫でてみた。すると、撫でた部分が一瞬だけポッと明るくなったのだ。何かが思い当った。次は手に魔力を込めてクリスタルに触れた。
りいん、りいんとベルを鳴らしたような高い音が洞穴内に響き渡る。その音にあらゆる所で反響し、共鳴したクリスタルたちの鳴き声は、まるで歌を奏でているかのようだった。音に合わせて青白い光を瞬かせ、雨のように光の玉がレイ周りを踊っている。
――間違いない。これは魔晶石だ。しかも高純度の。
己の仮説が正しかったことを確信したレイは、その意味を理解すると背中に冷や汗がにじむのを感じた。
魔晶石は、空気中や地中の魔力が飽和状態になったときに魔力が結晶化したもので、普通の環境ではまず発生しない。もし、魔晶石があるとすれば、そこは龍の棲み処か迷宮だ。
世界に三体しかいない龍の棲み処は良く知られているから、可能性があるとすれば……。
「ここは迷宮だ!」
全身の肌が粟立った。こんなに大量の魔晶石が生成されるくらい、魔力濃度の高い迷宮なら、棲みついている魔物たちは相当強力なはずだ。
最悪なことに、出口はなく完全に取り込まれてしまった。
踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂とはまさにこのこと。レイが想定していた「最悪」など、まだまだ甘っちょろいものでしかなかった。
「ちくしょう――――!」
自分は生き延びてなんかいなかった。状況を覆す力もなく、どんどん悪い方へと流されてしまった。これなら、あの襲撃者に殺されていた方がマシだったかもしれない。レイは無様な自分の姿を省みて、自嘲するしかなかった。
鮮血の赤髪を思い出した。
あいつは何のために村を襲ったんだろうと、レイは今さらのような疑問をいだく。ナイゼ村はあまり俗世間と関わりを持たない村であった。食料は基本的に自給自足で、生活に必要な物の多くを手作りしていた。他に必要な物があれば街に買いに行く程度。誰かの恨みを買うような行いはしていないし、盗むものだってたいして無かっただろう。
――家を焼かれ、皆殺しにされるほどのことを、彼らはしていたのだろうか? 村長やサギや父が、そんなこと……。
知りたいと思った。あの惨劇の理由を、そして、あの襲撃者の正体を。
ここでレイが死んでしまったら、静かな彼の故郷など誰の記憶にも残らずに廃れていってしまう。そこに住んでいた人たちが確かに存在していたという証だって、何も残らない。すべて失われてしまう。
そう思えばこそ、わずかに気力が湧いてきた。
――生き延びたなら、復讐の機会もあるかもしれない。
胸の奥でどろりと渦を巻く、暗い衝動を自覚した。
だが、今はまだ出番ではない。先の見えない絶望も、八方塞がりな状況も、何一つ希望は見えないまま。まずは、生き残ることを優先するべきだ。レイはふつふつと沸き上る熱を心の最深部へと押し込める。
普段の彼らしからぬ感情を持て余していた。気の弱い、役立たずと言われていた自分に、こんな熱があったことが不思議に感じられた。
「今は、ここから出ることだけを考えよう」
迷宮はレイの訪れを歓迎している。マヌケにも罠にかかった哀れな獲物を、どう喰らってやろうかと舌なめずりをして待っている。
ならば、彼は猫を噛む鼠となってこの胃袋から脱出せねばならない。
一度自分の頬を叩いて気合を入れた。今度は確かな足取りで迷宮の中を進んでいく。その歩みが頼りないことには変わりないけれど、瞳には力強い光が宿っていた。
小一時間ほど歩くと、岩で囲まれた道の終わりが見えた。ほの暗い通路の先はまばゆく光り、向こう側の景色は良く見えなかった。レイは今一度気を引き締め直した。通路の先にあるのが迷宮の本体部分であり、洞窟はほんの入り口に過ぎない。
ここから先は、魔物が蠢く人外魔境。人が立ち入ってはならない異界だ。
短剣の柄に手をかけ、一歩ずつ慎重に進んでいく。とうとう洞窟の終点にたどり着いたレイは、魔晶石の影に身を潜め、そっと中の様子を窺った。
眼前に広がるのは森。外へと続く出口だったかと錯覚するほど、森そのものにしか見えなかった。
「た、確かに父さんは『迷宮では異常なのが当たり前だ』って言ってたけど――」
――いくらなんでも、これはないんじゃないかな?
洞窟の中に森があるのは、この際脇に置いておくとしても、なぜ天井部分に太陽らしきものが浮いているのか。明らかに岩山の内部に存在するにしては広すぎる面積と偽太陽に、レイは戸惑うばかりだった。 それに、行き止まりが見えない、ということは次の階層へ続く道も見当がつかないということ。
この迷宮が何層からなるのかは知らないが、最下層か最上層まで到達しない限り外へ出る手段はない。『界』の属性を持っていないレイでは転移魔法は使えないし、運よく先達の迷宮挑戦者が設置していった座標魔法陣を発見したところで、それが使えるかどうかは分からない。
もっとも確実な脱出方法は、迷宮を攻略してしまうことだ。さっさと最下層まで進んでしまいたいのが本音なのに、これでは次の階層にたどり着けるのかも定かではない。
レイ半ば諦めの溜息をつくしかなかった。
どれもこれも同じに見える木々の合間をぬって、木に印を刻みながら歩いて行く。こうしておけば同じ場所をぐるぐると回らずにすむように、用心には用心を重ねた。
「うげっ!」
足元を横切って行ったダートワームを避けた。見た目は巨大なムカデだが、外見に似合わず大人しい。レイに一瞥もくれずにさっさと走り去ってしまった。
一概に魔物といっても、実は動物と同じように大人しいタイプや凶暴なタイプがいる。例外はいるが、大人しい魔物ほど弱い傾向がある。それには明確な理由があって、好戦的な魔物ほど他の生き物のエネルギーを吸収し、「進化」しているのだ。
先程のダートワームは、きっとこの迷宮でもかなり弱い方の種族だろう。やつらがうろうろしている場所は比較的安全なエリア、と判断できる。
ときおり襲ってくるホーネットの群から逃げながら探索していると、レイはひらけた場所に出た。そこには小さな泉があった。唾を呑みこんで喉の渇きをごまかしていた彼は、たまらず泉の水を貪るように飲んだ。ひと心地着く頃には、レイの上着がびしょびしょに濡れていた。
「ふう……はああ……」
身体中に魔力が染み渡っていくのを感じた。細胞の一つ一つが息を吹き返し、レイは魔法を使える状態にまで回復した。
食料も水も制限していたために、レイの魔力は底を尽きかけていた。身体を動かすためのエネルギーを魔力で補填しつづけていたからだ。とてもではないが、魔法など使える体調ではなかった。
迷宮内は全体的に魔力濃度が高く、魔力が溶け込みやすい水や土には特に多く含まれている。いわば天然の回復薬であった。
レイは腰に下げていた水筒を取出し中身を捨てた。代わりに泉の水を満タンになるまで汲む。ついでに木の実でもなっていないかと水辺の木々を見渡したが、毒々しい色の実しかなくて諦めた。
そろそろ先に進もうかと腰を上げた、ちょうどその時。
カサッと、背の高い草むらをかきわける音がした。レイははっとして音がした方向に振り向く。ゆらゆらと揺れる葉の先を注視して、そっと音をたてずに短剣を抜いた。
ぬっと草むらから顔を出したのはオオカミ。いや、迷宮の中なのだから魔物であるはずだ。レイはウルフ系の魔物を脳内で検索した。生まれもった属性によって分類されるウルフ系は、その属性が毛の色となって表れる。今対峙している魔物の毛は薄っすらと赤みを帯びでいた。ついでに言えば、ウルフ系の魔物はそれほど高位種ではないので魔法は使えない。できるのは属性を身に纏うことだけだ。接近戦では強いが、遠距離には弱い。それがウルフ系の魔物全般の評価だった。
――火系統か。ならフレアウルフだな。
魔物の正体に見当をつけたレイは、相手が動かないうちに魔法を展開させた。フレアウルフは様子見をしているのか、警戒しているのか、自分から動き出す様子を見せない。レイは好機と取らえて、一撃で相手を倒せるだけの魔力を込める。
――万物に宿る理の力よ、顕現せよ。呼ぶは烈風、命ずるは切断。疾く疾く忌まわしき魔の眷属を討ち果たせ!!
頭の中で詠唱し、手のひらに術式を喚び起こす。短剣を握っている左手に力を込めた。
「――――ブラスト!!」
解き放たれた烈風が、無数の刃となってフレアウルフに襲いかかる。フレアウルフは一直線に駆ける風の軌道から、避けようとする気配も見せない。
おかしい。
レイが違和感を覚えたのと、フレアウルフが動いたのは同時であった。
フレアウルフはくんっと頭を振るような動作をしたかと思うと、次の瞬間には体の前方に魔法陣が浮かび上がった。
レイの魔法は不可視の壁に弾かれて四散した。肉が細切れになるくらいの威力はあったはずが、当のフレアウルフは毛並が乱れた様子さえなかった。
「なんで!?」
彼の見立てが間違っていたのか、目の前の魔物はたしかに魔法を使ってみせた。予想外の事態だ。しかし、敵は待ってくれない。
レイが次の動作に移る間もなく、フレアウルフは反撃に出た。
高く跳び上がり、骨をも切り裂く爪を光らせて。
レイの眼前に、迫る。