赤い記憶のPrologue
東の果ての地、雪深い山奥にある静かな村。人目を避けるように作られた村には、百を少し越えたくらいの人数しかおらず、質素な家が点在しているだけだ。都会のような賑やかさもなく、まさに辺境の村と呼ぶにふさわしい。それがナイゼ村だった。
ナイゼ村には小さな子供はほとんどいない。この厳しい寒さで雪の閉ざされる村では、子どもはとても暮らしていけない。子どもが生まれれば、大抵は離れた町に移り住む。人が減っていくばかりの村であるはずなのに、不思議と村人が百をきったことはなかった。いつの間にか、ポツリポツリと外から人がやって来る。
そんなナイゼ村に、レイという少年が住んでいた。年は十二歳ほど、この地方の人間には珍しく、黒い髪と瞳の少年だった。彼は村人が産んだ子供ではない。自警団として働いているカテンダが、捨てられた赤子を拾って育てた。
よそ者あるいは捨て子、という意識が頭にあったのだろう。レイは村人と接するとき、どこかよそよそしい態度になる。村の大人たちの、憐みを含んだ目が耐えられなかったのかもしれない。
「レイ。お前は本当に使えないやつだな」
村の子どもで、唯一の同年代の友人であるサギは、いつもレイにこう言っていた。呆れたように、満足に一人で山歩きもできない年下の友人を叱咤する。二人で森に入ったときも、レイがもたついていると、サギはレイをおいてずんずんと先に進んでしまう。とはいえ、何だかんだ言って後ろを木にしながら歩いている様子からして、レイを案じてはいるようだった。
村人たちも、レイも、村の平穏が長く続くと思っていた。ここいらには野盗も出ない。出るのは森の魔の物たちだけだ。それも森の奥深くまで入りこまなければ、危険な魔の物には遭遇しない。人里に出没するのは、エサに困った熊ぐらいであった。
正に秘境。一番近い街の者でも、ナイゼ村の存在を知らない者がいるほどだ。人の世、柵から逃れて隠れるのはうってつけの場所である。
ナイゼ村の平穏が破られたのは、突然だった。レイがちょうど十二歳の誕生日を迎えた日のこと。
村を囲うように巨大な結界が張られ、村人は外に出られなくなった。その時、レイはいつものようにカテンダとの剣の稽古を終え、森の散策に出かけていた。サギと二人で歩いていたはずが、おいて行かれてしまってレイは森の取り残されていたのだ。村を結界が覆ったのは、ちょうどその時だ。サギは運悪く、村の中に入ってしまっていた。
何事かと狼狽える村人たち。レイが村に入れず困惑しているさなか、一瞬にして村を猛火が襲った。とぐろを巻くように、村を舐めていく炎。正気に返った村人たちは、家から武器を持ち出して襲撃者と相対した。
厳しい環境の中で生きてきた村人に、戦えない者などいない。手に手に武器を携え、スキルや魔法を駆使して闘った。水魔法で家を燃やす炎を消そうとする者、襲撃者を倒そうとする者。彼らの心は、村を守るという一つの信念の前に団結する。
しかし、無情にも血の雨が降った。襲撃者は蹂躙者であった。村人たちの魔法をはねのけ、より強力な魔法を使い、そして彼らの首をはねた。
レイは咆哮する。彼の故郷が燃やされ、村人が殺され、友が戦っている。父が戦っている。近づくこともできず、レイは故郷が滅ぼされるのをただ見ているしかなかった。それしかできなかった。滝の涙を流し、叫び声は嗄れはてた。結界を殴り続けていた手の皮膚は裂け、血が噴き出している。
しばらくして後。村は煌々と燃え盛る炎と、百を超える死体と、血に染まった土だけになった。立っている人間は二人、レイの父と蹂躙者。
カテンダは得意のロングソードを操り、なんとか一撃を入れようと立ち回る。身体はすでにボロボロで、斬りつけられた傷からはだらだらと血が流れた。
「父さん!」
レイは叫び、父を呼ぶ。だが、結界は音も遮断している。彼らにレイの声は届かない。襲撃者の持つ剣と、カテンダの剣が交わる。息を呑む激闘だった。
襲撃者の方も、村人たちを相手にしていたのだ。無傷であるはずがない。なのに、襲撃者の顔は喜色に彩られ、余力を残しているのが分かった。
対して、カテンダには一切余裕などなかった。ぎりぎりの綱渡り。一合の攻防が命取りになる。いたぶるように剣を振るう襲撃者に、カテンダは苦悶の表情で相対する。
闘いは長くは続かなかった。終わりはあっけないものだ。
剣の柄はぐじゅぐじゅと血に濡れ、カテンダは剣を取り落した。そこに入った、容赦ない一閃。襲撃者によって、レイの父の首は跳ね飛ばされた。
ごろごろと地面を転がる首を、レイは呆然として見ていた。目の前の現実をとても受け入れられなかった。これは夢だ。何度そう自分に言い聞かせたことか。残酷にも現実はレイを待っていてはくれない。
彼の頬を撫でる熱風に、ぱちぱちと火花の散る音。レイの五感は、正確に状況を伝えている。
ふいに、襲撃者が振り返った。
鮮血の赤髪に、炎を宿した瞳。面影は誰かに似ている気がした。襲撃者の唇が弧を描く。金縛りにあったように、レイの体は頭のてっぺんから足の指先まで硬直した。殺される。レイは直感した。あの恐ろしい男は、自分の命を狩る死神であると。
男は一歩、前に踏み出す。
ハッと我に返った。レイは一目散に逃げ出した。もうじき日が暮れる、暗い森の中ならば逃げ切れる。レイはそう自分を励まして、いつもの愚鈍さもどこかにやって、森の中を駆け抜けた。
村を包む炎が、森を照らしていた。薄暗い森も、今だけは明るい。その明るさが、レイには煩わしく感じる。
ただひたすらに暗い方へ、レイは闇の中に飛び込んでいった。