構築された黄泉の国
田舎にある、主要ではない車道。そういった道は、公共の手が十分に行き届かない事もある。
現在、黄色いナンバープレートをつけたワンボックスカーの走っている道は、まさにその典型的な物だ。車道外側線はかすれ、アスファルトが経年変化で隆起し、穴が開いている箇所まで見受けられる。
右を見れば、山や森。左を見れば田畑しかない道を、ワンボックスカーは進んでいた。その車は、都会の道であれば追い越されるかクラクションを鳴らされそうなほど、ゆっくりとした速度しか出していない。それが当たり前だからだ。すれ違った車も、似た速度しか出していない。
過疎と高齢化問題が深刻になっている村。住民の多くが、農業を生業とする老人達だ。その人口が減少の一途をたどる村は、全体的にのんびりとした空気が流れている。そんな環境で、理由もなく車を飛ばす者はほぼいない。例外は、若干名だけいる軽自動車にカウルやウーハー等を取り付ける、特別な若者達ぐらいだろう。
見通しのよくないカーブを曲がった所で、ワンボックスカーの方向指示器が点滅を始めた。目的の場所だった喫茶店に到着したからだ。舗装されていない地面むき出しの駐車場へ、[鈴木電気商会]と社名の書かれたワンボックスカーが止まる。
だが、運転手である男性は、車をすぐに降りようとはしない。シートベルトを外し、助手席に置かれている手書きの仕事予定表を手に取った。そして、後部座席に積んである荷物を確認し始めた。
薄緑の社名入り作業服を着た、もうすぐ中年を迎える男性には心配性の気がある。その為、忘れ物をしているかもしれないと、運転中ずっと心配していたのだ。運転席から後ろへ身を乗り出した男性は、仕事表と照らし合わせながら商品の指さし確認を行う。気が済むまでその作業を行った男性は、安心したように息を吐く。そして、昼食後に向かう顧客先で慌てなくてもよさそうだと考え、車を降りた。
古めかしい扉を引いた男性を、扉についたベルの音色とコーヒーの香りが迎える。男性は店主を視線だけで探したが、見つからない。それを男性は、店主が厨房の奥で調理をしている為だろうと的確に見抜く。
行きつけである喫茶店を訪れた男性が、気兼ねなどするはずもなかった。無表情なままの男性は、店内を軽く見渡しながらカウンター席へと向かう。喫茶店内では、夫人二人と初老男性三人のグループが、それぞれテーブル席に座っていた。
その喫茶店では、ランチのタイムサービスを行っている。男性も、それ目当てで喫茶店に来たのだ。ただ、予定よりも仕事に手間のかかった男性が到着したのは昼をかなり過ぎてであり、誰も食事をしていない。ランチを食べそびれたという男性の考えは、いい方向に裏切られる。幼馴染である女性店主が、一人前のランチセットが乗ったトレイを持って、奥から出てきたのだ。
駐車中の車が店内から見えたので、先に調理をしていたと女性店主はしたり顔で笑う。女性の笑い皺を見つめながら男性も笑い、おしぼりを手に取った。手だけでなく顔をそれで拭いた男性が、注文はまだしていないなどと不満を口に出すはずもない。幼馴染以上の好意を持つ女性が、自分を分かってくれていると嬉しく思えたからだ。店主と二言三言会話をした男性は、割り箸を割いて先をハンバーグに向かわせた。
十五分ほどでパセリまで全て平らげた男性は、コーヒーを注文する。それを聞いた店主は、カウンター奥にある厨房へと引っ込んだ。複数あるコーヒーの銘柄を店主が聞かなかったのは、必要なかったからだろう。
カウンターに畳んでおいたおしぼりで手を拭いた男性は、再びそれを綺麗に畳む。そして、胸ポケットから煙草とライターを取り出した。火のつけられた煙草から、煙が男性の髪をかすめて昇って行く。煙草によって最大限にまで気分をリラックスさせた男性は、店内に流れる有線放送に耳を傾ける。
間の抜けた顔で煙草を吸っていた男性が、眉間に皺を作った。それは、店内にいる初老男性の大きな声が聞こえたからだ。
スマートフォンを握っている初老男性は、得意げに仲間へ自分は不死身だと説明している。男性が気に掛かったのは、そのスマートフォン自体ではない。いくら田舎といってもテレビはデジタル化されているし、スマートフォンは商店街にさえ行けば購入できる。五月蝿いと思える大きな声と話の内容が、男性にはあまり気分が良くないのだ。
スマートフォンを持つ初老の男性と、同じくらいの年齢であろう男性二人は、自分達の持っている携帯電話を取り出した。その二人は、年相応なのかもしれないが、高齢者向けの操作が簡単な機種を使っている。それを見た得意げな初老男性は、その機種ではサービスを利用できないと馬鹿にしたように笑う。
女性店主が持ってきたコーヒーに砂糖だけを入れた男性は、タバコの火を灰皿でもみ消して腕を組んだ。その彼は遠い目をしており、いつもの様に店主へと喋りかけはしない。男性は初老の男性達の会話を切っ掛けに、過去を思い出しているのだ。
男性が実家を継ぐ為に田舎へと帰ってきたのは、三年ほど前だった。それまでの彼は、大手コンピューターメーカーのサービスマンをしていたのだ。実家を継ぐための修行として働いていたその職場で、男性は偶然ではあるが初老男性達の話しているサービスに関わった事がある。そのサービスとは、サーバ上に肉体が死んでも魂だけを残し続けるというものだった。
男性の就職していた大手メーカーが、そのサービスを提供しているわけではない。そのメーカーのサーバ機器を購入してくれていたソフト開発企業が、そのサービスを世に出したのだ。
コンピューターのソフトやサービスを提供する会社は、コンピューターのプロを抱えている。そのプロ達ならば、なんでもできると思っている者もいるだろう。しかし、そうではない。ソフト的なプロと、ハード的なプロは別なのだ。男性の顧客だったソフト開発企業も、ソフト側のエンジニアは大勢いたが、ハード面のプロは雇い入れていなかった。その為、物理的な機器管理や修理を、男性のいた大手メーカーに任せていたのだ。
男性は会社の命令に従って顧客であるソフト開発会社に出向き、サーバを指示通り組み立てただけだ。だが、追憶にふけっている男性の構築したサーバに、初老の男性が魂を保存しようとしているのは間違いないだろう。
大手メーカーの社員だったある日の事を、男性は思い出している。
五年ほど前、サーバルームの隅で男性はファンを唸らせているサーバ群を見つめていた。そこは、顧客である企業の自社ビル内だ。午前中に機器の組み立てを終えた男性は、機器にトラブルがないかを見張る、立ち合い作業をしているのだ。重要機器の初期稼働やテスト運用時にエンジニアが立ち会うのは当然であり、その費用込みで作業費は顧客から支払われている。その時の男性も、淡々とそれをこなしているだけだった。
サーバにソフトをインストールし、設定をしていく顧客達から男性は顔をそむけて見られないように欠伸をした。そして、腕時計を確認し、立ち合い作業時間がまだ半分も過ぎていないと溜息を吐く。その時の男性は、退屈で仕方がなかったのだ。
立ち合い作業とはトラブルがあった際、早急に対応する為のものだ。逆にいえば、トラブルがなければする事がない。更にいえば、男性はハード面のプロであり、ソフト面の知識はそれほど深くなかった。その為、顧客が行っている作業が見ても全く分からない。退屈だと感じるのも、当然ではあるだろう。
慌ただしく動き回る顧客達に悪いと思いながらも、男性は再び大きな欠伸をする。気を抜いており、今度は顧客から顔をそむけるのを忘れていた。それを、男性の近くに座っていた顧客のプロジェクトリーダーに見られてしまう。顔を真っ赤にしてすみませんと呟いた男性に、リーダーである男性は笑いかけた。そして、自分も座ったまま伸びをする。
男性よりも年上であるリーダーの男性は、温和な性格をしており、トラブル時でもあまり怒ったりしない人物だ。その優しいリーダーの男性は、立ち上がると仲間達に休憩をすると言って声を掛けた。そして、まだ顔が赤い男性を喫煙所へと誘う。喫煙所で顧客に気を遣わせてしまったと恐縮する男性に、リーダーの男性は気にしないでいいと優しい言葉をかけた。そして、暇つぶしにでもと、プロジェクトのパンフレットを男性に渡す。そこには、永遠に自分を残しませんかと書かれていた事を、男性は思い出す。
休憩を終えた男性は、念の為に用意されている修理用機材のチェックも終える。そして、他にする事がなかった為、隅々までパンフレットを読み続ける事となった。
顧客の行おうとしているサービスは、すでにその時世間へは発表されており、注目を集めていた。永遠の命に興味がある人間が多いのだから、当然だろう。勿論、そのサービスは人を延命するものではない。だが、死んだ人間があたかも生きているように見せる事が出来るのだ。
現在人間は、携帯電話やパソコンといった、IT機器に囲まれて生活している者が多い。顧客の取締役にある若い男性は、その部分に着目したのだ。
サービスの内容とは、ユーザーの性格や癖を使用している機器から、サーバに蓄積する事から始まる。そして、ユーザーの死後、蓄積されたデータから擬似人格をサーバ内に構築するのだ。それにより、遺族の者達はもう会えないはずの家族と、ネット内で再開出来る。
倫理面や個人情報の観点から、発表後問題視する者達も出た。しかし、やり手であった取締役の男性は、個人情報面を暗号化ソフトで解決し、政治家達やマスコミを丸め込んでしまう。法に触れる部分もあったかも知れないが、サービスが開始されて以降三年たった今でも、それが表に出る事はなかった。
取締である男性の実家は、葬儀屋を営んでいた。それが、このサービスの原点かも知れない。人は必ず死を迎えるのだから、葬儀屋と同じで顧客となりえるユーザーが飽和する事も、いなくなる事もないだろう。
パンフレットを読みながら、男性は自分の両親にもそのサービスを進めようかとも考えた。だが、月々の維持費用を見てそれを断念する。後々、ユーザーが増えたおかげで価格は安くなったが、その時はまだ一部の富裕層しか利用できない値段設定だったのだ。
日が沈み、辺りが真っ暗になる頃、男性は再び喫煙所へと来ていた。リーダーである男性が、気を遣って再度誘ってくれたのだ。それまでに幾度も仕事でかかわっていた為、リーダーである男性と世間話を出来るほどになっていたのは、退屈な男性にとっていい事だったのだろう。
立ち合い作業が終わるまで、その時一時間を切っていた。解放されるという喜びからか、男性は口が軽くなる。そして、その軽くなった口でサービスについて会話を交わした。リーダーである男性に、もう少し安ければ両親にもサービスを受けさせたいと言ったのだ。男性に悪気が全くなかったのは間違いない。
だが、リーダーの男性は苦笑いを浮かべた。そして、ここだけの話にして欲しいと前置きをして、止めておいた方が良いと告げる。首を傾げたまま話を聞いた男性は、心にもやもやとした物を残す事になった。
リーダーである男性曰く、擬似人格は所詮擬似でしかないらしい。人間は考えて生きる存在だが、擬似人格にはそれがない。蓄積データをもとに、それらしい事を返答するだけで新たな事を考えている訳ではないのだ。擬似人格の怒りや悲しみといった感情も、全てまやかしだとリーダーである男性は語る。そして、ただのデータとそれを動かすプログラムが、魂とは別ものだとも考えを述べた。
男性はその時、葬式や墓参りが死んだ者のためでなく、残った者の為にあるという言葉を思い出す。死んだ後の事など、死んだ者は喜びも悲しみも出来ない。だが、残された者の慰みにはなると、以前本で読んでいたからだ。本の著者は、自分が死んだ際に悲しんでくれる人がおり、葬式もしてくれるだろうと残された者は安心したいのだとも書いていた。
立ち合いを終え、帰路についた男性は、死後の世界はあるのだろうかと考えていた。ただ、いくら考えても答えなどでない。何故なら、死んでみないと分からないからだ。色々考え込んで男性が出した結論は、本当に死後の世界があったとしてもそれはサーバの中ではないという事だけだった。そして、両親にはサービスを進めないでおこうとも、自分が利用しないようにしようとも考える。
「ねぇ? 大丈夫?」
自分を心配する声で、過去を思い出していた男は現実へと引き戻された。幼馴染である女性は、無意識に唸り始めていた男性を不安に満ちた表情で見つめている。相手を安心させたい男性は、笑いながら誤魔化した。
元顧客が行っているサービスにケチをつけたいわけではない男性は、問いかけてくる店主に何も教えない。勿論、永遠の命について語らう初老男性三人に、声を掛けようなどとは考えもしない。
新しい煙草を取り出して咥えた男性だが、腕時計の時間を見て目を見開く。男性は思っていた以上に、長く考え込んでいたらしい。急いで財布を取り出した男性は、いつもと同じ金額をカウンターに置いて、レシートはいらないとだけ告げた。
約束の時間に遅れないように店を飛び出す男性に、女性店主はまたねと手を振る。それが、男性の視界の端に映っていた。
ワンボックスカーを顧客先へ向かわせている男性は、運転の最中も考え事をしている。それは、擬似人格や死後の世界についてではない。十年ぶりに再会し、美しくなっていた幼馴染を、どうやってデートに誘うべきかと悩んでいるのだ。奥手である男性には、サーバ上に構築された死後の世界より、そちらの方がよほど考えるに値する事なのだろう。
人工的に作られた黄泉の国は、死の香りが周囲に感じられる者にしか、魅力を与えないのかもしれない。