『暗殺請負業、始めました。』
新作を投稿してみます。
境界都市は、今日も喧騒に満ちていた。
大陸中央に位置し、王国・帝国・連邦の三国が入り乱れるこの街は、
商人、冒険者、奴隷商、密輸屋、スパイ、そして──暗殺者までが混在する“混沌の交差点”。
昼間は平和そのものだ。
露店の呼び声、子どもたちの笑い声、冒険者ギルドの喧騒。
だが、夜になれば街の影は牙を剥く。
そんな街の片隅に、ひとりの青年が歩いていた。
金髪ショートに銀の瞳。
整った顔立ちだが、どこか“目立たない”雰囲気を纏っている。
身長は173センチ、中肉中背。
冒険者としては普通すぎるほど普通。
──だが、その正体を知る者はほとんどいない。
青年の名は レイル・フォルス。
表の顔は“新人冒険者”。
裏の顔は──
暗殺請負人。
黒髪に紅い瞳へと変装し、依頼者の前に現れる“都市伝説の暗殺者”。
依頼料は 「依頼者のステータスの半分」。
死後に残りの半分を受け取り、依頼者は輪廻から外れる。
この街では、彼の名を知る者は少ない。
だが、知る者は皆、こう囁く。
──“レッドアイに依頼した者は、二度と生まれ変わらない”。
レイルはギルドの前で立ち止まり、軽く伸びをした。
「さて……今日も“普通の冒険者”を演じますかね」
軽い調子で呟くが、その銀の瞳の奥には冷たい光が宿っている。
孤児院で育ち、暗殺術を叩き込まれた少年は、
今や大陸の魂の流れを揺るがす存在になりつつあった。
だが本人は、まだその自覚がない。
「おはようございます、レイルさん!」
受付嬢ミリアが笑顔で手を振る。
栗色の三つ編みが揺れ、丸眼鏡の奥の瞳が柔らかい。
「おはよう、ミリアさん。今日も元気だね」
「はいっ! レイルさんも、今日こそは簡単な依頼を受けてくださいね?
この前みたいに、また危険な依頼に首を突っ込んじゃダメですよ!」
「はは……気をつけるよ」
──もちろん、裏の仕事のことだ。
ギルドマスターのバルドが奥から現れ、豪快に笑った。
「おう、レイル! 今日も来たか!
お前は妙に落ち着いてるが……まあ、無理はするなよ?」
「ありがとうございます、マスター」
レイルは軽く頭を下げる。
この街での“日常”は、彼にとって唯一の安らぎだった。
だが、その日常は長く続かない。
ギルドを出て宿屋へ向かう途中、
レイルは一人の男に声をかけられた。
「……あなたが、レッドアイ様ですか?」
男は震えていた。
茶髪で優しげな顔立ちだが、目の奥には深い絶望が宿っている。
レイルは周囲を確認し、静かに答えた。
「場所を変えましょう」
二人は人気のない路地裏へ移動した。
男は深く頭を下げる。
「……妻を……妻を殺した貴族を……討ってほしいんです」
その声は震え、涙が混じっていた。
レイルは表情を変えずに問いかける。
「理由を聞きましょう」
「……妻は、あの男に……弄ばれ、殺されました。
私は……私は何もできなかった……!」
男の名は エリオット・グラン。
善良で、優しく、弱い男だった。
レイルは静かに頷く。
「依頼内容は理解しました。
では──契約を結びましょう」
エリオットは震える手で頷く。
「……お願いします。
私の……ステータスの半分を……差し出します」
レイルは手を差し出した。
「あなたは輪廻から外れます。それでも?」
「……構いません。
妻のためなら……私は……」
その瞬間、二人の間に淡い光が走った。
魂契約が成立した。
エリオットのステータスの半分がレイルへ流れ込む。
魂の一部が削れ、輪廻の輪から外れる音がした。
レイルは静かに目を閉じた。
「……確かに受け取りました。
依頼は必ず遂行します」
エリオットは涙を流しながら頭を下げた。
「……ありがとうございます……!」
夜。
レイルは宿屋の自室で鏡を見つめていた。
金髪が黒髪へ。
銀の瞳が紅へ。
表情が消え、声色が変わる。
──暗殺者の誕生。
「さて……仕事の時間だ」
黒い外套を羽織り、静かに窓から飛び降りる。
夜のグレイハーフは、彼を歓迎するかのように闇を広げた。
レイル──いや、レッドアイは、
標的の貴族が住む屋敷へと向かって歩き出した。
その背中は、
“世界の歪み”を引き寄せる存在であることを、
まだ知らない。
夜の帳が降りると、グレイハーフは昼とは別の顔を見せる。
昼間は商人と冒険者で賑わう街も、
夜になれば裏社会の者たちが動き出す。
密輸屋、盗賊、奴隷商、そして──暗殺者。
レイルは宿屋《月影の宿》の裏口から静かに外へ出た。
黒髪、紅い瞳。
表情は消え、声色は低く、冷たく変わっている。
──暗殺者としての姿だ。
宿屋の女将サラは、レイルの裏の顔を知らない。
だが、彼が夜に出歩くことには慣れている。
「レイルちゃん、夜は危ないから気をつけてね」
そう言って笑うサラの声が、耳の奥に残っていた。
レイルは小さく息を吐く。
「……あの人には、知られたくないな」
彼にとって、サラとティナは“日常”の象徴だった。
その日常を壊すわけにはいかない。
レイルは街の裏路地を抜け、
薄暗い酒場《黒猫亭》の裏口へ向かった。
そこには、フードを深く被った人物が壁にもたれかかっていた。
「……来たね、レッドアイ」
声は中性的で、性別すら分からない。
この街で最も情報を握る人物──フェイ。
「標的の貴族、動きは?」
「今日の夜は屋敷にいる。
護衛は五人、魔術師が一人。
ただ……気をつけた方がいい」
「理由は?」
「最近、王国の貴族たちが妙に警戒してる。
“暗殺者が動いている”って噂が広まってるんだよ」
フェイはレイルの紅い瞳を覗き込む。
「……君のことだよ、レッドアイ」
「そうか」
レイルは淡々と答えた。
噂が広まるのは避けられない。
だが、レイルはそれを恐れない。
恐れるべきは──
魂喰らいの力が世界に露見すること。
「標的の位置は?」
「屋敷の二階、書斎。
毎晩、酒を飲みながら書類を整理してる。
……妻を殺した罪を隠すための書類だろうね」
フェイの声には皮肉が混じっていた。
「ありがとう。助かった」
「礼はいらないよ。
ただ……君は気をつけた方がいい」
「何を?」
「君の魂、揺れてるよ。
普通の人間じゃない“何か”が混ざってる」
レイルは一瞬だけ目を細めた。
「……そうか」
「まあ、僕は君の味方でも敵でもない。
ただの情報屋さ。
でもね──君は“世界に嫌われる”タイプだよ」
フェイはそう言って、闇に溶けるように姿を消した。
レイルは街の外れにある貴族邸へ向かった。
屋敷は高い塀に囲まれ、
門には二人の衛兵が立っている。
だが、レイルは正面から入るつもりはない。
屋敷の裏手に回り、
影の中に身を沈める。
呼吸が静まり、心拍が落ちる。
──影潜行。
孤児院で叩き込まれた暗殺術の一つ。
気配を極限まで薄め、影と同化する。
レイルは塀を軽く跳び越え、
庭の影を滑るように進む。
衛兵の視線はすり抜け、
犬の嗅覚すら欺く。
屋敷の壁に手をかけ、
音もなく二階へと登る。
標的の書斎は、
窓から暖かな光が漏れていた。
中からは、酒瓶の音と、
男の低い独り言が聞こえる。
「……あの女が……余計なことを……」
レイルは窓の外で静かに息を整えた。
依頼者エリオットの妻を殺した男。
権力を盾に、罪を隠し、
何事もなかったかのように生きている。
レイルの紅い瞳が、わずかに揺れた。
「……行くか」
レイルは窓を静かに開け、
影のように書斎へと侵入した。
書斎の中は、酒と香の匂いが混ざり合い、重たい空気が漂っていた。
机の前に座る男──
標的の貴族 バルドン・レイハート は、
太った体を椅子に沈め、酒瓶を片手に書類をめくっている。
「……あの女が……余計なことを……」
その声には、罪悪感の欠片もなかった。
レイル──いや、レッドアイは、
書斎の影に溶け込むように立っていた。
気配は完全に消えている。
呼吸すら感じさせない。
男が酒を飲み干し、机に置いた瞬間──
「……誰だ?」
貴族が気配に気づいたのではない。
ただの偶然だ。
だが、その一言が合図となった。
レッドアイは影から現れた。
黒髪、紅い瞳。
無表情の仮面のような顔。
「……ひっ……!」
貴族の顔が恐怖に歪む。
「レ、レッドアイ……!?
ま、待て……金ならいくらでも──」
「依頼は完了させる」
レッドアイの声は低く、冷たく、感情がない。
「ひ、ひぃ……!」
貴族は椅子から転げ落ち、後ずさる。
机の上の鈴を掴もうと手を伸ばす。
──護衛を呼ぶための緊急鈴。
だが。
レッドアイの手が、音もなくその手首を掴んだ。
「無駄だ」
骨が砕ける音がした。
「ぎゃあああああっ!!」
貴族の悲鳴が書斎に響く。
だが、この屋敷は防音魔術が施されている。
外には聞こえない。
レッドアイは淡々と告げた。
「あなたが殺した女性の夫からの依頼だ」
「や、やめろ……!
あれは……遊びだったんだ……!」
「知っている」
レッドアイは短剣を抜いた。
紅い瞳が、わずかに揺れた。
「……だから、殺す」
刃が振り下ろされる。
血が飛び散り、男の悲鳴が途切れた。
──暗殺完了。
だが、レイルの仕事はここからだ。
レイルの紅い瞳が淡く光る。
死体から、淡い光が立ち上る。
それは“魂”の形をしていた。
魂は震え、逃げようとする。
だが、レイルの手がそれを掴む。
「……いただく」
その瞬間──
魂がレイルの体内へ吸い込まれた。
ステータス、スキル、経験、魂の強度。
すべてがレイルの中へ流れ込む。
脳が焼けるような痛み。
血管が破裂しそうな圧力。
魂が軋む音。
「……っ……!」
レイルは歯を食いしばり、壁に手をついた。
魂吸収は、決して快楽ではない。
むしろ、魂を削る行為だ。
だが──
レイルのステータスは確実に上昇していく。
視界が鮮明になり、
体が軽くなり、
魔力が膨れ上がる。
そして──
世界の“歪み”が、わずかに見えた。
(……これは……?)
魂視の片鱗。
まだ完全ではないが、
レイルは確かに“何か”を感じ取った。
その瞬間──
遠く離れた聖国ノルディアで、
大司教ルミエルが目を開いた。
「……魂の流れが乱れた。
輪廻の外側の力……?」
帝国の暗殺部隊《黒鋼》の隊長ゼノも、
同じ瞬間に眉をひそめた。
「……異物が動いたな」
世界が、レイルの存在を認識し始めた。
レイルは書斎の窓から外へ出た。
夜風が頬を撫でる。
「……終わった」
依頼者エリオットの魂の残り半分は、
彼が死んだ時にレイルへ流れ込む。
それが契約だ。
レイルは屋根の上を軽く跳び、
街の闇へと消えていく。
黒髪が風に揺れ、
紅い瞳が夜を切り裂く。
──暗殺請負業、始動。
この夜を境に、
境界都市グレイハーフは
“世界の中心”へと変貌していく。
レイル自身も、
まだ知らないままに。
彼の選択が、魂の循環と大陸の未来を決める──。




