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「きゃああああ!」
会場の至る所で悲鳴が上がる。逃げる人々の流れに逆らって、有原は血まみれのクラスメイトに接近した。
「君。大丈夫?怪我はないか?」
慎重に様子を伺う。大きな怪我は無さそうに見えるが、先程バケツの衝突音が鳴ったので心配だ。
一方、男は微動だにせず呆然としている。彼も、突然のことに驚いているのだろう。
周辺を見渡してみると、少し離れたところに原因になったバケツが転がっているのが見えた。軌道上には、クラスメイトの彼が被っているのと同じ色の液体が散乱している。バケツにもそれが滴っているので、間違いなくあのバケツに入った液体が彼にかかっと考えていい。しかし、あれが血液ではなく危険な薬物ならば、事態は一刻を争うことになる。
「…!」
さて、混乱が弱まり自らの状況に気付いた男は、自身の腕や足を動かして服や素肌にべっとりと付着した液体を凝視していた。特に、髪の感触が気持ち悪いらしく不快そうにしている。身体のどこかを抑えている様子もないので、バケツと直接ぶつからずに済んだようだ。
「…あー。なるほど。なるほどねぇ。」
彼はキョロキョロと周囲を見渡した。逃げ惑う人々を見送り、上を見上げる。アーチは、もう壊れてしまったのか。
ようやく男は、有原と目を合わせた。そして、彼の手に握られている使い古されたスマホと綺麗なハンカチを見た瞬間、何かを察して頭を抱えた。
「…悪いな。俺が固まってたから、心配してくれたんだよな。」
バツが悪そうに目線を落としていたが、だんだん冷静になってきたらしい。数秒固まった後に顔を上げて有原に微笑みかけた。
「ありがとう。さっきもだけど。」
男も、有原のことをちゃんと覚えていたようだ。この短時間でもう冷静になるとは。
「気にしないでくれ。それよりも、身体は大丈夫か?危ない液体なら、すぐに洗い流した方が良い。」
有原はそう促すが、男は首を横に振った。どうやら、危険な液体ではなかったようだ。
「それがよお。この液体、害はなさそうなんだけど、なーんか変な匂いがするんだよなぁ。」
「変な匂い?」
「なんつーか、その…。血じゃなくて、ペンキの匂いみたいな。」
ペンキの匂い。ということは、塗料だ。しかし、匂いがこちらに届いていないのでアクリル絵の具の部類と考えられる。
(それにしてはグロくないか…?)
とりあえず、絵の具の出先を探してみることにするか。
「ところで。君、名前は?」
「ん?ああ。俺は佐々木信也だ。よろしくな、有原!」
佐々木は人の良さそうな顔で笑う。なるほど。彼の名前は【佐々木信也】というのか。…あれ?
「僕、名前言ったっけ??」
疑問を口にすると、彼は静かに口を開いた。
「ここには知らない奴しかいないんだ。だから、クラスメイトとは早く仲良くなりたくて…。」
佐々木は気恥ずかしそうにもじもじとしている。
要するに、この男は式までの僅かな時間でクラスメイトの名前を覚えようとしたわけだ。本当に全員覚えているのかは分からないが、出席番号の早い有原のことは記憶していたのだろう。
「そっか。それは嬉しいな。」
有原は佐々木の手を取って自分の手で包み込んだ。
「こちらこそ!よろしくね、佐々木くん。」
そして(第三者曰く)眩い笑顔で挨拶をした。その間、佐々木は頬を赤くしていた。絵の具のせいで物理的にも赤かったが。そして、佐々木は照れ隠しも兼ねてゴホンと咳払いをした。
「あ、有原。手に絵の具?が…。」
言われるがまま手元を見ると、赤黒い液体が付着している。実を言うと、コレは有原にとって狙い通りの展開なのだが誤魔化しておこう。
「僕は大丈夫だよ。さて、そろそろ先生方が来るはずだ。」
危うく忘れるところだったが、入学式には教職員が大勢いる。本当ならば既に佐々木のところまで辿り着いていたはずなのだが、混乱が大きすぎて場所の特定は愚か、人波を掻き分けきれなかったようだ。
「そうだな。…有原、気づいてるか?」
突然、佐々木が意味深に聞いてきた。
「え?何が…?」
「先公共が疑似血まみれの俺を放っておく理由さ。」
佐々木は雑に吐き捨て、冷めたような目をしながら校舎裏を見つめている。そういえば、あの辺りに人だかりができていて見えなくなってるな…。あそこに、何がー。
「俗に言う肉塊…ってところね。」
「…え?」
肉塊?
有原の近くにいた女の子が、見た目に反してかなり辛辣な物言いをした。
「貴方は…確か、クラスメイトの。」
「粟倉菜子よ。よろしく。ところで、佐々木くん。貴方…とても情熱的な格好をしているわね?」
現在、佐々木は依然と疑似血まみれである。
「うるせぇ!なりたくてなったわけじゃない。」
ムッとして言い返す佐々木だが、彼女にとっては痛くも痒くもない。
「寧ろ、ゾクゾクするわぁ。血まみれでも尚強気な男の子。刺しても良い?」
光惚した顔でそう言い放つ。
「やめろ、変態!!」
佐々木は本能的に恐怖を感じたらしく、ジリジリと後退った。有原は、実に自然な動きで自身の手が彼女に見えないように後ろに回した。
「冗談よ。それよりも、良いの?アレ。」
菜子は、校舎裏の肉塊(彼女曰く)を指で指した。
「あれは…足、か?」
ここからだと一部しか見えないが、明らかに人間だ。しかも、自分らとそこまで歳の変わらないではないか!
「な…。」
なるほど。あそこに人が群がったのは、動こうにも動けなくなったからなのか。みんなが絶句して動かない人間を見つめている。
そして、その周囲には佐々木が被ったものとそっくりな赤黒い液体が染み渡っていた。




