海陵王と恵民局
暴虐な帝王として知られる海陵王。彼がどのような人物だったのか、知られざる一面を『金史』より読み解いていこうと思います。
今回は海陵王の政策で後世に引き継がれたものの一つを見てみましょう。
貞元元年(1153)十一月条に「この月に初めて恵民局を設置した。」とだけありますが、これは後世に続く割と重要な出来事です。
このあと本紀に恵民局が出てくるのは「哀宗紀下」の天興二年(1233)八月辛丑条で、「恵民司」と表記され「官より薬を支給する」とあります。おそらくは「海陵王と張浩」で見たように、天徳三年(1151)に病気が蔓延した際に、海陵王が官からの薬の支給と医師の派遣を命じたことが大本になったのではないでしょうか。
これがモンゴル帝国に引き継がれ、『元史』巻九十六 志四十五上の「食貨志四」には「恵民薬局」の項目があり、「太宗の九年に燕京など十路に初めて局を置いた。」とあります。南宋にも同様の部局がありましたが、オゴデイ(太宗)の治世に始まったとあり、直接的には金朝の制度に倣ったものでしょう。
更には明代にも引き継がれて、『明史』巻七十四 志五十「職官三」には「洪武三年、恵民薬局を設置した。府には提領、州県には官医を置き、兵と民の貧しい病人に医薬を支給した。」とあります。




