悪役令嬢の行き着く先は
いきおいでかきました。後悔はしていない。
「皆様、私達に新しい家族が送り込まれてきます」
グレイス修道院長が朝の祈りの後にそう伝えた。家族、つまり修道院に新しい修道女がやってくるという意味だ。
修道女たちは静かに顔を見合わせた。グレイス院長は「送り込まれてくる」と言った。つまり、どこぞの貴族令嬢が何かやらかして修道院送りになった、そういう意味だ。
「はあ、修道院はダメ令嬢を捨てるゴミ捨て場じゃないんですけどねえ」
「ハンナ副院長、もう少し言葉を柔らかく」
「失礼いたしました。修道院は問題児の姥捨て山ではないのですけれどねえ」
「全然変わってない。というかどっちもどっちな表現です」
「そこは個々人の感じ方ですねえ」
「違うと思います」
院長と副院長の漫才は置いておいて、ヒラの修道女たちはげんなりした。
副院長の言うとおり、貴族令嬢が修道院に送り込まれる時、それは「親にも手に負えないどうしようもない令嬢」とか「問題を起こして社会的に封じ込める罰が必要な令嬢」がほとんどだからだ。往々にしてそういう令嬢はワガママで人を見下すタイプの人間が多く、修道院に入った直後から問題を起こすことが多い。
「副院長の言うこともわからなくありません。ですが、これもまた神が与え給うた試練なのです。皆が通ってきた道でもあるのです。ですからこの試練を全員で甘んじて受け止めましょう――神に感謝」
「「神に感謝」」
修道女たちは院長の声に唱和した。
★★★★
まばらに針葉樹の生える崖の縁を1台の馬車が走る。
馬車はなんの装飾もない箱馬車で、誰が乗っているのかは外からはわからない。うっすらと霧がかってきた道を外れないように御者は馬を急がせる。
崖の道を走りきった先には大きな建物が見える。大きな尖塔を持つそれは重厚な灰色の石造り、入り口らしい扉の上に丸いステンドグラスの窓がついている以外に華美な要素はまったくない。
そこへ向けて御者は馬を走らせる。
そこはミスクル修道院。
厳しいことで有名な女性ばかりの修道院である。
「こ……っ、ここが修道院? まるで倉庫ではないの!」
馬車を降ろされた令嬢が叫ぶ。しかし数多の問題令嬢が送り込まれてきたこの修道院、みんなそんな叫び声などなかったかのように静かに並んで彼女を迎えた。
令嬢の名はベロニカ。家名は馬車で出発する直前に捨ててきた。何でも「王太子ジョナサンのトゥルーラブ、真実愛するララベル嬢をいじめていじめていじめ抜いた、そんな女性に王太子の婚約者は務まらず、またそのいじめの酷さは筆舌に尽くし難く、修道院へ行くのが妥当」だそうだ。
確かに苦言を呈したのは事実だ。だが、先に仕掛けてきたのはあちらの方だ。ベロニカの婚約者である王太子を誘惑し「婚約者から振り向いてもらえない可哀そうな令嬢」とさんざん触れて回ったのはララベル嬢が先だ。おまけにそんな女に誑かされて肝心の婚約者が一方的に自分を悪者に仕立て上げている。ベロニカは彼らの動向に全く気付いておらず、突然の断罪劇は全くの不意打ちだった。
それにしても何もかも納得がいかない。ジョナサンの言い分によるとララベル嬢はトゥルーラブで清廉だから、それに侯爵令嬢であるベロニカの方が男爵令嬢であるララベル嬢より身分が上、身分をかさにきていじめるなど言語道断、だそうだ。
婚約破棄? 上等だ、そもそもこれは政略的な婚約、別にベロニカはジョナサンを愛していたわけではない。ララベル嬢が王太子を欲しいと言うなら熨斗つけてプレゼントしてあげたものを、妙な小細工をして。
ベロニカにとって本当に王太子はどうでもよかった。あんな白くてヒョロッとしていて顔だけ無駄にいい男、はっきり言ってタイプではない。ベロニカのタイプはむしろもっと筋肉質な男性だ。さすがにゴリラは勘弁だが、細マッチョで剣の腕が立つ男が好きなのだ。いつぞや剣の試合を見に行って、舞うような刺すような美しく鋭い剣を初めて見て以来、ベロニカはすっかり剣試合ヲタクになっていた。つまり剣の稽古をサボりまくっている生っちょろい王太子は本当に、本当にどうでもよかったのだ。同じ大豆ならハウス栽培のモヤシよりがっちりと茎の太いエダマメの方が好きだ。
まあベロニカの好きなタイプは置いておいて、とにかく彼女はかなり強引な理屈で修道院へ送られることになった。おっとりとした彼女の両親は対処が遅れ、あれよあれよという間にベロニカの処分は決定となってしまった。
最初は怒った。あまりの理不尽に体の奥に煮えたぎる怒りが渦巻いてどうにかなってしまいそうだった。だが事が自分の家である侯爵家へ悪い影響を及ぼすかもしれないと気がついてベロニカは青くなった。何としてでも侯爵家に傷をつけてはいけない。必死に考えて、ひとつの結論に至る。その頃には怒りよりも諦めや空虚さがベロニカの心を占めるようになっていた。
両親と涙の別れを済ませ、修道院行の馬車に乗せられる時に最後に願いはあるかと偉そうに王太子が聞いてきたので、今ここで侯爵家からは除籍してもらえるよう願った。由緒正しき侯爵家を自分のせいで潰してしまうわけにはいかないから、と。殊勝な願いを口にするベロニカに、ジョナサンはちょっとだけ気まずそうな顔をしたが「いいだろう」と偉そうに頷いた。こんな出来損ないのモヤシにいいように自分の人生を決められてしまったことに、そしてアレが次代の王だというこの国の行く先にもう絶望しかない。もうモヤシと表現するのもモヤシに失礼だ、ブロッコリースプラウトくらいでいいのではと考えて、名前がカッコ良すぎるのでモヤシのままでいいことにした。
なにはともあれベロニカの潔い願いに虚を突かれた王太子は侯爵家に累が及ばないよう取り計らうと約束したので、その瞬間から彼女はただのベロニカとなったのだった。
「いいですか、シスターベロニカ」
修道院に置き去りにされたベロニカは、ハンナ副院長について修道院の中を案内されている。けれど話しかけられてももう何もする気が起きず、生返事を返すだけだ。ハンナ副院長はそれを軽く受け流し、冷静に言葉を続けた。
「貴女はこの修道院の門をくぐった瞬間から貴族令嬢ではなくいち修道女となりました。身分とはかけ離れた世界なのです――さあ、ここでは働かない者に食べさせる食事はありません。今日は来たばかりなので夕食がありますが、明日からは決められた労働をしなければ食事は抜かれます。しっかりと務めるように」
「はい……」
「ここには高価な宝石も豪華なドレスも美味しいお菓子もありません。世俗から切り離され、日々の糧を得て神に祈る、そういう場所です。ここへ来るのは甘やかされ、わがまま放題やってきた挙句に問題を起こした元貴族令嬢がほとんど。まったく、ここは姥捨て山――いえ、令嬢捨て場ではないというのに」
ひどい、とベロニカは思った。けれど反論する気力すらない。
「とはいえ。もう過去は過去なのです。毎日の暮らしの中で小さな喜びをみつけていくことが貴女の幸せとなることでしょう、シスター・ベロニカ」
そんなわけないじゃない。
ベロニカは心の中で毒づいた。
その夜、貴族の食事とはかけ離れた質素な食事を流し込み、硬いベッドでベロニカは眠った。覚悟して来たとはいえ、屈辱に泣いてしまいそうだ。
そしてそれ以上に辛いのは、これからずっとこの修道院に住まなければならないという事実にベロニカは改めて絶望していた。
――これから何を楽しみに生きていけばいいんだろう。
ベロニカは自分の心にぽっかりと大きな穴が開いてしまったような気がした。
次の日からベロニカにも仕事が与えられた。
朝早く起きて庭の掃除、その後朝食を食べて院内の掃除、昼からは修道院内で刺繍などの奉仕活動――それが彼女の毎日の仕事になった。
1日で嫌になった。けれど作業をサボると本当に食事がもらえないことがわかったので渋々作業をする。
刺繍はいい。苦手ではあるけれどやったことがあるから。けれど庭掃除も洗濯もベロニカにとっては重労働だ。スプーンより重たいものを持ったことがないんじゃないかと思われる。1日が終わるともうぐったりだ。着替えももどかしくベッドへと倒れ込む日が続く。
1週間ほどして、ベロニカはハンナ副院長に呼び出された。
「1週間仕事をしてもらったわけですが、どうですか? 疲れますか?」
「はい。これがずっと続くと思うとぞっとします」
「正直ですね。まあ、ここでの奉仕はあなたへの罰ですので、辛いからという理由で違う仕事に変えることはいたしません。ただ」
「ただ?」
「ただ、やはり全く適性のない仕事に就かせるのは周囲に迷惑です。ですので、しばらくはいろいろな仕事をまわってもらいます。掃除係は1週間やりましたね? 明日からは畑の仕事に回ってもらいます」
「畑――!」
まさかの土仕事。手を汚したこともないような深窓の令嬢だったのに、土仕事! 彼女は泣きながら土を耕し、ミミズに悲鳴を上げた。
そうして定期的に係を変わりながらベロニカはいくつもの仕事を体験していった。
けれど彼女が満足にできる仕事などない。一通りの仕事を体験したベロニカをハンナ副院長が呼び出した。
「どこの職場でも泣いていたようですね」
「だって……」
「やってみたい仕事はありましたか」
「――いいえ」
「わかりました。ではシスターベロニカには私の仕事を手伝っていただくことにします。ただし、この仕事が本当に最後の仕事です。これも嫌なら初日に割り振った掃除係に戻ってもらいます。それ以降は仕事の変更は受け付けません。では明日の朝、玄関に集合です」
そんなわけでベロニカは新しい仕事を振り分けられることになった。
翌朝の玄関前でベロニカを待っていたのは小さなリュックを背負ったハンナ副院長と数名のシスター達だった。
「おはようございます。私達の仕事はこの修道院で食べる食材の確保です。修道院の外へ出ると魔獣が出ることもあり危険です。私の指示通り動くようにしてください。さもないと命の保証はいたしかねます。いいですね?」
物騒な言葉を最後に彼女達は外へ出た。朝もやのまだ残る灰色の空はベロニカの心に僅かな恐れを生み出すのに充分だった。
一行は修道院裏手の森へと入っていく。しょっちゅう行き来しているであろう踏み慣らされた道を1時間も歩いただろうか。森の中に僅かに開けた場所に出た。
「では採取を始めます。本日の目的はキノコとアルモ草です。他にもいい食材があれば採取してください。私とシスターミレーヌは周囲の警戒に当たります。何かあったら些細なことでも報告を。よろしくお願いします」
野草の採取など初めてのベロニカには指導役としてシスターナディアがつく。ナディアはベロニカと同室のシスターだ。おっとりした人で、ベロニカのキツい言葉遣いもふんわりとスルーしてしまう。結果ベロニカも毒気を抜かれてしまい、彼女に対してそんなきついことは言わなくなった。比較的ベロニカとは相性のいい相手と言えた。いや、むしろベロニカが1番なついている相手と言える。
「ねえシスターナディア。さっき副院長が言っていた『魔獣が出る』って本当に?」
「そうなのよねぇ、とは言ってもツノウサギやスライムくらいの弱い魔獣がほとんどなんだけどぉ」
「私、魔獣って見たこともないから見てみたいわ」
「うーん、どっちも見た目は可愛いんだけどねぇ、近づくとケガするからオススメしないわぁ」
「そうなのね――ねえ、シスターナディア。貴女も元は貴族令嬢でしょう? 恐ろしくないの?」
「魔獣のこと? そりゃあ怖いわねえ」
「それもそうだけど、これからずっとここで暮らさなければならないことよ。だってーー」
言いながら木の根元にキノコの群生を見つける。事前に指導された通り、全ては取りきらず一部を残してリュックにつめこんだ。リュックは空間拡張の魔法がかかっているので、たくさん入れても大丈夫だ。
「これも食べられるキノコよね、シスターナディア」
手元のキノコを観察しながら振り向くと穏やかな笑顔のナディアが「どれどれ?」と言いながら近づいてきた。
が、その背後に動くものを見つけてベロニカは固まってしまった。
ツノウサギだ。
ウサギといっても大きさは普通のウサギの5倍くらいはある。おまけに名前の通りの長く鋭い角が頭頂に生えている。あれで刺されたらかなり痛い。痛いじゃ済まない、串刺しだ。
ベロニカはナディアのことを自分で考えている以上に気に入っているらしいと今更ながらに気がついた。もしあのツノウサギにナディアが襲われでもしたら――背筋が凍りつきそうだ。
そう思った時にはツノウサギがナディアめがけて走り出していた。ツノを前に突き出し、猛スピードで襲いかかってくる。
「――ナッ、ナディア!」
「え? なぁに?」
柔らかく微笑みながら最小限の動きで背中から二振りの短い剣を取り出したナディアは全く動じることなく振り向きざまツノウサギを切り捨てた。
「ギィッ!」
青い血を噴き出しながらツノウサギがこと切れる。ナディアは細身の双剣をヒュッと振って血を払い落とし、慣れた手付きで鞘に収めた。
「あらぁ、失敗しちゃったわぁ」
右袖についた返り血を気にしているナディアにベロニカは呆然としてしまった。
このおっとりしたナディアが、あの剣技――
ハンナ副院長がナディアとベロニカを組ませたのは、二人が比較的うまくやれるからという理由だけじゃなかったのか。この腕があるから、今みたいに不測の事態が起こったときにベロニカを守れるからなのではないだろうか。
ベロニカは修道院へ追放されたことで自暴自棄になっていた。貴族令嬢としてのすべてを奪われ、家族とも決別し、たとえここから逃げ出したとしても野垂れ死ぬしかない身の上。けれどまだまだ貴族としての矜持を捨てることもできず――
だから修道院の人たちには嫌われていると思っていた。だというのにナディアもハンナ副院長も、こんな自分のことを気にかけてくれていたというのか。柄にもなくじぃんと来てしまう。
けれどそれ以上にベロニカにとって衝撃だったことがあった。それを必死に抑えつつナディアに話しかけた。
「あ、危なかったわね」
「ツノウサギくらい問題ないわよぉ。でもまだまだ私も鍛錬が足りないわぁ」
「え、あの剣で?」
「そりゃあそうよぉ、師匠なら返り血なんて浴びないもの」
「師匠?」
「ええ、ほら」
ナディアがさし示した方向に目を向けると、そこにいたのはハンナ副院長。その手にはナディアのものとよく似た2本の細身の剣が握られている。
「あら、副院長の双剣が私のと似てるのじゃなくて、私が副院長から教わったのよぉ」
ナディアの声をBGMがわりに副院長を見ているほんの数瞬の間にハンナ副院長がふわりと舞うように動き、彼女の周囲にツノウサギが4匹バタバタと倒れる。気を付けて見ていれば、ツノウサギたちが斬られた瞬間ではなく倒れ伏してから青い血を噴き出したことに気がつけるだろう。
「ほらぁ、返り血も浴びてないでしょ」
「え、ええ」
ベロニカは混乱していた。
修道院の規範そのものといった風情のハンナ副院長が、双剣使い?
それもナディアの師匠?
「ま、待ってちょうだい。どうして修道院の修道女が剣の修練を積んでいるというの?」
「あら決まっているわ」
ハンナ副院長が剣を腰に直しながら答えた。いや、答えようとしてその言葉は半ばでかき消される。
グオオオオオ!
「な、何? 今の――」
声のする方を振り向いたベロニカは凍りついた。木々の向こうからとてつもなく大きな熊が近づいてくるのが見えたのだ。ベロニカにも知識だけはある、凶暴な魔獣グレートベアーだ。
「逃げるわよ、シスター・ベロニカ!」
今までほわんほわんな語り口調だったナディアも鋭くベロニカの腕を取り走り出す。だがろくに走ったことなどない元侯爵令嬢、当然持久力などあるわけもなくあっという間に木の根に躓いて思いっきりこけてしまった。
「シスター・ベロニカ!」
ナディアの悲鳴が響く。慌てて顔を上げたベロニカの目前には、もうグレートベアーが迫っている。
「ひっ」
まるでスローモーションのようにグレートベアーの腕が振り上げられ、ベロニカは恐怖で頭が真っ白になってしまった。悲鳴さえ出ない。次に自分を襲うであろう衝撃にぎゅっと目をつぶる。
だがいつまでたっても恐れていた衝撃は来ない。恐る恐る開いた眼の先には――双剣を構えた副院長の背中。あっという間にグレートベアーに向かって走り出し、すれ違いざまにふわりと跳躍すると双剣を振るってグレートベアーの首を落としてしまった。音もなく地面に降りた副院長の服にはナディアの言っていたとおり一滴の返り血もついていない。まあ、目の前にいたベロニカには多少かかってしまったが。
「怪我はありませんか、シスター・ベロニカ」
奮った双剣を鞘に納め、副院長は彼女のところへ戻って来た。
「ああ、少し汚れてしまいましたね。初めての食糧調達でこれではさすがに怖かったでしょう」
副院長がベロニカを支えて立たせ、肩を貸した。
そのストイックなまでの立ち居振る舞いを見ているうちにベロニカはとてつもない衝動に襲われた。
ドッドッと心臓が激しく波打ち体が硬直する。今までこんな人に会ったことはない。
強烈な違和感はやがてベロニカの口からひとつだけ言葉を紡ぎださせた。
「す、て、き――」
清楚で禁欲的な修道女の衣装に身を包み、誰よりも規範的なハンナ副院長。だというのにいざ獲物を目の前にするとまるで舞うように双剣をひらめかせ、隙のない動きで一瞬のうちに獲物の命を刈り取る。
何ということだろう。剣の試合を見るのが大好きなベロニカだが、今まで見たことのあるそれが霞んでしまうほどの強さ、鋭さ、優雅さ、美しさ。
ベロニカの目はきらっきらのハートマークになりきっている。ひとりの令嬢が沼に落ちた瞬間であった。
「副院長、助けていただきありがとうございました」
「ふふ、ありがとう。けれどシスターベロニカにはちょっと刺激が強すぎましたね。どうしますか? 掃除係に戻りますか?」
「いいえ、とんでもない!」
即答したベロニカに副院長は少し目を見張ったが、すぐに大きく頷いた。
「では明日からもこちらで仕事をしてください。それから自分で身を守れる程度にはなったほうがいいかしらね」
「わっ、私もハンナ副院長のようになれますか?」
「ええ、シスターベロニカの頑張り次第で」
「はい!」
紅潮した頬で食い気味に頷いた。筋肉もいいけれど、これからはこれだ。全力で愛を叫びたいほどかっこいい。
ああ、なんと素晴らしいところへ来たのだろう。何も飾ることなく競うことなく、ただただ推しを愛でて追いかける生活――
絶望していたベロニカはこの修道院での生活に喜びを見いだし、すっかり新しい扉を開いてしまっていた。
それからしばらくして。
あの後、ララベルがベロニカを陥れるためについた嘘が発覚し、ベロニカの冤罪は晴れた。ジョナサン王太子はララベルを未来の王妃にしたいが為にベロニカを修道院に追いやったと見なされ、廃嫡されてララベル共々田舎の領地へ飛ばされてしまったらしい。
もちろん王家の使いがベロニカを迎えに来た。彼女の名誉は回復されたとして、侯爵家へ戻れることになり、王家からいい縁談の話も来た。
けれどベロニカは全て断った。
当然である、何しろ彼女の喜びは今や修道院にあるのだから。推しと同じ空気を吸い、同じ釜の飯を食い、剣の修行をつけてもらって共に働く。これ以上の幸せはない、と考えるようになっていた。
なのでベロニカはそのまま修道院で暮らしている。
そうやって季節がいくつか過ぎた頃、ミスクル修道院にまた新たな女性がやってきた。
あの頃のベロニカと同じく、問題を起こした貴族令嬢パトリシアだ。
この娘も今までと全く違う生活に戸惑い、苛立ち、絶望するのだろう。ベロニカは懐かしい気持ちでその令嬢を見た。
あれからベロニカは剣の腕をみるみる上達させている。食料採取の仕事もナディアと一緒じゃなくてもこなせるようになった。今ではツノウサギどころかラッシュボアーというイノシシ型の魔物も倒せるようになった。グレートベアーはまだひとりでは難しいが。
「頑張りましたね、シスター・ベロニカ。これからも共に精進いたしましょう」
憧れのハンナ副院長にそう声をかけられて天にも昇る心地だ。
鍛錬に奉仕作業に疲れて部屋へ戻ったあとは、ナディアと「今日のハンナ副院長のステキだったところ」を語り合う推し活に忙しい。ベロニカは毎日が充実しているのを肌で感じている。
だからこの新入りの令嬢にもその喜びを。
にっこり笑いかけながら、どうやってこの娘を沼に引きずり込むかの算段を頭の中で考える。
「ようこそ、ミスクル修道院へ」
2023.10.27ジャンル別日間コメディーランキング1位!
お読みくださった皆様のおかげです。
ありがとうございました!