王子、呆れる
午前の講義の終わりを告げるチャイムが響き渡る。教員が出ていくと先ほどまでペンを走らせる音だけが聞こえていた教室は騒がしくなる。
窓際前から3列目に座るのはこの国、ハースト王国の第二王子であるアーロン・グレース・ハーストである。
誰かを待っているのか、眠たげに窓の外で舞う花吹雪を眺めながら欠伸を漏らす。
その姿は絵になり、密かに見つめうっとりする女生徒も少なくない。
そんな中何やら廊下がざわつき始める。キャー、と小さな悲鳴がいくつか聞こえ、それは徐々にアーロンのいる教室へと近づいてくる。そしてそれが最も大きくなった時。
「アーロン様、遅くなりました。」
教室の出入り口から彼を呼ぶ声、一同が目をやればそこにはクレアの姿。それを見た女生徒達からは歓声が上がる。
いつもの光景にアーロンはため息を吐きクレアへと近づいていく。
「行くぞ。」
そう言ってクレアを一瞥し教室から出ていくアーロン。クレアはその右後ろをついて歩く。
廊下を歩く生徒達は彼らを見つけるなり道を作るように端に寄りその姿を見守る。
彼らの向かう先はカフェテリア。庶民向けの食堂や貴族向けのレストランとは異なり、軽食のみとなるカフェテリアは実は穴場である。
とはいえ持ち込みはできないため、食べ盛りの男子であるアーロンにとってはいささか物足りない昼食となるのだが。
「しかしまあ、今日はいつにも増して凄かったな。」
「ん?何が?」
頼んだサンドイッチを口にしながらアーロンへと目を向ける。アレ、と彼が親指を向ける先にはチラチラと窓の外から二人の様子を伺う者達。
「見たことない顔が多いから、新入生かな。可愛らしいじゃないか。」
「うっとおしくねえか?」
「慕ってくれてるんだ、そんな風には思わないよ。」
そう言って湯気の立つミルクティーを口に含む。
クレアの場合、上辺でだけでなく心からそう思っている。でなければ群がる生徒の顔を覚えている訳がない。
「まあお前がいいならいいけどよ。
だがな、お前は「クレア様?」
鈴のような声でクレアを呼ぶ。アーロンが振り返ればそこには二人の少女。
栗色の長い髪の少女と、オレンジに近い金色のショートの少女。
「やあエリカ嬢、お隣は、ご友人かな?」
「こんにちはー、リア・トレイナーと申します。」
席が近く友達になったのだとリアを紹介するエリカ。
それを見てアーロンは珍しく難しい顔をしていた。クレアはそれに気づきはしたものの、原因をここで聞くのは野暮だろうと何も聞かず二人に向き直る。
「初めまして、クレア・マクレイと申します。」
そうして握手を求めるように手を出せば、リアもその手を取り軽い握手を交わした。
その間、ほんの少しばかりリアに緊張の色が見えた気もするが、勘違いだろうと手を下ろした。
「クレア…様とお呼びすれば?」
「呼び捨てでも構わないよ。もし呼びづらいなら先輩でも。一応君たちより一学年上だしね。」
「じゃあクレア先輩でー。」
「リ、リア!」
「エリカ嬢も、好きに呼んでくれて構わないよ?」
そう告げれば顔を真っ赤にしてクレア先輩、と小さな声で呼ぶ。
そんな彼女を見てクレアはクスクスと笑った。
「ああ、紹介……と言っても顔は知れてるか。
こちら第二王子のアーロン・グレース・ハースト殿下です。」
「ヨロシク。」
そう一言だけ告げてキッシュへと手を伸ばす。正直なところ、王族としての威厳のようなものは感じ取れない。それでもよく見ればキッシュを食べるその仕草は気品を感じる。
「何?」
「あ、い、いえ……手の動きが綺麗だな、と思って……。」
「あ、そ、あんがと。」
そう告げて再び食べ始める。そこには照れも驕りもなく、ただ事実として受け入れていた。
「殿下、もっと愛想よく。」
「その呼び方やめろ。大体、俺にはお前のようになんて無理だ。」
「私はともかく、イアン様くらいはできるようになってください。」
イアンこと、第一王子イアン・グレース・ハーストは学園内でもとても人気が高い。
次期国王ということもあり、社交的な場に赴くことも多く人当たりが良い。
本人が心の中でどう思っているかはさておき、愛想はいい方ではある。
一方でアーロンは本性を隠す、ということが苦手である。楽しくなければ笑わないし、思ってもないことを言うことはできない。良くも悪くも彼は真面目なのである。
「そもそも次期国王の兄上はわかるが、俺が愛想よくして何か意味があるのか?」
「ご令嬢方に今以上に人気が出るでしょうね。あとは隣国の姫君なんかも。」
「やめてくれ。俺にはお前がいればいい。」
「またそうやってご冗談を。それを間に受けたご令嬢達が私に負けまいと武術を習い始めていると苦情が出ているんですよ。」
「何故そうなる!?」
目の前で繰り広げられる二人の会話に、エリカは頭上に「?」を浮かべる。
聞いていれば青年二人のじゃれ合いなのだが、クレアはさておきアーロンは本気でいっているように思えた。
そうなるとアーロンは……とぐるぐると思考を巡らせていると昼の休みが間も無く終わることを告げるチャイムが鳴った。
それを聞きアーロンとクレアは食事の片付けを始め、エリカはリアに呼ばれ我にかえる。
「エリカ、次の教室ちょっと遠いしもう行かないと。」
「あ、うん!
あ、えっと、クレア先輩!またお話して下さいましゅか!?
ああ!噛んだぁ!」
「ふふ、こちらこそ是非。昼時は大抵ここにいるから、アーロン様も一緒にね。」
それじゃあ、と去っていく二人を見送り、自分達も次の授業の行われる教室へと向かう。
道中、先ほどのことを思い出しエリカはリアにコソリと話を振った。
「あのさ、リア。アーロン様って、もしかして、そっちの方?」
「そっち……?」
「その……男性同士で……?」
心底わからないと言う顔をするリアに、より具体的に問いを投げかける。
するとリアはハッとした顔をした後に、吹き出して笑い出す。
「っ、はははは!エリカったら、すごい勘違いしてる!」
「へ!?な、なに!?」
「あのね、クレア先輩は……
「また女誑かして、知らねえからな。」
「誑かしてなんかないよ。彼女達だって純粋に慕ってくれてるだけだよ。」
「また男と間違えられて告白されて、泣かれたなんて言われても、もう相談乗らねえから。」
そうため息をつ呆れるアーロンにクレアは微笑む。それは弟を見守る姉のようである。
なんだかんだ言いつつも彼はそうなった際には相談に乗ってくれる。だから言っただろうがと小言の1つくらいはあるかもしれないが。
「大体、女騎士の2つ名でも知られている私だよ?流石に気づいてるでしょう。」
「トレイナーはともかく、サイアーズは気づいてなかったと思うがな……。」
実際、リアからクレアが女性であると聞かされたエリカはあまりの衝撃にしばらく惚けていることを、彼らは知る由もない。