修学旅行①
景色が、矢のように視界に飛び込んできては過ぎ去っていく。
どうしてなのかはわからないが、電車とかに乗ると、こうして静かに風景を眺めているのが昔から好きだった。
人間の脳は、一度でも見聞きしたものはしっかりと脳に焼き付けられ、ただ単に思い出せないだけだーーという説があったが、どうやらあれはウソらしい。
もしもウソでなかったとしたら、こうして目にしている塵のような情報の一つ一つすらも、脳のどこかに記憶されて残ることになる。もちろん、世界にはそれを可能とする天才的な頭脳の持ち主もいるようだけれど、生憎と俺は天才ではない。
ウソでよかった。そして天才でなくてよかった。でなければ、この悪癖をただちに辞めなければならなくなる。こんなことで無駄に脳を使うわけにはいかない。
でも、そうすると新たな疑問が生まれる。
例の説がウソだというのなら、記憶とは結局何なのか。
どうして頭に定着するものとそうでないものがあるのか。程度の差があるのか。
そして、どうして忘れたいことを忘れられず、逆に忘れてはならないことは忘れてしまうのか。
もう忘れてしまいたいのに、どうして俺はおとといのことを何度も何度も反芻しているのか。反芻して嫌な気分になっているのか。
これからさんざん寺を巡るのだし、いっそのこと願ってみてもいいかもしれない。
考えごとをしながら頬杖をついて静かに窓の向こうを窺っているところに、「君島くん」と声がかかる。
見れば、宮城響子がいた。
三年連続で同じクラスで、入学当時からほぼ毎日といっていいほど勉強を聞きに来ていることもあって、ある意味、女子のなかでは一番のーーいや、二番目の顔なじみである。ちなみに、俺のクラスの学級委員でもある。
「宮城か。どうした?」
「一緒に写真撮ってもらってもいいかな?」
「写真?」
「そう。せっかくの修学旅行だし、記念にさ。ねえ、いいでしょ?」
俺の返答を待たずして、宮城は右手に持った携帯電話をいじりだした。
……やれやれ。またか。まったく、これで今日何度目だよ。
ついつい舌打ちをしたくなったが、黒い感情は心に留める。
そして笑顔を鋳造し終えてから、「ああ、別に構わないけど」と応じた。
「本当? やった。 ……ほら、いいってさ」
そこで宮城が首だけ反転させる。すると宮城の背後から、「う、うん」という声と共に、もう一つ顔が現れた。背後に隠れてこちらを窺っているようでいて、そのくせ視線がこちらを向いていない。 とりあえず、知らない顔だった。
写真は携帯電話での撮影だったが、合計で三回撮った。
まず宮城と俺の二人で一枚。宮城とは過去に何度か撮ったことがある。だいたいが、俺は微笑んでいるだけで、宮城がピースサインをしている構図だ。
そして知らない奴と俺の二人でも一枚。気付いたらそんな流れになっていた。何故? というか本当、誰?
最後に三人で一枚。俺を中心に、二人が左右に分かれていた。やはり宮城はピースサインをするが、名も知らない女子は借りてきた猫のように身を縮こまらせていた。
「ありがとうね、君島くん。ほら、あんたもお礼言いなって」
「あ、うん。あの、どうもありがとう」
「礼なんかいいって。たいしたことはしてないんだから」
とーー口は動いたが、心ではそうは思っていない。
この黒い感情が口から溢れずにいるうちに早くどこかに行ってくれ、と胸中で毒づく。
想いが通じたように、二人は楽しそうに会話をしながらそそくさと去っていった。
笑顔を取り繕うのにはだいぶ慣れている俺だけど、こと今日に限っては多すぎる。回数をこなしていけばいくほど偽りの仮面の、その精度が少しずつ剥離していっているような気がする。
いずれにせよ、一段落だ。ふうとため息をつく。
そうして腰を下ろそうとしたところで、追い打ちをかけるように、今度は三人の女子が徒党を組んでそそくさと俺のところにやって来た。どいつも名前は憶えていないが顔はどことなく見覚えがある。例によって、一緒に写真を撮りたい、と言ってきた。
確かに気持ちもわかる。
修学旅行といえば学校行事でもあると同時に旅行でもある。そして旅行に写真はつきものだ。すでにこうして修学旅行が始まっている以上は、一瞬たりとも記録として残しておきたいとか、そういったところだろう。
ただ、普通であれば、そういったことは仲のいい者どうしでするものだ。そこに、たいして仲よくもないであろう俺が被写体として加わるのは、ある意味おかしい。
けれど、俺も今年で高校三年生だ。正直なはなし、俺がーー皮肉なことに、女に好まれるタイプの顔をしているという事実を今までの人生経験から少なからず察している。
女子たちからすれば、『君島健』という人間は一種のマスコットキャラクターなのだ。だから、まるでご当地キャラと記念撮影でもするかのように俺のところにこぞって来ているのだ。
写真を撮りたがっている本人たちはいいさ。写真を好きなだけ撮って、去っていくだけだから。
けど俺にしてみれば、心労が絶えない。あとこれが何回続くのか。
このぶんだと先が思いやられるーーけど、それでも拒むことはできない。
医者になったときのことを考えろ。
医者になれば、患者とのコミュニケーションは必要不可欠。
それが一日に何回あることか。これはあくまでそのための練習に過ぎないんだーーと、自分に暗示をかける。
もっとも、医者と患者の関係で今みたいに写真を撮ることなどないだろうけど。
三人組の相手も終えたところで、押しよせる女子の波が途絶えてくれた。思わず、ふう、と嘆息してしまう。その傍らで、「みてみて! ほら、『いとしの君』と写真撮っちゃった!」という大きな声が聞こえてきたが……聞かなかったことにしよう。
どうやら俺は、一部の女子たちのあいだで『いとしの君』と呼ばれているらしい。
俺のことをどう呼ぼうが勝手だが、趣味が悪いというか、知的センスを疑う。
いずれにせよ、そんな声がさらっと聞き流されてしまうほどに、車両内はすでにどこぞの縁日のような賑やかさになっていた。まだ出発して三十分かそこらだというのに。
それとなく座席から首をだして周囲を窺ってみる。
俺を訪れた女子たちのように、携帯電話で互いに写真を撮りあったりしている奴らや、座席を反転させて向き合う形にしてトランプに興じる奴ら、しおりとは別の持参のガイドブックと携帯電話を手にして見比べてどこそこに行きたいと語り合う奴らなど、どいつもこいつも浮かれ放題だ。
修学旅行という非日常のせいだろうか? ……いや、こいつらは普段からこんな感じだ。本当、どうしようもない。
一応、教師陣も見回ってそれとなく注意をしてはいる。
さすがにこうなることは予想済みだったようで、この車両まるまるを俺たちの学校の貸切状態にし、教師陣が最前列と最後列に分かれ、そのあいだに生徒たちを座らせることで、はさみうちにして目を光らせるっていう寸法だったようだ。
だが、その甲斐なく、注意してもすぐにまた活気が泡のように沸きたち、そして弾ける。せいぜい焼け石に水ってとこだろう。
……まあ、看過しているとか一緒に浮かれているわけでもないし、そう考えるとまだマシな方か。
悲惨とも呼べる現状を一通り目にして着座しなおしたところで、ふと隣の座席に放置されていた、誰のかもわからないしおりが目に入った。おもむろにそれを手に取ってみる。
到着までまだ時間はたっぷりとあるのだし、もう一度この三日間の行程を確認しておこうかと思い、しおりの表紙をめくって、行程表の部分を眺めてみる。というのも、修学旅行の一部に班行動があるのだが、紆余曲折あって、この俺が何故かある班の班長を務めることになってしまっているのだ。
面倒なだけで無価値な責任を押し付けられたことにはいまだに微塵も納得していないが、それでも責任は責任だ。俺の班に万が一にも大事があってはならない。俺の沽券にかかわる。
高校にもなると、修学旅行のしおりは小学校や中学校のそれと比べて簡素な仕上がりとなっていて、A4の萌黄色の紙を二つに折ってある状態。中身はあくまでこの三日間のおおまかな行程が、見開きの一面に大きく記載されているだけだ。
知りたい情報があれば、今は携帯電話で何でも検索できる時代だ。無駄に活字化する必要はないし、しても無意味に終わるということを見据えてのものなのか、それは定かではない。案の定、このしおりにはすでに何か所かに見慣れないカタカナの羅列が汚い字で記されていた。所有者が訪れたいと思っている店だろうか。
それはさておき。
今回の修学旅行は二泊三日で、訪れるのは、近畿地方ーー三重、奈良、京都の三県だ。
まず、新幹線に乗って三重県の津駅にまで向かう。つまり今がその段階である。
到着は恐らく昼前だろう。そこからは、各クラスに一台用意されたバスに乗って、そろって伊勢神宮に向かう。
俺も今回の件で家にある地図をまじまじと見るまで知らなかったのだが、津駅から伊勢神宮までは有料道路を使えば車で一時間程度でついてしまうらしい。意外と近い。
そのまま伊勢神宮付近にまで来て、ようやく昼食をとる時間となる。
もっとも、俺はバスの中でチョコをつまんでさえいればそれだけでいいのだが、こういった集団行動の最中においては、なんだかだだっ広いところに並んで座らされ、みんな一緒に共通の料理を食べなければならないという暗黙の了解があったりする。小学校も中学校でもそうだった。
こういう場合、だいたい俺は用意された料理を少しだけつまんで、あとは食欲がないとか何とか言って隣の席の奴におすそわけしたりするのが常となっている。今回もできる限りそうはする予定だ。
昼食後、伊勢神宮についたら、一時間ほどの自由行動を許されたあと、再びバスに乗って移動となる。
その足で県をまたぎ、奈良県に突入。そのまま法隆寺にまで向かう。予定では十六時半着だ。
そして、そこから歩いて十分とかからないところに一日目の宿があるのだが、宿には十八時までに姿を見せるということを前提に、これまた自由行動が許されているのだ。
このとき、法隆寺からじかに宿に向かってもいいことになっている。このときは班行動ではないので、俺は一目散に宿に向かうことだろう。
昼食と同じようにそろって夕食を食べ終えると、あとはもう、各班に割り当てられた部屋で、朝まで完全な自由時間が約束されている。
修学旅行なのに? と意外に思うかもしれないが、本当に何もない。俺としては願ったり叶ったりだが。
二日目は、九時出発予定となっている。
それまでに各自準備をするのは当然として、朝食はバイキング形式で食べたいものを自由に選べるようになっている。
俺としては、ここでどれだけ食べられそうなものがあるのか、そしてどれだけ食べられるのかが、俺の残りの二日間を左右すると言っても過言ではない。野菜を中心に、せいぜい体に良さそうなものを見極めなければ。
その後、一日目の宿と別れを告げて各班に分かれると、それぞれ手荷物だけをもって散り散りに行動を始める。というのも、二日目はまた別の、京都にある宿に泊まることになっているのだ。
なお、着替えなどの詰まった大型の荷物は、先に二日目の宿にまとめて送られる手筈となっている。
そうして始まる班行動だが、最終目的地はその日に泊まる京都の宿。
驚くことに、それまでの行程は、一切が自由。つまり、どこかで道草を食っていようが咎められることはない。極端に言えば、繁華街で買い物したり遊んだりしていても構わないという。
ただし当然のことながら、学生にあるまじき行いが発覚した場合には相応の処分が待っているし、また京都の宿の集合時間に遅れるようなことがあれば、それもまた別の処分が用意されているのだとか。
前者は誰にしてみてもそれなりにわかるが、後者はどんな処分がなされるのか今のところ不明となっているから余計に怖い。なまじ俺の班の統率が取れていないだけに。
仮に到着に遅れたとすれば、その場合、なし崩しとはいえ班長にさせられてしまった俺こそがとりわけ厳罰対象となるのかもしれないーーという一抹の不安がある。杞憂だといいが。
そんな二日目の宿への到着時間は、十七時半までとなっている。一日目より三十分早い。
ともすれば、夕飯も前倒しとなっている。その理由は、宿の近場にある寺に、あろうことか十九時に全員で訪問することになっているからだ。
それだけでも不思議だというのに、どういうわけか、滞在時間が三時間ほどとなっている。
自由行動とはいえ、日中にさんざん寺巡りをさせた挙句に、夜になっても寺を訪れなければならないとは……その理由は謎に包まれている。
そんなふうに不透明な二日目を終えて翌三日目ともなると、修学旅行の最終日ということもあってか、終始クラス単位での団体行動となっている。
三日目は東京に帰る都合上、行動時間はわりと限られている。そうしたうえで訪れるとなれば、行き先は金閣寺に清水寺、そして二条城といった、国宝に指定されているなかでも定番中の定番と言われているところにどうしても偏りがちになる。それも仕方のないことだろう。ともすれば、二日目と違って団体行動なのもうなずける。
あいだに昼食も挟みつつも大慌てで三か所の巡回をして、新幹線に乗車する時間はおよそ十四時。それからはもう、京都駅から東京駅まで再び新幹線で帰るだけだ。
なお、東京駅で自由解散となっている。今回の修学旅行で、ここだけは評価に値する。
こんなふうにしおりをざっと見てみると、改めて思う。
本当、なんて無駄な時間なんだ、と。
俺としては正直、修学旅行とか、こんなものは面倒くさい以外の何物でもない。
むしろ、なんでこんなものが学校行事として位置づけられ存在しているのか、小学校の頃から兼ねてより不思議に感じていた。
だってこれ、ただの旅行だろ。
そのくせ、あらかじめ行き先は決められているし、行動に制限はあるし。
そもそも何故学校の連中と旅行に行かなければならないのか。仲の良い連中で楽しみたいならそいつらだけ行けばいい話だ。
まあ……こうしていろいろと大口を叩いている俺も、実際には小学校、中学校、そして今回と、なんだかんだで一度も欠席することなく参加しているんだけど。
何故かというと、たんに金がもったいないからだ。
俺が何の価値も見いだせないでいるこの修学旅行の旅費も、結局はじいちゃんとばあちゃんと少ない年金から捻出されているのだ。それを理解した上で無碍にすることはできない。我を通すのはただの横柄、傲慢でしかないという自覚がある。
二人は俺の唯一の親族にしてかけがえのない恩人だ。それ以上に養われている身だ。そんな二人が行ってこいというのであれば、俺は行かざるをえないだろう。いろいろと不平不満があろうとも。
それに、すでにこうして新幹線に乗っているわけだし、今更嘆いたところでもう後戻りはできない。
できることとすれば、ただただ早くこの不毛な三日間が過ぎ去ってくれることだけを切に願うだけだ。加えて、班行動で何のアクシデントもないことを祈る。
しおりを元あった場所に戻す。そして再び窓の向こうの流れる風景でも見ようかと思っていたところに、真後ろの席から、内緒話でもするように声を絞った会話が聞こえてきた。
どこもかしこも騒がしいこの状況にも関わらずそうしているということが俺の興味をくすぐった。さりげなく聞き耳を立てる。
「それ本当かよ。どうせデマだろ?」
「いや、本当だって」
「お前、その話を誰から聞いたんだよ」
「ん、篠崎」
「篠崎? 何であいつがそんなことを知ってるんだよ?」
「ほら、あいつ学級委員じゃん。なんでも、このあいだの火曜に急遽学級委員の集まりがあったらしいんだけど、そこで先生からそんな話があったらしいぜ」
「それ、何かおかしくねえ? 火曜って、今週の火曜のことだろ? そんな急に旅行の予定を変えられたりするのか?」
「バカ。少し考えればわかるだろ。つまり、そもそも最初からそういう予定だった、ってことだろうが」
「じゃあ、何とかって名前の寺で座禅とかってアレは?」
「ウソだよウソ。そうやって俺たちを信じ込ませておいて、本番になってビックリさせようって寸法だったんだろ、きっと」
「はぁ~。なるほどね。いや、おかしいと思ったんだよ俺。なんで座禅するだけなのにこんなに時間が割かれているんだろうな、って。そういうことか」
「おい、まだ話は終わってないぞ」
「まだ何かあるのかよ?」
「むしろここからが肝心な内容なんだぜ。いいか、心して聞けよ。篠崎が言うには、二人一組で回るらしいんだ。それも、男女ペアで」
「なーーそれマジ?」
「マジ。大マジ」
「組み合わせはどうやって決めるんだよ? ま、まさか、気の合う奴を見つけて早いもの順とかって言わないよな?」
「まあ落ち着けって。そんなんだとどうしたってあぶれる奴がでてくるだろ。だから、普通にクジ引きだってさ」
「クジ引きか。それなら俺も、なんとか……でも、なんで学級委員の連中にだけにそんなネタバラシがあったんだ?」
「だから、先生たちは先に行って隠れているわけだろ? そうなるとじゃあ、そのクジ引きの準備やら段取りを誰がやるんだ、って話になるじゃんかよ」
話の途中からしか聞いていないので完全に理解したわけではないが、いくつかわかったことがある。
一つ、二日目の夜は寺に行くのではない。
一つ、そこでは男女の二人一組となる。そしてそれはクジ引きによる。
一つ、このことを知っている生徒は、学級委員だけである。ただし例外として他に数人知っている模様。
一つ、教師はその場所に先に向かい、隠れているらしい。
だいたいこんなところか。
寺に行くのでないとしたら、一体どこに行くのだろうか。何をするのかは、『男女ペア』と『教師が隠れる』という二つのキーワードからしてある程度の推測はできる。
おそらくは『肝試し』に違いない。
俺の予想が当たっているのであればーー当たってほしくない。むしろ何かの聞き間違いであってほしいーーきっとそれなりに広いところだろう。
それにしても……よりにもよって男女ペアか。これは面倒なことになったな。
好奇心は猫をも殺す、ということわざがあるが、俺にとってはまさにそれだったようだ。聞かなきゃよかった。もうすでに気分が滅入っている。
なんなら班行動よりも厄介そうだな、と思っているところで、後ろの会話が再開する。
「でも、クジかぁ」
「ぶっちゃけ、お前は誰とがいいわけ?」
「俺?」
「情報流してやったんだからそれくらい教えろって」
「そうだな……誰って言われれば、やっぱ宮城かな」
「うわ、被った」
「なんだよ、お前もかよ」
「ま、順当にいけばそうなるよな。なんせ人気ナンバーワンだし。でも……そうか、そう考えると、誰と誰がペアになるのか、っていうのも結構見物だな」
「もしかしたらさ、これがきっかけで恋愛関係になったりする奴らとかいるんじゃね?」
「安心しろ。少なくともお前はそうはならないから」
「あ、言ったなおい! ペアを組むのが確実だっていうなら、俺にだってワンチャンくらいあるだろ?」
話がどうでもいい方向に脱線していたので、ここらで聞き耳を立てるのをやめた。
まったくいい気なもんだな。そんなことで子供みたいにはしゃぎやがって。
これで半年後には大学受験を控えているというのだから、いっそのこと笑えてくる。
っていうか、そもそもこいつらは受験とかの前に、将来の夢とかあるのだろうか。
ないだろうな。この様子だと。
……どうでもいいか。こいつらの心配を俺がすることなんてないわけだし。
卒業したら生涯関わることのないであろう奴らのせいで不快になるなんて不毛でしかない。目を閉じて深呼吸をする。さっきから蓄積しつつある邪な感情を外に追い出そうとする。
そこに、「ねえねえ君島くん、ちょっといい?」という女子の声が邪魔をしてきた。
目を開けると案の定、携帯を片手に持った女子が立っていた。
……ああもう。
できる限りの応対をし終えると、ほどなくして離席することに決めた。
このままここにいると、面倒なことばかり起こる。いっそのこと、一般人の乗る違う車両にでも逃げ込んでいた方が無難な気がしたからだ。
座席をたち、騒然としている通路を後方へと寡黙に進んでいく。できるだけ目立たないように。
けれど、やはり狭い空間だ。どうしたって誰かの目についてしまう。事実、何人かの女子に声を掛けられたが、トイレに行くとか適当なことを言って、どうにかその場を後にした。
車両の最後部まで行くと、スライド式の扉があり、そしてその扉の上には、横長の電光掲示板が設けられていた。
そこにはいくつかのニュースが要点をかいつまんだで流れるように表示され、何巡もしているのだが、そのなかの一つに、『衆議院解散』というものがあった。そういえば今朝、家を出る前に、じいちゃんとばあちゃんがそろってテレビにくぎ付けになっているのを見たな。
いずれにせよ、近いうちに衆議院総選挙が行われる、ということか。
2015年には公職選挙法が改正され、有権者と成り得る年齢が十八歳に引き下げられた。
つまり、高校三年生でも、投票日の翌日が誕生日ーー満十八歳の人までが、有権者と成り得るのだ。したがって、誕生日が十月の俺にはまだ選挙権が与えられないことになる。
扉を開けて、そっと閉める。
最中、ここにいる奴らの何人かは満十八歳で、有権者だということを認識しながら眺めてみた。
こんな奴らに選挙権を与えたところで、投票率があがっても選挙の質は下がるだけだな、と思った。