表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
百色眼鏡  作者: 八木うさぎ
第2章 干渉色
15/15

肝試し④

 五箇所目のチェックポイントに向かっていた。

 舞台は給食室だ。そこの怪談は『毒々しい香りが立ち込める給食室』となっているが、そもそも舞台に給食室を盛り込むというのはいかがなものかと思う。奇抜な発想と言えなくもないが、題材となるような候補はもっと他にもあっただろうに。

 


 お目当ての給食室は四階にある。今さっき退室してきた校長室は二階にあったので、蓄光塗料の通りに廊下を進み、出くわした階段を昇って四階まで行けば、すぐのようだ。

 逆に言えば、そこにたどり着くまでのあいだは小休止というか、何も起きない。それが前提である。

 


 だからこそ鈴鹿は、油断しきっていた。そしておおいに驚いていた。

 二階から三階に向かう階段の、途中の折り返しで半身を翻したときに、視線の先に、いるはずのない人影があったから。

 例によって鈴鹿が全身から絶叫する。今までと違って室内ではないため、大音量が階段や廊下の隅々まで響き渡るかのように木霊する。



「う、うっせえなおい。黙れって」



 聴覚とは不思議なもので、近くでけたたましい大音量が発生していても、別の音を聞き分けることができる。まあこれは聴覚というよりかは音波の性質といったほうが正鵠か。とにかく俺は、階段の上から降りてきた不快そうな声にも気づけたし、その声が、さっきの待ち時間に一悶着あったあの飯山であるということも判断できた。

 当の鈴鹿も気づいたらしい。声が収まり、「も、もしかして……飯山くん?」とおっかなびっくりな様子で問いかけていた。



「まさか、よりにもよってお前たちとはな」



 見下ろす形となっている飯山からは俺たちの様子がわりとはっきり窺えるのだろうが、対して俺たちからは階段の上にいる飯山の表情は覚束ない。



「でもまあ、お前でよかったのかもしれねぇな。響子の話じゃ、たしか医者目指してんだろ?」

「さっきから何の話をしているんだお前。それに、宮城はどうしたんだ」

「あいつは一人で先に外に向かってんだよ」

「どういうことだ?」

「他の教師の誰かを呼びに行ってんだ」

「聞けば聞くほどわからないな」

「そりゃお前が話の()を折るからだろうが。黙って聞けってんだよ」

 


 それを言うなら、骨じゃなくて腰だ。



「ここにいるってことは、お前たち、給食室に向かってたとこなんだろ。となると、それが終われば次のチェックポイントは職員室だよな。俺たちも少し前にそこに行ったんだけどよぉ、そしたら、向井がいてさ。多分そこで俺たちを驚かす役だったんだろうけど、それが隠れもしねぇで、すげぇ体調悪そうな顔して塞ぎこんでたんだよ」

「向井先生が?」



 向井とは、三十代前半くらいの、数学を担当している女性教師だ。

 医学の道を目指す都合上、理系の教師とは比較的接する機会が増えるのだが、そのなかでもとりわけ世話になっている教師で、俺が一年の頃から各大学の入試問題をよく取り寄せてもらったりなど無理を言って、さんざん迷惑をかけてきた人だ。さすがの俺も、少しは恩義を感じている。



「ああ。んで、さっき言ったように、宮城が外にいる教師の誰かに応援を呼びに行ったところだ。で、俺はそのあいだ向井の傍にいたんだけどな、だんだんなんか様子がおかしくなってきたんだよ。すげぇ顔色悪いし、呼吸も荒くてさ。つっても、俺じゃ何もわかんねぇし、何もできねぇからさ。それで他の奴を誰か呼んでこようと思って。そんなところにお前たちが現れたんだ」



 語りながら、一歩ずつ階段を下りて、俺たちのところまで近づいてくる。

 ようやく窺えた飯山の表情は、たしかにいつもと違って緊迫したものように見えた。



 向井先生が体調不良か。

 最後に目にしたのは、朝の出発のときだ。さっきの夕食のときには姿を見ていない。驚かす役としてすでに肝試しの準備に取り掛かっていたのだろう。



 よくよく考えてみればなるほど、たしかに修学旅行ももう二日目の夜だ。えてしてこういう学校の行事は、うかれて好き勝手している生徒よりも、それを管理している教師側の方が疲弊の度合いは大きいものだ。

 夜だって生徒がちゃんと就寝しているのか見回らなきゃいけないだろうし、ろくに睡眠時間も取れてないに違いない。加えてこの肝試しだ。驚かす役ともなると、約三時間かけて50組以上を驚かさなければならない。



 なにもこれは向井先生に限ったことではない。最初に具合が悪くなったのがたまたま向井先生だったって、それだけのことだ。

 飯山の言う通り、医者を目指している俺は(あくまで独学だが)ある程度の医学的知識を蓄えている。様子を見て、ざっと症状を診断するくらいならできるかもしれない。

 ーーもちろん、飯山の言葉に嘘偽りがなければ、の話だが。



「わかった。で、どこにいるんだ、向井先生は」



 飯山が、ホッとしたようにわずかに顔の緊張を解いた。そのまま、「こっちだ」と先導された。

 小走りに飯山の背中を追いかけるなか、「ねえ、君島くん」と鈴鹿が、飯山に聞こえないように注視しながら、そっと声を掛けてくる。



「なんだ、どうした」

「ちょっと止まって」



 鈴鹿の顔は、不安に染まっていた。それが俺の足を止める。



「どうしたんだよ急に」

「何か、おかしくない?」

「お前もそう思うか」



 鈴鹿と共に、先を行く飯山を眺める。

 正直な話、飯山の言ったことがすべて本当だという確証は、どこにもない。

 むしろ、あいつのこれまでの言動などから類推すれば、けっして教師の心配などするような奴ではなかったはずだ。端的にいて、信憑性は低い。



「もしかしたらこれ、何かの罠かもしれないよ。君島くんを連れ出して、さっきみたいに襲ったりするつもりなのかも」

「もちろんその可能性もある。でも、あいつのことだから、それが目的ならこんな回りくどいやり方はしないだろう。ただ、ここでまた性懲りもなく襲ってこようものなら、最悪、退学だってあり得るわけだし、あいつが根っからのバカじゃない限り、少しは自重するとも思うんだ」

「でも……じゃあ、何が目的なんだろう」

「さあな。ただ俺的には、宮城がいないっていうのが少しひっかかる。あいつがいればそれだけで、この話の真偽がおおかた推測できたんだけど」

「たしかにね。仮に飯山くんが君島くんを謀ろうとして、それに宮城さんが協力するとも思えないし」

「それを念頭に入れると、さっきの話が本当だって可能性も払拭できないだろう。結局、現時点では実際のところはわからないってことだ」

「だから、とりあえず行ってみるってこと?」

「ああ。本当に向井先生が体調不良なら、それはそれでいい。逆に、あいつの話が嘘だったとしても、そのときはそのときだ。だからお前も、警戒を怠るなよ」



 そこで、俺たちが立ち止まったことに気づいた飯山が、「何してんだ、早く来いよ」と声を荒げる。

 一度だけ鈴鹿と目を合わせてから、揃って飯山の後を追いかけた。



 しばらく進んで、職員室とは別の方向に進んでいるのにふと気付いた。

 そもそも職員室は二階にあったはずだ。さっき俺たちは四階の給食室に向かっていたから階段を昇っていたが、実際はそこから引き返し、二階まで下って、それから廊下を駆けて職員室に向かった方が早いに違いない。

 それがどうだ。どうしてか今、三階の廊下を走っている。



「おい、職員室に行くんじゃないのか」

「んなわけねぇだろ。体調が悪いってのにそのままチェックポイントにいたんじゃ、どんどん生徒が来ちまうじゃねぇかよ。だから他の場所で休んでんだよ」

「じゃあ、職員室は今どうなってるんだよ? 向井先生がいないんじゃ、誰も驚かす奴がいないってことだろ」

「ああ、それなら大丈夫じゃねぇか。響子がそこら辺にあった紙に何か、こうなった理由っぽいのを書いてたし。それをビー玉の入った箱の下に敷いて、入り口に用意してたからな」



 言われて、その光景が目に浮かぶ。たしかに宮城なら機転を効かせてそういうことをやりかねないだろう。

 飯山の発言には、これといっておかしいところはない。けれど、今のところはまだ、それをそのまま鵜呑みにもできなかった。



 そうして案内されたのは、三階にある、とある教室だった。

 飯山が「この中だ」と言いながら扉を開ける。

 見ると、そこは普通の教室ではなかった。どうやら空き教室らしい。窓もカーテンで覆われているせいで、暗くてはっきりとはわからないが、普通の教室とは一線を画していると言えるほどに、数々の備品がここに詰め込まれ密集しているような、そんなシルエットが浮かび上がっている。足の踏み場があるかどうかもここからじゃわからない。一層の警戒心が強まる。



 飯山が先に入り、「ほら、あそこだ」と指さす。だが、その指が具体的に何をさしているのかも見当がつかない。当然ながら電気もなく、まして蓄光塗料の痕跡もない。数多の備品で無駄に視界も陰っている。室内は今まで歩き回った校舎のどの場所よりも薄暗く、そして静かだった。

 もちろん、人の気配など感じられない。



「ここからじゃ全然見えないぞ」

「だから、もっと奥の方だって。ほら、そこに大きな鏡があんだろ? その横だ」



 だんだんと夜目が効き始めてきたところで、指さされていたであろう、教室の窓際後方辺りを見入る。そこにはたしかに飯山の言う通り、ひときわ大きな物が置いてあった。

 背後を警戒しながら、少しずつ足を進めていく。飯山と鈴鹿が、俺の後をついてくる。

 そうして教室の前方を横断し、そのまま窓際を沿うように後方に進んだところで、鏡だというその物体の全体像を朧げに捉えることができた。



 それは、まるで化粧に使う三面鏡のような造りの、大きな姿見だった。

 普通、姿見と言ったら鏡面は一枚だろう。だがそれが左右にもあって、三枚連なっている。それがちょうど今、花開くようにこちらに三面を晒しているようだ。

 だが、鏡面をはめ込んだ枠や細部の仕様などはさすがに目が届かない。ただ、こんな場所にあることによる心象か、だいぶ古い造りをしているのではないか、と勝手に思い込んでいる自分がいた。



 そういった詳細はひとまず棚上げにするとして、そもそもどうしてこんなものが学校という教育現場にあるのか疑問だったし、また使われなくなったからここにあるのだろうが、どうしてこんなものが廃棄されないまま備品としてこの場所で保存されているのかも不思議に感じた。

 ちょうどそのときである。中央の鏡面が光って見えたのは。



 この暗闇の中では、観測している俺の虚像すらも正しく映しだすのはほぼ不可能に近いはず。なのに、まるで流れ星のような煌きが起こった。それも、三面あるうちの一つだけからだ。それが意味することはつまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということになる。鏡面の至近距離なら、三面共に映っていなければおかしいからだ。

 だが、そんな光源は俺の周囲にもない。あればさすがに気づくはずだ。じゃあ、今のは……。 


 

 その、宿していた警戒心の対象が別に移り変わっていた一瞬に、事件は起きた。 

 背後から、鈴鹿の小さな悲鳴が聞こえた。とっさに振り向くと、視界には鈴鹿が驚き顔で俺に迫ってきている光景が広がっていて、そのときすでに目と鼻の距離だった。

 間髪入れず、俺たちは衝突した。そしてそのまま、鈴鹿が被さるように、もたれかかるように倒れこんできたのだ。いくらなんでも自分で転んだとは思えない。多分、飯山に突き飛ばされでもしたのだろう。



 これが、迫ってきたのが飯山だったらまだ何とかなっただろう。なんなら回避できたかもしれないし、もたれかかられても倒れることなく踏ん張れたかもしれない。仮にそうでなくても、受け身をとってすぐに体勢を立て直せたはずだ。

 だが、迫ってきたのは鈴鹿だった。すぐにそうと認識してしまった。それだけで、俺は一気に無能に成り下がってしまう。



 鈴鹿と接触した瞬間に、体が麻痺したように硬直する。背筋がゾッとし、過呼吸の兆しが現れた。そうなってしまっては、足の踏ん張りがどうこう言っている場合ではない。結果、鈴鹿の勢いに負けて、そのまま二人一緒に倒れ込む。ともすれば、鈴鹿が俺に覆いかぶさっているような密着状況となってしまい、俺の不調はさらに加速した。立ち上がるなんて到底無理だった。



 そこに、不快で眩い光が暗闇の室内を爆ぜるように満たしてに消える。遅れて、珍妙な電子音が鳴った。すぐに醜悪な笑い共に「撮ってやったぜ」という得意げな声が聞こえた。



「おいおい、何やってんだよお前ら。こんなチェックポイントでもなんでもないところで二人して寝っ転がりやがってよぉ。まさかとは思うけど、お前ら抱き合ってたんじゃねぇだろうな?」



 そんな言葉が聞こえていたが、もはや憤ることすらなかった。ただただ、早くどいてくれ鈴鹿、と祈ることしかできなかった。すでに冷や汗が全身から沸きだして止まらなくなっている。呼吸をするのも苦しい。視界がぼやけはじめ、頭もガンガン鳴り響くように鈍痛が繰り返している。



「一体ナニしようとしてんだよ、え? こりゃあ一刻も早く校長に知らせねぇとな」



 それだけ言うと、飯山は馬鹿笑いをしながら、足早に廊下に去っていった。



『ようやく見つけた。ちょっとあんた、今までどこに行ってたのよ。トイレに行くって言ったきり、勝手にいなくなったりして』

『どこでもいいだろ別に。お前には関係ねぇだろ』

『あ、ちょっーー待ちなさいよ』



 宮城の声だ。飯山と二人で言い争ってる声が遠ざかっていく。やはりというか、俺たちはハメられたらしい。



「すず、か。は、やく、どい、て……く」

「あ、そっか。ごめーーあ痛っ」



 俺の不調を察し、そそくさとどいてくれた鈴鹿だったが、その最中に顔をしかめる。どこか痛めたのだろうか。

 とにかく鈴鹿がどいてくれた。安堵した俺は、そのまま気を失った。



 ***



「君島くん」という声がした。

 君島……それって俺のことだよな。ってことは、俺を呼んでいるのか。 

 そっと目を開ける。そこは、真っ黒な世界だった。

 とはいえ、完全な闇ではない。目の前に、うっすらと人の輪郭が見える。俺を見下ろしているようだ。



「君島くん」



 はっきりと見えなかったせいもあって、誰だ? と思ったが、遅れて記憶が追い付いてくる。



「鈴鹿、か」

「うん。目が覚めたんだね。よかった……」



 鈴鹿は、腕で顔を拭っていた。

 徐々に、記憶が連鎖的に繋がっていく。肝試しの最中に、飯山に騙され、空き教室で、鈴鹿と接触して、終いには気絶したのだと。



「俺、どれくらい気を失っていたんだ?」

「一、二分ってところじゃないかな。正確なところはわからないけど」



 意外と時間は経っていなかったようだ。たしかに、発作によるものと思われる倦怠感がまだ体の節々に感じる。



「ってことは、まだ肝試しの最中なんだな」

「うん」



 それだけ聞いて、一度深呼吸し、それから上体を起こした。不思議なもので、寝転がっていたときは平気だったのに、こうしてみるとまた頭に痛みが走りだす。反射的に頭を押さえてしまう。



「大丈夫?」

「ああ、なんとかな。といっても、万全じゃないけど」



 そう言ってるそばから、咳払いがでた。頭や顔や服についたと思われる埃を適当に払う。



「まだ横になってた方がいいんじゃない」

「そうはいかないだろ。さっさと外に出て、事情を説明しなーー痛っ」

「ほら。まだ無理しない方がいいって」

「でも」

「さっきの写真だって、どうせ飯山くんが狙っていたようには撮れてはいないと思うよ。それに私たち、疚しいことなんか何もしてないし。でしょ?」

「それはそうだけど」

「だったらもう少し休んでたって大丈夫だよ。どうせもうすぐ肝試しも終わっちゃうんだし、せめてそれまではここにいてもいいんじゃないかな」

「……それもそうだな」



 今急いだところで、何かが変わるわけではない。俺も鈴鹿の手前、気丈に振舞ってはいるが、内心じゃあもう少し休みたいと思っていたところだし。

 と、そこで気づく。さっきから鈴鹿が、左の足首をさすっていることに。



「どうしたんだ? 足、痛めたのか?」

「あ、うん。さっき飯山くんに突き飛ばされたときに、ひねっちゃったみたい」



 言われてみれば、俺が気を失う直前でなにやら痛がっていたようだが、それがこれか。



「でも、たいしたことないよ。君島くんに比べれば」

「わかんないだろ。自分でそう思ってるだけってことはよくあることだ。ほら、見せてーー」



 そこで俺は、文字通り止まった。



「どうしたの?」

「いや、その……なんでもない」



 顔を背けて、どうにか誤魔化そうとする。

 このままでは俺は、医者になんか到底なれない、と改めて思い知ったことに。



 鈴鹿の脚を診断するということは、率直に言って鈴鹿に触れることに他ならない。

 それはつまり、女性に触れることに他ならない。

 そして、今の俺にそんなことができるわけがない。想像しただけで気分が悪くなってくる。



 いや、これはなにも鈴鹿に限った話じゃない。

 たとえば、さっきの飯山の言葉が仮に本当であったとしたら。向井先生が本当に体調不良だったとしたら。それでも、やはり俺は何もできなかったのではないだろうか。

 なにせ、たった今、鈴鹿と不意に接触しただけで気絶したくらいだ。情けないくらい、あっという間に。それでどうして女性である向井先生の診断などできるというのか。



 本当は、以前から薄々気づいていたことだった。だけど、楽観視していたーーいや、目を反らしてきたのだ。いつかきっと女性恐怖症は治る。だから気負う必要はない。そう自分に言い聞かせてきたのだ。

 でも、冷静に考えてみると、もはやそんな悠長なことは言っていられないところまできてしまっている。



 無事に志望大学に入れたとしても、そこには実習があるだろうし、いずれは実際の病院で働く研修もあるだろう。ともすれば、卒業までに女性に接触する機会が完全にゼロということはどうしても考えにくい。そして、その大学入試までもう一年を切っているのだ。



 このままでは、無事に大学に進んだところで、俺に医者としての未来はない。

 発作を直さない限り、俺は医者にはなれない。

 いい加減、この事実をはっきりと、そしてしっかりと受け止めなければならないのだ。



 心にある黒い影を認識しながら、「それにしても、やっぱり罠だったな」と話題転換する。俺の悩みを鈴鹿に語ったところで意味はないし、解決もしないだろう。それに、俺にも若干の羞恥心があったからだ。



「だね。わかってたのにね」

「だけどまさか、写真を撮るのが目的とは思いもしなかったな」

「さっきの校庭のこともあるし、もう直接力で君島くんをどうこうできるとは思わなかったんじゃないかな、多分。だからああいった方法で報復しようとしたんじゃ」

「かもな」



 あいつのことだからいずれはまた何か仕掛けてくるかもと思っていし、初老の教師からも注意を受けていたところだが、それがまさか、この肝試しの最中にしかけてくるとはさすがに思いもしなかったし、まさかこんな姑息なマネをしてくるとも思わなかった。よくもまあこの短時間であんな嘘を考えたものだ。



「本当、悪かったな鈴鹿。俺のせいでこんなことになって」

「謝らないでよ。君島くんのせいじゃないんだし」

「それはそうかもしれないけど、でも、待ち時間にあいつが突っかかってきたとき、もう少し俺がうまくやっていれば肝試しだって無事完走出来ただろうし、お前も足だって痛めてることはなかったはずだ。やっぱり俺のせいだろ。せっかくの高校最後のイベントでこんなことになって、踏んだり蹴ったりっていうか……台無しだよな」

「ううん、全然台無しなんかじゃないよ。こんなことを言うのもアレだけど、こうしてる今だって楽しいって思ってる」

「楽しい?」

「うん。なんていうか、今のことがなければ、それはそれで普通の肝試しで終わっちゃってたと思う。けど、こんなことがあったら、それはもう、一生忘れない思い出になるじゃない」

「よくもまあそんなにポジティブになれるもんだな」

「そうかな」

「それができるなら、この肝試しだって最初からそんな気持ちで臨めよかったのに。そうすればあれだけバカ騒ぎすることもなかっただろうし、誰も被害に遭わなかっただろうに」

「う。あ、あれは、その……無我夢中だったってこと。楽しすぎて」

「あっそう」

「何その目。信じてないでしょ」

「いや、信じてるって。一応は」

「もう。それって、信じてないって言ってるのと同じだって」



 鈴鹿が頬を膨らませる。だがそれも、一気にしぼんだ。そのまま微笑むと、今度は寂しそうな顔になった。視線も俺から逸れる。そんな一連の様子が気にかかったが、何を考えているのかわからない以上、何て声をかけていいものか、わからない。

 様子を窺っていると、鈴鹿の方から「実は、ね」と切り込んできた。



「君島くんに、ちゃんと言っておかなきゃいけないっていうか、謝らなきゃいけないことがあるんだ」



 即座に、勉強を教えてくれと乞うたのに途中で自ら放棄した、その件についてのことだと思った。電話でも一通り謝られはしたが、後日改めて、とも言っていたし。--だが。



「本当は言うつもりなかったんだけど、なんていうか……君島くんと話してたら、やっぱりちゃんと言っておかないとダメな気がしてきて」



 そこまで聞くと、鈴鹿が何を言いたいのか、急にわからなくなった。

 最初の発言さえなかったら、あるいは告白かと思ったかもしれない。自意識過剰かもしれないが、ついさっき宮城ともそんな話をしていたこともあって、自然とその可能性を疑ったに違いない。こう見えて、鈴鹿も実は俺に好意を抱いていたとか。



 だが、鈴鹿は最初に『謝る』という言葉を使っている。そこに告白の要素はおおよそない。もちろん、俺がそういうのを毛嫌いしているのを知っているのにもかかわらず強行して告白するという、それについての謝罪なんてことも考えられるが、今の鈴鹿の雰囲気からして、色恋沙汰の要素は皆無と断言できる。そこに『本当は言うつもりがなかった』というあの発言も加味すると、どちらかというとこれは、懺悔に近いのではないだろうか。

 となると、やはり勉強の件かと思ってしまう。それ以外に鈴鹿に謝られることは覚えている限りない。



 懺悔……言うつもりがなかった……改まって……ダメだ、わからない。

 一瞬、『清志が事故に遭ったというのがそもそも嘘だったのではないか?』という可能性を疑ってみたが、嘘ではないとすぐに自分の中で結論付ける。鈴鹿や美乃梨の証言だけならまだしも、宮城のさっきの発言が、宮城の母親の存在が、それを否定している。



 そうなってくると、『本当はもう勉強が嫌でしょうがなくて、たまたま起こった清志の一件を契機に、思い切って勉強を辞めることにしたのでは?』とも考えた。けれど、あれだけ俺から罵声を浴びせられつつも必死で努力してきた鈴鹿が、まさかそんな考えを起こすとも思えないし、それらないっそのこと黙ったままの方がいい。そんなことを下手に打ち明けるほうが俺の顰蹙を買うということくらい、今の鈴鹿ならわかっているはずだ。あと考えられるとしたら……。



「もしかして、お前の両親、実は健在だったとか?」

「……へ?」

「俺に勉強を教わるために実は嘘をついてたとか、そういう話かなと思って。もし違ってたのならすまない、悪気はないんだ」



 実際のところ、病院に長期入院しているという鈴鹿の父親に会ったことがない。ともすればこの状況、そう考えられなくもない。

 俺が何を言いたかったのか、遅れて理解したらしい。急に笑い出した。



「いきなり何を言うのかと思ったら……。もう、私がそんな嘘をつくように見えるのかな」

「見えはしないけど、ただ、あんな言われ方をしたら、言われた方だっていろいろ勘繰るだろう」

「それもそうだね。とにかく、両親については前に説明した通りだし、そこに嘘はないよ。だから安心して。それに、そもそも私が今言おうとしているのは、今日ーーっていうか、この肝試しでのことだから」



 与えられた情報で、より限定的になったが、余計に混乱が増した。



「何かあったか? 改まって謝られるようなことが」

「うん、まあ」



 そこでまた、鈴鹿が視線を逸らす。

 この校舎に入ってから今この瞬間までの時間をざっと回想してみても、思い当たる節はない。

 まさかこの期に及んで、『一人で余計に怖がり暴れて、行く先々で教師に迷惑をかけて、それを俺が一緒になって謝ってることに対して申し訳ない』とか、そんなことでもないだろうに。



 なんとももどかしかった。いっそのこと、もったいぶらずにさっさと言ってほしい。そうして鈴鹿を見ると、当の鈴鹿は俺に向けて妙な視線を注いでいた。



「どうした?」

「あ、うん。その……そこにある鏡にね、今、何か映ったように見えて」



 鈴鹿が抱いた違和感は、俺が飯山の指示で鏡の前に来たときに覚えたものと共通するものだった。俺も振り向いて鏡を確認する。

 完全に夜目に慣れたこともあって、今は二人の姿が映っているのがどうにか確認できる。

しかし、それ以外にはこれといって特に奇怪なものが映っているようにも見えない。

 ーーと思ったのも束の間、すぐに異変に気付く。



 俺と鈴鹿は、互いに床にしゃがみ込んだ状態でいる。それに対し、鏡に映る俺たちの虚像は、共に立ち上がっているのだ。それに鈴鹿も気づいたようで、見入っている。



 そこで、どういう原理なのか俺には全く見当もつかないが、鏡面のなかーーいや、鏡面に映る虚像の世界から、光の粒が疎密を作って、蠢くように溢れだしてきていた。現実の世界は尚も暗いままだというのに。それは、まるで色のついた水蒸気が蓋をした箱からゆっくりと漏れてくるかのような光景、と表現すれば近いかもしれない。



 そしてまた、その光が、まばらに、カラーライトのように定期的に七色ーーこう表現するとそれぞれが見栄えのいい鮮明な色と思われるかもしれないが、けしてそんなことはなく、むしろ全体的に黒いというか、ものものしい邪悪さを彷彿とさせているーーに移り変わっていくのだから、もはや混乱しかない。たまらず、「うそ……」と鈴鹿がこぼしたのも無理もないことだろう。鈴鹿が口にしていなければ俺がしていたに違いない。



 たちまち、鏡に映る虚像の一つが、俺たちに気づいたような素振りを見せ、そしてゆっくりと、まるで自由意思を持ち合わせているかのように、こちらに迫ってきた。その体を、姿を、大きくしていく。

 何が起きているのか、皆目見当がつかない。ただ、このままではまずい、あの鏡に映る何かの接近を許してはいけない--と、本能が訴えかけている気がした。収まらない頭痛を無視して、おもむろに立ち上がる。



「立て鈴鹿、ここから逃げるぞ!」



 憑りつかれたかのように事の成り行きを呆然と見入っていた鈴鹿だったが、俺の呼び声で我に返ったらしい。遅れて立ち上がる。

 何が起こっているのかはさておき、とにかくこの部屋から出る。それしかない。

 そうして揃って鏡に背を向けたところに、鏡から漏れ出していたあの七色の光が、白一色となって、弾けるようにして煌いた。



 俺たちをまるごと包み、室内を埋め尽くすほどだった。

 さっきまでの暗黒が一転、世界が白でしか構成されていないと見紛うほどだった。

 腕で眼を覆っても意味などない。あまりの強さに、当然のように目を閉じてしまう。

 瞼越しにわかるほどの強烈な光。だが、逆に言えば、瞼越しの明るさが弱まれば、光が弱まったことを意味する。そして実際、体感的に数秒したところで明るさが弱まった。そっと目を開いていく。



 そこはもう、暗黒の世界に戻っていた。

 奇妙な光も何もなければ、不気味な鏡もさっきまでが嘘のように静まっている。映しだす虚像にも違和感はない。

 隣には鈴鹿が立っていた。ただ、いつの間に移動したのか、さっきまで俺の左手側にいたはすが、今は右手側にいる。



「大丈夫か、鈴鹿」

「うん。それにしても……今の、何だったんだろう」



 そうして視線が交わる。交わってーー目の前の顔に、どことなく疑問符が浮かんだ。



「お前……鈴鹿、だよな?」

「そうだけど……君島くん、だよね?」



 まるで互いの顔を忘れてしまったかのような、そんな間抜けな会話。しかしそれも無理もないことだと理解してほしい。うまく説明できないのだが、どうしてか今、目の前にいる鈴鹿が、いつもの鈴鹿とは別人に見えて仕方がないのだ。俺と同じようなことを鈴鹿も思ったに違いない。それゆえの今の発言だろう。

 何かがおかしい。そんな気がしてならない。

 俺たちの互いの認識もそうだし、それ以外にも、もっと別の……何かが。



「ねえねえ、こっち来てみなよ佳寿(かず)。どうやらあたしら以外にも、()()()()()に招待されたのがいたみたいよ」



 そこに、聞いたことのない声が耳に飛び込んできた。



「多分、肝試しをしていた人たちじゃないかな」

「ああなるほど。ってことは、修学旅行だか何だかの最中ってこと? ーー運ないねぇ、君たち。よりにもよって、旅先でこんな目に遭うなんて。本当、ご愁傷様」

「ちょ、ちょっと美希(みき)! 出会い頭でそんなふうに言ったら失礼だろ。もう」



 いつの間にか室内には、俺たち以外の、まったく見覚えのない男女がいた。

ようやく……ようやく、次回から、この物語の核となる内容が展開します。

なのに、ここまでくるだけで10万字以上かかるとは。

ひとえに私の力量不足ですね。痛感しています。



なお、これから仕事が忙しくなる都合上、次の投稿は1ヶ月くらい空いてしまうと思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ