肝試し②
(注意)
話の一部に、女性にとって忌むべき不快な展開があると思われます。
ただ、ストーリーの展開上、必要なことだと判断し、盛り込みましたので、どうぞご了承ください。
あれは、たしか二月の終わりごろだった気がする。帰ろうとして下駄箱を開けたら、靴の変わりに変な紙切れが入っていたのだ。鈴鹿かと思って手に取ってみると、『靴を返してほしかったら体育館裏に一人で来い』という、いたって簡素な文が、殴り書きのように酷く雑な字で書かれていた。
いわゆる、呼び出しというやつである。
久しぶりのことだった。一年ぶりくらいだろうか。
この手のものは入学当時なんかに上級生によくやられていたものだが、月日を重ねてその上級生たちが去っていったーー卒業もあれば、退学もあったらしいーーので、次第に沈静化してきていた節がある。
もはや面倒の極みである。でも、だからこそ、きちんと対処しなければ後々の生活に尾を引くことになる。行かざるを得ないのだ。
いざ出向いてみるとそこには、制服を着崩し茶色に染めた髪を今風に整えて金属製のアクセサリーをこれ見よがしに装着している、典型的な不良然とした男ーー飯山がそこにいた。嫌らしい笑みを浮かべて、金属バッドを肩で担いでいで。
「お前さぁ、ちょっと顔がいいからって調子に乗ってねぇ? そのくせ、なにかと女子どもに白目使いやがって。ったく、童貞かっつーの。さっさと卒業したくてなりふり構ってらんない、ってか?」
飯山は、自分の優位を信じて疑っていないのか、ヘラヘラと笑っていた。
開口一番、典型的なアホだと思った。
それを言うなら色目だろ。俺の知っている日本語にそんなわけのわからん言葉はない。俺に絡んでくる元気と余裕があるなら、少しはその熱を勉強に向けろよな、などと言いたいところではあったが、こういう奴とは、はなから議論するのを諦めている。馬ーーいや、馬鹿の耳に念仏だ。
「さっきから何黙ってんだよ。何とか言えよコラ!」
勢いよく金属バットを振りかざし、近くの枝を折ってみせた。もちろん威嚇のつもりだろうが、特に何とも思わなかった。金属バットで木の枝を折ることくらい、小学生の女子でもできることだろうし。
その後もはっぱをかけられたわけだが、俺は終始沈黙に徹した。その方が、こういう単細胞はすぐにキレて、怒りに身を任せて襲いかかってきてくれるからだ。経験上それを知っている。
案の定、飯山は十秒としないうちに大きく舌打ちし、金属バットで大地を一度叩くと、「勉強なんてできたってなぁ、何にもなりゃしねぇんだよコラ! 今それを教えてやるよ、その体になぁ!」と、いくらか土を塗りたくった金属バットを振り上げて、そのまま襲い掛かってきたのだ。
ここまでくれば正当防衛の条件は成立なので、俺も容赦なく拳を繰りだすことにした。あくまで自己防衛のために。当然ながら、俺が小学生頃からずっとじいちゃんに空手を習っている、ということを当然のように知らなかったのだろう。知ってれば、少なくとも一人では来なかったのでは、と思う。
その後、どうなったのかを先に言ってしまえば、俺が奴の金属バットを避けて、腹目がけて繰りだした拳に悶絶。飯山を一撃で無力化した。
ただし、これが学校の敷地内で起こったこともあって、どうしても隠し通すことはできない。なので、大概は自ら進言するようにしている。事実、こうなった経緯として俺の靴がなくなったこと、そして物的証拠として俺を呼びだした紙切れなどを見せて、俺が被害者だと教師にはきちんと理解された。その後まもなく、飯山には一週間自宅での謹慎処分が言い渡されたのだった。
その一件を抜きにしても、もともとが悪名高く、教師も手を焼いているくらいの、学校一の不良で通っているような奴らしい。だからこそ、そんな飯山を迎撃した俺はいっとき、一部の男子と多くの女子から英雄扱いされていたりもした。これまたやっかいなことに。
ーーとまあ、こいつとはそんな因縁があったりする。
「ったく、フラフラとほっつき歩きやがって。勝手にいなくなるんじゃねぇよ」
「何よ。悪いの?」
「悪いに決まってんだろうが。何だよ、お前がどっかに行くたびに、いちいちを探せってか?」
「別に探してくれなくてもいいんだけど。あんたこそどっか行ってればいいじゃん。順番までまだ当分あるんだし」
「バカ言え。こんなヘボい校庭のどこで何をしてろってんだよ。鬼ごっこか? ガキじゃあるまいし」
「何でもいいじゃん。いい加減、それくらい自分で考えなさいよ。子供じゃないんだから」
「ああ? ったく、偉そうに。いくらガキの頃からの知り合いだからって、あんま調子に乗ってんじゃねぇぞコラ」
「そう思うなら、そもそも絡んでこないでっつーの。面倒くさい」
そこで飯山が大きく舌打ちした。
今の話から察するに、どうやらこいつが宮城のペアのようだ。
なんとなく古い付き合いだってことも感じ取れる。もっとも、そんなに仲が良いわけでもなさそうだ。いわゆる幼馴染とか腐れ縁とかってやつだろうか。
そんなことを考えていると、いつの間にか不良が、まるで害虫でも見るかのように俺を睨みつけていたのに気付いた。あれからたいして経っていないし、こいつもこいつで、俺をまだ目の敵に思っていることだろう。
みんなが遠巻きにこっちを窺っている。俺も宮城も飯山も、全員が全員、目を惹く存在だ。ともすれば、衆人環視となるのは必然だった。
「ねえ、どうしたの?」
そこにタイミング悪く鈴鹿が戻ってきてしまう。騒ぎを聞きつけたのかもしれないが。
鈴鹿も、不穏な空気を感じ取ったのか、ある場所まで来ると、それ以上は近づいてこなかった。
そこで何を思ったか飯山が、まるで勝ち誇ったような表情で、急にケラケラと笑いだす。
「ひょっとしてお前のペア、鈴鹿かよ。ハハハ、すげぇ笑えるぜ。優等生気取って調子こいてるくせに、日頃の行いが悪いんじゃねぇのか? よりにもよって、こんなドブスとだなんてな」
愉快そうに滔々と語ると、鈴鹿に向きなおし、再び開かなくていい口を開く。
「おい、よかったなぁ鈴鹿。すげぇラッキーじゃん。なんてったて、学校一の女たらしとペアになれたんだからよ。この機会にべん、べん、あー……そうだ、便所して、こいつに引っ付き放題だもんな。他の奴らもきっと羨ましがってるだろうぜ」
それを言うなら便乗だろう。
なにやらすごんで見せているつもりのようだが、「この機会に便所して」の一言ですべてが台無しだ。
よくあることだ。かじった程度の熟語を一丁前に使おうとして、結果自爆しているようなことが。いい教訓だ、俺も気をつけよう。こんなふうに周囲から惨めな目で見られないためにも。
さすがに周囲も気づいているだろうが、でもこいつが怖くて何も突っ込めない、表情にも出せないといったところか。
不良なのに気遣いされるとは。しかも本人はそれに気付いていないというのだから、もはや道化。滑稽でしかない。
反面教師の飯山は、恥の上塗りになるやもしれないのに、まだ続ける。
だがーーそこで奴が選んだ言葉は、到底許せるものではなかった。
「うまくやれば、処女じゃなくなるかもしれないぜ。頑張れよ。ハハハ」
飯山はいかにもわざとらしく声を張り上げる。他の参列者にも聞こえるように。
品のない笑い声が、凄く耳に障る。その笑顔が、酷く歪んで見えた。豪く不快だった。
処女と大声で言われたことで、鈴鹿は居場所を失ったかのようにその場で俯く。表情を汲み取ることはできないが、こんな下卑た中傷にいい顔などしているはずもないだろう。
そんな鈴鹿を目の当たりにしてーー不思議と、俺が憤りを覚えていた。体育館の裏に呼び出されたあのときですらそんな気持ちは湧き上がらなかったというのに。
「おい。お前、鈴鹿とペアになりたかったのか?」
「ああ? 何言ってんだてめぇ。どういう意味だ?」
飯山は一瞬にして笑いを止めると、俺に歩み寄って一気に胸倉を掴んだ。
男には遠慮なく触れることができる。だからその手首を、俺の左手が思い切り握りしめた。普段はいきがって不良然としているくせに、その腕は細く華奢だった。
「そのままの意味だよ。鈴鹿とペアになりたくて、でもなれなかったから、それでこうしてペアになった俺に突っかかってきてるのか、って聞いているんだよ」
「笑わせんな。誰が鈴鹿なんーーっ、離せコラてめぇ!」
右手を封じられたままの飯山は、今度は左手で殴り掛かってくる。
本当はいなしたほうが早いし、なんなら反撃したいところでもあるが、今反撃しようものなら、学校行事の最中だし、隠し通すことなどできるはずもない。肝試しどころではなくなるだろう。だから、繰り出された拳を今度は右手で受け止めることにした。
拳は、大きく振りかぶったわりには体重がほとんどのっていなかった。ただただ大げさなだけの、見掛け倒しだ。これが空手の達人なら、もっとスマートにことを為す。少なくとも今こいつがしたような大振りなどは絶対にしない。無駄な動きはなく、しかしその実、力が拳に集約している。それと比較すればこんなもの、児戯に等しい。
戦意を削ぐため、掌で受けた拳を覆うように右手にも力を込める。ただ、素人の場合、突飛な考えの元、このままの状態で今度は足を使ってくる場合もある。そうなると喧騒は拡大してしまうだろう。
俺としてもこれ以上やっかいなのはごめんだ。けん制の意味も込めて先に、面と向かって凄んでみた。
「お前とはあのとき以来の因縁があるからな。だから何かと理由をつけて俺に突っかかってくるのも、まあわかる。未だに俺のことをよく思ってはいないんだろう。別にそれはいい。俺だってそうだしな。お互い様だ」
「っ、うる……離せよ」
「けどな、鈴鹿は関係ないだろうが。こいつがお前に何かしたのか。何もしてないだろう。お前だって鈴鹿とペアを組みたいってわけじゃないのであれば、お前が鈴鹿に突っかかる理由なんて一切ないはずだ。違うか?」
ここぞとばかりに、あらん限りの力を両手に込める。加えて、骨のでっぱりを意識して、そこを重点的に攻めた。案の定、飯山は悶えている。
「お前が突っかかってくるのはこれで二度目だ。二度あることは三度あるって言うからな。だから先に釘を刺しておくぞ。いいか、俺とお前とのいざこざに、鈴鹿をーー鈴鹿だけじゃない、他の奴らを巻き込むな。いいな」
そこまで言いきって、さっと手を解く。飯山は全身脱力こそしている様子ではあるが、その顔は真逆のものだった。今にも反撃しかかって来そうだ。
しかしそこで、騒ぎを聞きつけ、一部始終を見ていた周囲の女子から、失笑が起こる。
「今の見た?」
「見た見た。飯山の奴、超ダッサ」
「っていうか、単に君島くんがカッコいいだけだって」
「いいなぁ洸。あたしも『いとしの君』に、一度でいいからあんなふうに言ってもらいたいわぁ」
そんな声がちらほら。
そこに幸か不幸か、「お前らそこで何やってるんだ」と騒ぎを嗅ぎつけたらしい教師が止めに入ってきた。教師の介入を良しとしない不良は、それこそ苦虫を噛むような表情で舌打ちをし、「なんでもねぇよ」と白を切って逃げるように去っていった。
「おい君嶋、お前、またあいつともめてたのか?」
「いや、あいつが一方的に絡んできたんですよ。まあ、殴り掛かってきたのでちょっとは反撃しましたけど」
「ちょっと待て。反撃しただと? ってことは、手を出したのか、お前も」
「いえ、そうじゃないんです先生。今の君島くんの発言には語弊があります。反撃したっていっても、あいつが一方的に殴り掛かってきたのを両手で受け止めたって、それだけですから。なんなら周りのみんなにも聞いてみてください。みんな見てたし」
「……そうか、まあそういうことなら一応不問にしておくが。まあいずれにせよ、お前は我が校の大事な期待の星なんだから、くれぐれもこのあいだみたいな暴力沙汰は起こすなよ。あいつにも後で俺がきつく言っておくから」
「はい。気をつけます」
模範的な返答を聞いて、教師は一応の納得顔で持ち場に戻っていった。
「本当にごめんね、君島くん」
「なんだよ、別に宮城が謝る必要はないだろう」
「それはそうなんだけど、なんとなく。洸もごめん。あいつのせいで嫌な想いをさせちゃって」
「あ、ううん。大丈夫。気にしないで」
顔の前で合掌して謝罪する宮城に、鈴鹿は両手を振る。
「そう? ならよかった。それじゃあ……いろいろごたついちゃったけど、洸も戻ってきたことだし、退散するとしますか」
「あいつのところに行くのか?」
「まさか。適当にブラブラするつもり。それじゃあね」
そうして宮城は、さっきまでの執念が嘘のように、一方的に去っていった。きっと、鈴鹿が戻ってきたことで、さっきまでの話を続けることができないと即座に理解したのだろう。
少しだけ過密になっていた集団も、宮城が去るよりも先に三々五々となり始めていて、今ではすっかり平穏に戻っていた。
「宮城さんと何か話してたの?」
「まあな。そういえばお前、知ってたか? 清志の入院しているその病院に、宮城の母親が働いているってこと」
「ああ、そうそう。どうやらそうみたい。何回か実際に話したことがあるけど、とってもきれいな人だったよ。さすがは宮城さんのお母さんっていうか。それにいい人だったし」
「そうか。で、そのときどんなーー」
どんな話をしたんだ? と言おうとしたところでふと、視線の先に、注視するかのようにこっちを向いたままの人物がいるのに気付いた。
あれは……間違いない、相馬市議だ。
どういうわけか、彼女は彼女で、俺が視線に気づいたのに気づいたのか、半身を翻してそこから去っていった。